名前もしらない不思議な女は、いつもそこにいる。

水族館の巨大水槽のネオンに照らされながら

その目の前のソファで、ただひたすら、水面を見上げている。

派手な容姿だってのに、存在感があるのかないのか、幸福なのか不幸なのか不透明な横顔をして。

そして俺が現れると決まって、視線だけをこちらに流してゆるく微笑み

一目で、俺ですら綺麗だと感じる両手を重ねて、決まっていうのだ。


「こんばんは。今日もいい夜ね」


なにかを押さえこんだような、秘密めいたアクアリウムの青い光を映したグリーンの瞳。

冷たい深海を低く一匹で泳ぐ鮫のような、気高く寂しい優美さ。


「貴方も飽きないわね」

「…あんたに言われたくねぇな」

「まあ、たしかにそうだわ…でもここに頻繁に来るなんて、貴方も海が好きなの?」

「…まあな」

「ふぅん…なら同じね」

「…」

「…私も好きよ」


とっても、と意味深に投げられる言葉。

深い水中に落ちるように踏み外すのは、視線が絡んだ時から決まっていたのかもしれねェ。


***


「じょうたろう、くうじょう…ふうん…承太郎ね、いい名前」

「おい、勝手に学生証見るんじゃねェ」

「いいじゃない。名前聞き忘れてたんだもの」


シャワーからあがると、俺の大学の学生証を勝手にベッドに転がったまま眺める下着姿の女を見る。


「歳も19…私の一つ下なのねー…意外」

「…やれやれ、勝手な女だぜ。てめーも名前を言ってねえくせに」

「…ああ、そうね。私は陽燐よ。吉良陽燐」


可愛い名前でしょ、とふざけるように言って目を細めて笑った女…陽燐は俺の財布に学生証を戻して身体を起こした。

よく見れば長い金髪はまだ生乾きで、シーツは少し湿っているようだ。


「…おい、髪がまだ濡れてるぜ」

「あら、これくらい大丈夫よ」

「風邪でも引かれたら目覚めが悪いんだよ…」


ばさりとバスタオルを頭に放り投げて、仕方ねぇから拭いてやる。


「んん…痛いわよ」

「我慢しろ…手の手入れだけは完璧にしやがって」


新しく塗り直された赤い爪先を見て言えば、この手は特別なものだと返ってきた。


「誰にでもあるでしょう?大切なものって。それが私にとってはこの手なのよ」


すっと両の手を少し上に翳す陽燐。

またこの横顔だ。

巨大水槽の前に立ち、ガラス越しの水面の方を見上げている顔と同じ。

焦がれるような悲しむような顔。


「(…だが、お互い立ち入る筋合いはねえか)」


こんな関係になったのは、互いにただ、気を紛らわせたかっただけだ。


to be continue…






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