敗北を喫する
警告音が頭の中に響く。
これ以上あの娘に関わってはならない。
戻れなくなるぞ。
そう言わんばかりに鳴り響くのだから、これは致し方無いことだ。
メローネに続き、プロシュートまで無意識とはいえ手玉にとり、チーム全体の中にまで水のように、空気のように、ゆっくりと浸透していく。
悪気がない分、その存在が危険であるのだから、やはり仕方ないんだ。
だからといって恨まないでくれだとか、そんな戯言は言わねえが…
小さな明かりが灯る閉店した店の中に音も立てず入り込めば、一人広げたレシピの上でうたた寝をする彼女を見つける。
「(不用心だな…)」
側にすっと近づいて覗きこめば、いつもまっすぐに見つめてくる瞳は閉じられていて、安堵のような、悲しいような気持ちが沸き起こったが、それをかき消すように首を振る。
今から殺す相手に余計な感情を抱くなんざ、らしくない。
「(…いけねえ。殺せなくなる)」
一瞬で、始末をつけよう。
痛みもなく、終わらせてしまえ。
スタンドどころか殺気もしらない一般人だ、殺すのに時間はいらないだろう。
首筋に指を添わせる。
穏やかな鼓動にあわせて、細い首の中を走る太い血管が脈打つのを感じながら、スタンドを発動させてゆく。
「…、メタリ…」
「っ、ん…」
「!」
細く長い睫毛が揺れ、その下から眠気を引き連れた蕩けたピンクの瞳が覗き、俺の瞳を捉えた。
警戒心が皆無の瞳に思わず心が乱れ、発動がとまる。
逸らされないローズピンクの瞳に、心臓が絡めとられる、ような。
「…りぞっと、さん…?」
ぼんやりとした甘い声に、再び警告音が鳴り響いたが、指が動かない。
殺しておかなければならない。分かっている。
分かって、いるんだ。
だが…
「…あ、ごめんなさい。戸締りもせずお店で寝てたなんて…」
「いや…閉店なのに勝手に入って悪いな」
「いいのよ、リゾットさんだし。なにか作ろうか?」
だが、こんなにも後ろ暗い気持ちを引きずって殺せるのか、俺は。
誰だかの絵画の聖母マリアのように、慈悲と愛に満ちた瞳が一際眩しく、思わず目をそらす。
冷徹に慈悲を捨て、殺意を振るい起こそうとするほど、ピンクの甘い瞳がその意思を掻き消さんと。
「…リゾットさん?」
「あ、ああ…すまねぇ。やはり今日は出直す」
「…そう?なんだか今日のリゾットさんなんだかおかしいわね」
「……おかしいのは、お前だ」
「え?」
「……どうして不審者だろう俺たちに、好意的に振る舞い、ただ飯を提供できる?お前もけして、裕福ではないはずだ」
きょとりとした顔に疑問だったことを投げかければ、ラウラは少し迷う素振りを見せた後、諦めたように苦笑した。
「…私、いい子になりたいの。それに、皆は私の特別だから」
「俺たちが、特別…?」
「…メローネには秘密にしてね?…メローネが私みたいなちっぽけな存在を見つけてくれて、皆さんと出会ってから、静かで、独りきりだった私の世界は変わったの」
独りきりなのを寂しく思ったことはなかったけれど、賑やかな世界も悪くないことを知ったと、ラウラは微笑む。
「私はメローネや皆さんと出会ったことを感謝しているから、少しでも恩返しをしたくて…」
「……俺たちは、恩を返されるような人間じゃない」
「…だとしても、私には恩返しをするべき人たちなのよ。勝手に感謝させて」
清らかな眩しさと、細められた甘いピンクの瞳に誘われていく。
もはや、頭の中に鳴り響いていた警告音は聞こえず、
瞳に誘われるままに頬に手を添え、腰を屈めて低い位置にある唇に、キスを。
「ん!?」
「…!…すまねえ…!」
「う、ううん…あの…えっと、いい…けど…」
口元を押さえて顔を真っ赤にして一歩下がったラウラは、戸惑ったままぎこちない動きで見上げてくる。
ほとんど無意識だった。
ラウラを俺が殺すにはもう遅すぎたのだと、理解した。
「…ラウラ、スープでも作ってくれないか?」
「ふあ!あ、う、うん!わかったわ…ちょっと待っててね」
ぎこちないままの動きで厨房の方に足早に入っていくラウラの小さな背中を見送り、ふと、息が漏れる。
殺すには、いつの間にか、愛しくなりすぎてしまっていたと自覚した。
「…(惚れたが、負けか)」
end
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