存在感を限りなく消して、空港の人ごみの中に溶けるように紛れ込み歩く。 ようやく留学を終えて、日本に戻ってきた。 イヤホンからはアメリカに渡ったときと変わらず、Queenのアルバム、シアー・ハート・アタックの中の収録曲たちが繰り返されている。 空条承太郎とは結局、あのカフェテラス以来会うことはなかった。 関係を切ったのは私で、あとは自然消滅ということでいいんだろう。 「(…私が付き合って殺さなかった男は、彼が初めてだわ)」 殺しても良かったし、今までなら後腐れを存在ごとなくすために、迷わずそうしたでしょう。 でも、どうにも彼を殺す気にはなれなかった。 勝てない、となんとなく本能で察していたのはある。 私にはスタンドがあるのにおかしな話だけど、どうしてか勝てる気はしなかった。 「(…きっとそれだけいい男だったのね)」 私が私でなければ、もしかしたら彼を愛していたのかもしれない。 同じ、泥のように沈殿した寂しさと回遊する鮫のように優美な孤高を抱いている彼を。 でも私が私である以上、その仮定が叶うことはない。 歪んだ本能が求めてる愛欲を収められるのは、この世界でただ一人だけだということを、私はよくわかっているから。 「(…愛を返されることがなくても、私はこの愛を捨てられない)」 だからきっとこんな馬鹿な女を、承太郎は忘れてくれるでしょう。 たかだか数ヶ月の体だけの女のことなんて。 キャリーケースを俯きながらひいていると、ぼす、と人に思い切りあたり、イヤホンが耳からはずれ、肩にかかりぶら下がる。 「!あ、ごめんなさ…」 「前を見て歩かないか、陽燐」 「!兄さん…?!」 降ってきた鼓膜を揺らす低い声に、ばっと目を上げれば、少しだけ眉根を寄せた兄さんの顔。 迎えに来るはずがないと思っていた久しぶりの姿に、思わず瞠目する。 「え、あ…どうして…」 「…迎えを期待したから、お前もわざわざ僕の会社の休日に帰ってきたんだろう?」 「…そ、そうだけど…本当に来てくれるなんて…」 絶対に来てくれないと思ってたから、顔が熱くなる。 ああ、もう絶対に顔が赤いわ。 こんな公共の場で、実の兄にこんな反応しちゃいけないのに。 燃えるように熱い顔が周りに見えないようにうつむけば、兄さんはため息の後に私には少し大きいハットをぽすりとかぶせ、キャリーケースを持ってくれた。 「…周りに見られたら目立つ。車に行くまで被っておきなさい」 「…うん…ありがとう兄さん…迎えね…すごく、嬉しいわ…」 「…たまにはな」 やっぱり私は、この人への愛を裏切れない。 たとえ、なにがあったとしても、この人に奪われている心は揺らがないのだろう。 「(…でも、いい夢を見れたわ承太郎…ありがとう)」 あの閑散とした水族館の水槽の前の出会いをわずかに思い出し、既に歩き出した兄さんの背を追った。 end |