「君は…君は!どうかしてしまっている!!」
背中をよりかからせた扉越しに投げかけられる言葉に反論はない。
己がした行動は、まさに責められるべきものだから。
流れていく娘の血を前にして、私は、人間の私を手放した。
私は、たしかにどうかしていた。
なにがなんでも、自傷するミカを止めるべきだったのに。
なのに、血の匂いの誘惑に負けた。
両手で顔を覆い、しゃがみこむ。
「…ごめんなさい…あなた…ごめんなさい…私、もう一緒にいたら駄目ね…」
泣いて許されるはずもないのに。
とめどなく溢れていく涙の止め方が、もうわからない。
閉ざした扉の向こうからは、そのうち彼の泣く声も叫ぶ声も聞こえなくなった。
***
「私では、駄目だったようだスピードワゴン君」
彼女は娘を食った。
そう、静かに言う喪服のクリストフの胸ぐらを思わず掴んだ。
ようやくブラウン家の屋敷にたどり着いた時、家はひどく暗く、美しかった庭の薔薇園の3分の2は完全に枯れていた。
「理解しているつもりだった。彼女にかけられた呪いの強さを…だが、私は完全に理解しきれていなかった」
人智を超えた異常を、全て理解できると思ったことがきっと驕りで、間違いだった。
「殴ってくれていい…妻は変わらないと思っていた私のそのエゴが、一番起きてはならない悲劇を招いてしまった。妻はもう、やはり人間では…」
「アンタがそれ以上言うんじゃねえよ!!」
「スピードワゴンさん!やめてください!」
俯いて涙を流し出したクリストフに拳を固めれば、アルベルトが後ろから羽交い締めにしてきた。
「離せアルベルト!こいつは!こいつはミシェル先生を…!」
「クリストフをどうか責めないで、ロバート」
「!」
しゃんと背が伸びるような声に振り向くと、久しぶりに見るミシェル先生がいた。
その姿はひどくやつれ、疲れているように見える。
「ミシェル…出てきたのか…」
「クリストフ、ごめんなさい…私はずっと、貴方の理解しようとしてくれる心に甘えていたわ…人間でいたいという私の気持ちを尊重してくれた、貴方の優しさに」
長くあなたを苦しめてしまった。
そう、泣きそうだが、それでも優しい視線をクリストフに向けるミシェル先生に
握っていた俺の拳もやり場をなくし、力を抜いた。
「ありがとう…ロバート」
「…いえ…でも、本当なんですかい…?ミシェル先生がそんな…」
「…はい。私はクリストフの言う通り、死にゆく己の娘の…ミカの血を吸ってしまいました…それは、体だけでなく、魂まで人間ではなくなりつつあるという事実を示しているのでしょう…」
このままでは化け物に成り果てるだけ。
だから、私は決めたのです。
ゆっくりとミシェル先生は俯かせていた顔を上げ、クリストフに笑顔をみせた。
クリストフも、その顔になにかを悟ったようで、悲しいような救われたような笑みを先生に向けた。
「…本当に長い間ありがとう、あなた。でも、これ以上は…もうだめなのでしょう?」
「…ああ。側にはいれない…君の運命を、私では支えきれないんだ」
「ええ、わかりますわ…」
「…すまない、ミシェル…昔のように遠くから、君を愛するよ…銀河を望むように、私は君をせめて、見守ろう」
私の腕では、あらゆる星の運命と共に生きる
君という星空の全てを、抱きとめることはできない。
クリストフから吐き出された言葉は詩的であったが、俺にもわかるほどストレートな別れを孕んでいた。
けれどミシェル先生は、それが正解だと言わんばかりに笑った。
「今までありがとうございました、クリストフ。私は今日で、この家を出ます」
でも、俺は見てしまった。
瞳の端に雫が光るのを。
to be continue…