A
カチャカチャ
「(早くいかなきゃ...)」
「土方君、君に聞きたい事があった」
「!(鴨...?)」
後片付けを終え、お盆にお茶をのせて廊下を歩いていると
すぐ先にある庭に面した廊下の方から鴨の声が聞こえてきたので思わず足を止めた。
「奇遇だな、俺もだ」
「(二人で何話して...)」
「「君/お前は僕/俺のこと、嫌いだろう」」
「(予想以上に殺伐としてる...!!)」
実に逃げ帰りたい衝動に駆られつつ、聞いておこうと耳をすませる。
「近藤さんに気に入られ、新参者でありながら、君の地位を脅かすまでにスピード出世する、僕が目障りで仕方ないんだろ」
「それはアンタだ。さっさと出世したいのに、上にいつまでもどっかり座ってる、俺が目障りで仕方あるめーよ」
「(二人のこんな会話聞く事になるなんて...)」
凍えたように震える息を殺し、気配を限界まで消す。
「フッ...邪推だ土方君。僕はそんな事考えちゃいない」
「良かったな。お互い誤解が解けたらしい」
「目障りなんて」
「そんなかわいいもんじゃないさ」
「「いずれ殺してやるよ」」
「!(比喩、だよね...そうだよね...?)」
どちらも小生にとっては大切な存在だもの...
廊下に漂う殺意を否定したくて、震えだしそうな身体を耐えさせ、心の中で何度も問いかけていると
廊下からこっちに歩いてきたらしいトシと出会った。
「!」
「!っあ...トシ...」
「...聞いてたのか朔夜」
「ご、ごめん...聞く気はなかったんだけど...」
「別に責めちゃいねーよ。仕方ねェ」
落ち着かずわたわたとしていると、トシが頭を優しく撫でてくれた。
その温もりに、少しだけ緊張で凍えていた心が落ち着きを取り戻した。
「あ、あの...トシのお茶は、もう部屋に置いてきたから」
「...伊東んとこ行くのか?」
盆の上のお茶を二つ分見て、眉をひそめたトシに頷く。
「うん、用事があるらしいしね」
「そうか...」
「――ねぇ、トシ」
「...なんだ?」
「...鴨と...殺し合わない、よね...?」
「...心配すんな。お前は俺達の事に何も首つっこまなくていい...俺から殺し合いを仕掛けねェよ」
「うん...(でも鴨が何か仕掛けてきたら斬るんだろうな...)」
それは、仕方ない。当然のこと...
「(でも、大丈夫...そんな事起きない...きっと比喩だ)」
お互いに、ウマが合わないだけ...
そう納得させて、小生はトシと別れ、鴨の部屋へと向かった。
***
「――鴨、朔夜だけど、入って大丈夫?」
「あぁ、どうぞ入って構わないよ」
返事を聞いて鴨の自室に入り、襖を閉める。
「待ってたよ、朔夜さん」
「うん。あ、お茶持ってきたんだけど...いるかな?」
「貰うよ。君のいれるお茶は美味しいからね」
先程のトシへの冷たさは欠片も無く、いつものように優しい瞳と声で小生を見て、話しかけてくる姿に緊張がほどけた。
そして、久しぶりにのんびりととりとめのない会話をしながらお茶を飲み
久しぶりに将棋を指したいという事になったので、勝負を始め、勝負も中盤になった頃...
「――朔夜さん」
「?なんだい」
「話があると、僕はさっき言ったね」
お互いに戦略を巡らせ、駒を指しあいながら、会話を交わす。
「あ、うん...言ってたね?その話ってなんだい?」
「僕と、結婚してほしい」
「へぇ、けっこ.........結婚?」
あまりにも簡単に言われた言葉に流しそうになったが、とんでもないことを言われた事に気づいて
駒を指した手をそのままに、ずっと盤上を見ていた瞳を、目の前で対局する鴨に向けた。
既にこちらを見ていた、鴨の、眼鏡の奥の真摯な目とかち合って、その瞳から目を逸らせなくなる。
「そう...僕と結婚して妻になって欲しい...君を愛しているんだ、朔夜さん」
「っあ、あいしている...って...そ、そんな・・・いきなり...」
盤上に置いたままだった手を、そっと握られ手の甲に口づけされて言われた、
あまりに直球な台詞と、照れてしまうような行動に頬が熱くなるのを感じながら
ようやくそれだけの言葉を絞り出した。
すると鴨はふっと微笑んで、将棋盤を片手で横にどけると握った手を引き、小生の身体を自分の方に抱き寄せた。
優しい温もりに包まれ、鴨の体温と小生の体温が重なり、ただでさえ早くなっていた心臓の鼓動がさらに早まる。
こんな自分は久方ぶりで、戸惑って息も上手くできない。
「っか、鴨...!」
「不思議な女性だ、君は...誰ひとり、僕の心に入れはしなかったのに...君だけは違った...」
水のように透き通っていて染み入ってきて、僕の何かを満たしてくれた。
「...一年前を覚えているかい?」
「い、ち...ねん、まえ...?」
「そう...君と初めて出会った日だ」
その言葉で、一年前の今日のようによく晴れた日が思い出される。
***
一年前の長閑な真選組屯所――
すたすた
「ふー、洗濯は終わったし...(次は買出しだね...退あたりでも捕まえて行って来ようかな)」
廊下を歩いていると、前から見たことの無い真選組隊士が歩いてくるのが見えた。
最近新しく入ったって言う伊東とかいう男かな?今までの隊士とは毛色がずいぶん違うね...
