第百四訓 私と仕事どっちが大事?なんてバカげた質問、意味はない
――ミツバに、俺ァ昔惚れていた。
それは絶対にそうだったと言える。
だが――俺にはミツバに会う前に、たった一度だけ会った女がいた。
曇天の空の日に人気のない山中で会った、全身に血を浴びた女。
俺よりも一回り二回りも小さい癖に、何かとてつもなくでかいものを背負って
目には見えない何かを、必死で追い求めているような
そんな生き急ぐ背中だけが、なんて名乗ったかも顔も覚えちゃいねぇのに、やけに鮮明に頭に残ってる。
これが恋情なのかは分からねェ。
顔はロクに覚えちゃいねェし、それ以来会った事だってない。
ただ、その背中とよく似た背中をした女に、俺はこの江戸の街で出会った。
いつも穏やかな笑顔を浮かべてるくせに、たまに見せる陰を落とし憂う目が
誰かが目の前で苦しんでりゃ、迷わず駆けていくいつも俺の前を行く背中が
やけに記憶の女と似ていて...気になって仕方ない。
「(...朔夜...)」
ミツバに惚れていたはずの俺は、いつのまにかここで##NAME1##を好きになっていた。
俺じゃミツバを幸せにしてやれない、護れないと俺はミツバを置いて行った。
だが朔夜は、俺が護りたいと幸せにしてやりたいと思った。
その何かを追って、沢山のモノを背負って生き急ぐ俺の前を走る背中を引き止めて
全てを一緒に抱えてやりたいと、そう思った。
「(...これに全部片がついたら、言おう)」
そう決めた時、片足を撃たれ、思わずその場に倒れた。
「!くっ!!」
すかさず転海屋の部下たちが飛びかかってきたのを見て、ヤバイと思った時だった。
――バササッ!
「動くなッ!!」
「!?」
黒い羽根を背中にはやした人影と二羽の鴉が、俺と敵の間に空から降りてきた。
そして降りたった人影の背中から黒い両翼が離れたと思うと、それは一羽の鴉。
三羽の紅い眼の鴉を従えた目の前の采配を片手に持った小さな人影に、俺は目を疑った。
「!...朔夜...?!」
「――真撰組女中、吉田朔夜…推参、ってね...小生の友を傷つけるものは...この小生が赦しはしないよ」
そう言い采配を構えた##NAME1##にいつもの穏やかな空気はなく、妖しく微笑んだ。
いつもは澄んだガラスのような瞳は、見た事がねえ、血に浸した刃のような鈍い赤い色をしていた。
***
「貴様!何者だ!?」
「だから吉田朔夜だって言ってるじゃないか...トシ、大丈夫かい?」
足を撃たれたため小生の後ろで、座り込んでいるトシに振り返らず声をかける。
「んなことよりなんでここにっ...!!」
「たまたまだよ」
「んな訳あるか!とにかくすぐに逃げろ!!」
「やだよ。小生は自分の筋通しに来たんだ...帰らない。それより立てるなら立って。一旦場所変えよう」
そして采配をしっかりと握りなおし、開いてる片手で白衣から丸薬のはいった瓶を取り出し、ふらふらと立ちあがったトシに投げ渡した。
「!?...これは...」
「巻き沿い食らわせたくないから一つだけ飲んで」
「っ...」
トシがいぶかしそうにしながらも飲んだのを見て、既に取り出した煙管に火を入れ口にくわえる。
煙を吸うと鼻を駆ける甘い匂いと、舌を走るピリピリとした感覚を感じて、にやっと笑い、大げさに両手を広げた。
後ろにカーラス達が控える。
「――浪士諸君。小生の後ろの鬼の副長の首が取りたいというのならば、まずはこの小生の首をとってみなよ」
ここは今から小生の狩り場だ。
「一歩でも踏み入れたら、卿らは小生の獲物だよ」
死にたい奴から、入っておいで。
煙を周囲に吐きながら、にこりと笑えば、一瞬静まり返ったが、構うなと声が上がり、次々と斬りかかってきた。
それを見て、笑みを消し采配を前にかまえる。
「カーラス!射撃準備!!」
「「「カァー!」」」
小生の声に答え後ろに控えていたカーラス達が黒い羽毛におおわれた胸元を開いて、小型のガトリング銃が現れた。
「!?(兵器を...!?)」
「発射!!」
「「「カァ!!」」」
ズガガガガガガ!!
一斉にカーラス達が四方に飛び、敵の頭や胸を狙い、上空から射撃を開始した。
それに一気に敵方が混乱しだした時を狙い、混乱に乗じて、トシの腕を掴んでその場から走る。
しかし、数人がガトリングを避けながら向かってくる、それをトシと背中合わせになり各自攻撃を流していると――
バキン!!
「っあ゛ぁぁあぁ!!」
「!?どうした朔夜!?」
「小生の相棒折れたぁぁぁ!うわぁぁあん!」
手中の見事に叩きおられた采配の残骸に思わず悲鳴をあげる。
「はァァァ!?お前!あれだけかっこつけてなんだそれ!?」
「知らないよ!なんかコントの神が急におりてきたんだよ!うぅ...!貴様よくも小生の相棒をっ!」
折った奴を涙目で睨めば、相手は困惑した顔で攻撃の手を止めた。
「え、あ、なんかすいません...?(え、あれ?何で謝ってんだ俺?)」
「(うう...終わったら平賀の旦那と一緒に直す!)」
そう心に決めてふぅっとその男に煙管の煙を吹きかけた。
「!?っ...」
「神経への痛みと麻痺をもたらす毒だよ!」
ぐいっ
「!」
「朔夜、行くぞ!」
「!うん」
そして混乱する場を後に、人気がない大きなコンテナの立ち並ぶ場所へ隠れるためにトシを支えて走った。
***
しばらく行くと、追っ手もなく静かになった。
「(あそこにいた連中はカーラスが始末してくれたみたいだね...まあ生きてたとしても、振り撒いてきた毒煙で動けないか)」
采配の残骸を太股のホルダーにしまいながらメスと針を取り出しやすいように用意していると
コンテナ伝いに隣を歩くトシが話しかけてきた。
「...朔夜...お前本当に何者なんだ...?」
「...ただの天才学者にして天才発明家だよ」
「...はぐらかすな」
「事実さ」
「(言う気はねーってか...)」
だが、さっきコイツが現れた時の背中は...似すぎてる...
「(戦い方も気にかかる...!)ってそういやお前その煙吸ってて大丈夫なのか!?」
「大丈夫だよ...小生はね、数千の毒とウイルスの抗体を体内に持ってるんだ」
トシがさっき飲んだ薬はこれの解毒剤だから、トシにも影響はないよ。
そう笑い返し、早く奴を粛清しようとトシを支えて先を急いだ。
prev next