するとあちらもこちらに気づいたらしく、視線が合う。
「こんにちは。卿が最近入ったって言う新入りさんかい?」
「(女性?ここは女人禁制のはず...)ええ、伊東鴨太郎と申します。貴女は?」
「あぁ、申し送れたね。小生は吉田朔夜。真選組の女中をやってる者だよ」
「そうでしたか。これからよろしくお願いします吉田さん」
「あぁ、よろしく。でも、吉田さんはやめてくれないかい?硬いからさ。朔夜でいいよ」
やっぱりこの真選組の他の奴と、気風が違う...硬いし...壁がある。
それにどことなく小生と同じにおいがするね...。
「ですが...(なんなんだこの人は...初対面だというのに馴れ馴れしい)」
「気にしないでいいよ。まわりも小生を下の名前で呼ぶし...小生も卿を鴨って呼ぶからさ」
にっ、と笑って言えば戸惑った顔をされた。
「か、鴨ですか...」
「鴨太郎って名前長いじゃないかい。だから鴨。呼びやすくていいじゃないか」
「(この人は一体...なぜこんなに簡単に僕に踏み込んでこようとするんだ...)」
「?鴨、どうかしたかい?」
「!い、いえ...何でもありません」
黙り込んだ鴨に訝しげに声をかければ、慌てたようにして手を振られる
「そう...あ、そうだ。卿さ、好きなものあるかい?」
「は?」
「というか食べたいもの、ない?」
「え、いや...別に...」
「えぇー、何か思いついたものでもいいからさ」
「(なんなんだ本当に...)...では、焼き魚...」
「よし、分かった。じゃあ、今日の夕餉は焼き魚にしよう」
「え、そんな決め方で...」
「そんな気にしなくていいんだよ。鴨の真選組入隊の祝いと、知り合えた記念に、卿が食べたいものを出したかっただけだからさ」
「(僕の祝い?知り合えた記念?意味が分からない)」
今まで僕が向けられた事の無い、穏やかな笑みを向けてくる目の前の彼女が分からない。
「...何の関係も無い僕の祝いなんかしてどうするんですか?」
「!」
「あなたの行動の意味が理解できません」
「...当たり前だよ。意味なんてないんだから」
最初からないものを理解できたら逆にすごいな。天才の小生にも出来ないよ
僕の問いに彼女はからかうように笑いながら続ける。
「ただ、卿がどうしても小生の行動の意味を知りたいって言うのなら...そうだね。ただ、小生が鴨の真選組入隊を祝いたかっただけ、そして卿と出会えたことがうれしかっただけだよ」
それに鴨が何を考えてるとか、どう思ってるとか、そんなことは関係なく...
「――小生が鴨と友達になりたいだけさ」
そういって彼女は綺麗な笑みを僕に向けてきた。
その笑顔に今まで感じたことの無い、心臓をつかまれるような感覚がする。
「だから、今日の夕餉は焼き魚で決定だよ」
じゃぁ買出しに言ってくるんでね。
そういって、横を通り過ぎようとする彼女の腕を思わず掴む。
「!...なんだい?」
「あ、いや...」
「...そうだ、買い物の荷物が重くて大変なんだよ...仕事がないなら買い物に付いてきてくれるかい?」
くすりと笑って、僕に尋ねてくる。
「...仕方ないですね。お付き合いしましょう、朔夜さん」
「ふふっ...ありがとね、鴨」
***
「...覚え、てる」
忘れてなどいない、色鮮やかに思い出せる鴨との出会い。
「...おそらくあの日から、ずっと僕は朔夜さんに恋をしていた」
最初はなんて馴れ馴れしいと思っていたけれど、徐々にそんな気持ちは薄れてきて、
「長く離れて分かった...君の愛しさが」
どれほど君の存在が側にある事が、僕の支えになっていたか。
「僕には朔夜さん、君が必要だ」
「か、も...」
より強く抱きしめられ、求められている気持が本物だとわかる。
「...例え、君の心が別の男に捕らわれかけていても」
「!え...」
小生が誰かを...?誰を...?
考えた瞬間、晋助以外の顔が浮かびかけた理由も、胸が僅かに痛んだ意味がわからないで、戸惑って鴨を見上げる。
「(気づいてないのか...)...いや、何でもないさ。例えばの話だよ...だから――」
今は僕の事だけを考えてくれと、優しく小生の唇に口づけを落としてきた鴨から少しでも身体を離す。
「っん...か、も...しょ、せいは...」
「返事は否定だろう?なら聞く気はない...だから今はただ、僕に愛させてくれ...――朔夜」
「!、っ...」
耳元で息を吹き込むように初めて呼び捨てをされ、ぞくりとした感覚に身体が震え、抵抗できなくなる。
「――きっと僕は、君を奪う(全てが終わったら、必ず迎えにくる...土方君には、渡さない)」
決意を秘めたような言葉に、小生は悲しさと、何かがとてつもないことを考えているんじゃないかと漠然とした不安を感じた。
しばらくして、そろそろ今日は帰ると良いと解放された小生は、やり場を失った感情をふらふらとさせたまま家へと帰り、
布団へ到着するやいなや、糸が切れたように倒れ込み、そのまま意識を闇に放り投げた。
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