「ふう…」


こきん、と首を鳴らす。

ひとりで詰めて仕事をしているとやはり肩が凝る。

でも自分一人でも調べて見せると決めてやってることだ。

あの島の事件の真相が明らかになるまで、やめるつもりはない。


「(でも少し疲れたな…)」


ふう、と椅子に深くもたれるとドアが開き、赤犬さんが入ってきた。


「アヤ、仕事はどうじゃ?」

「ああ…午前の分は片付きましたよ」


一人で調査している方の資料をさりげなく隠すように片付けつつ、はけておいた午前の仕事をさせば、そうかと短い返事がかえってきた。


「やはり、頭に全て入っていると情報整理が早いのう」

「恐縮です…それよりどうかなさいましたか?」

「…仕事が終わったなら昼飯でも外でどうかとな…」

「まあ…是非ご一緒させてくださいな」

「なら出る準備をせぇ」

「はい!…あ、ちょっとその前に一つ用事を終わらせても?」

「構わん」


その言葉を聞いてから、部下の一人を内線で呼ぶ。

優秀なうちの情報伝達部の人たちは、呼べば誰かしら手が空いてる方がすぐにきてくれる。


「どうかなさいましたか?部長」

「ええ、毎月のことですが…これを郵便でお願いします」


デスクの引き出しから海軍マークのはいった白い封筒をとりだし、渡す。

宛先は毎月決まっているから、すぐにわかってくれたようだ。


「またお母様に仕送りですか?部長は本当に親思いな方ですね」

「そんな…私はこのために海軍に入ったようなものですから…当然の習慣ですよ」


感心したような言葉に少し困り、苦笑を返す。

私は母と自分のために働く。稼いで、生きていく。

昔からこれが当然だったから、褒められると妙な感じがしてしまう。


「(私は特別なことはしていないのに…)」

「……用事が済んだなら行くぞ」

「!あ、はい」


意識を浮上させ、コート掛けに掛けておいた海軍コートを腰に巻き、赤犬さんのそばにいけばすぐに片腕で抱き上げられた。


「それでは私は少し赤犬さんと出ますので、なにか緊急の連絡ごとがあれば小電々虫にお願いします」

「了解しました。どうぞいってらっしゃいませ」


そして赤犬さんに連れられて部署を出た。


***


海は輝き、空は快晴。

鴎も鳴いている。

そんな景色を見ながら食べるご飯は、やはり美味しい。


「(…はあ…いい潮風)」

「…アヤ、」

「?なんでしょう、サカズキさん」

「…お前は、母のために海軍にきたのか」


その言葉に、ペペロンチーノを口に運んでいたフォークを思わず噛んでしまった。

キィと音が鳴り、じんわりと歯が軋んだ。

ああ、この人とこんな話をするのは初めてかもしれない。


「そうですね…きっかけは母の病が重くなり、それまでの仕事では生活ができなくなったからですよ」

「…確か…病に伏せているんじゃったな」

「はい。元から病弱な人なので…父が、私が5歳のときに死んでから、すぐに母も持病で倒れて…元気な私がなんとか働いていかないと、母子二人で共倒れでしたし」


だから海軍にくる前は、村の食堂兼酒場で幼い日からずっと働いていた。

毎日朝から晩まで働いて、医療費生活費を稼ぐことが、私の当たり前の生活だった。

けして裕福ではなかったし、今のように時間やご飯を楽しむ余裕はなかった。


「…苦労したんじゃな」

「しなかったと言えば…嘘ですね」


かたんとフォークを置いて、小さく苦く笑う。

母の病が年々悪化するに連れて、医療費や薬代にお金は消えたし、

お腹が空いても、何も食べれない日もあった。

寒い隙間風に、ボロボロの毛布の中で凍えた日もあった。

管理しきれず、父が死んでから日に日に枯れて腐って行く葡萄棚を見るのも辛かった。

寝込む母には言えなかったが、甘えたい日だってあった。


「でも私は…私がしていた苦労以上に、母が私にたくさん愛をくれたのを覚えていたから、一緒に生きようと頑張れたんです」

「…」

「…だから私は、母や現実を恨んだことはないし、大好きな母を今もずっと支えられていることを幸せに思います」

「そうか…、それで今も仕送りをしてるんじゃな」

「はい…まあ母とは喧嘩別れ同然で海軍に入ってしまい、気まずくて手紙のやりとりはできてませんが……元気でいてくれてると思ってます」


広がる西側の海に視線を向けて、目を細めた。

あの日々を送っていた頃から、随分と私は様変わりした。

父を失いあんな生活がはじまった理由も、海軍のせいであった気もするけど

私は海軍に入り、この場所で大切にされ、恵まれた環境におかせてもらえている。

とても幸せなことだと思うし、ここも大切な場所になった。

それでも、母のことを思わない日はない。


「……大切なんじゃな、母親が」

「…私の、この世で唯一血が繋がった肉親で…始まりで…いつか帰る場所ですから」


私の世界で、一番大切な人ですよ。

そうサカズキさんに向き直って微笑めば、じっと私を見つめる、帽子の下から覗く赤い瞳とかちあった。

その赤い瞳は、深い深い底が伺えない色を宿して、ただ私を見つめていた。


「……」

「…?サカズキさん…?」

「…いや、なんでもないけェ気にせんでええ」

「?そうですか…?」

「…ああ、お前はただ…その目を忘れるな…」


黒手袋に包まれたサカズキさんの大きな片手が、私の頬をなでた。


「…そのまっすぐで淀みのない目がお前なんじゃ…そのままでおれよ(何があろうと…)」

「?はい…」


よくわからなかったがただ言われるままに頷けば、サカズキさんは満足したのか私から手を離す。


「…早く残りも食べてしまえ」

「あ、はい」


鴎の穏やかな鳴き声を聞きながら、冷め出したペペロンチーノをまた口に運ぶことに専念した。


***


ーー同日同時…マリージョア


「ショウガン・アヤ…考えていたよりも少々、厄介な娘かもしれんな」

「大人しいかと思えば…なにやら一人こそこそ、深入りをするなと命じた事件を調べているらしい」


五人の老人たちが、少女について議論していた。


「まったく…真相などたどり着けやしないだろうが、こちらの命令を無視するのは問題だ」

「やすやすと我々の駒にはなりそうにはないか…」

「しかしあの記憶能力は適材…逃がすわけにもいかんだろう」

「…致し方ない…早々に不安な芽は潰してしまおう」


一人が言葉とともに、重く息を吐いた。


「たしか都合がいいことに、親類は病床の母親が一人…」

「世界のために必要な犠牲だ…CP9に、連絡を…情報伝達部には通さずにな」



記憶の中の憧憬

(…、アヤ…?)
(その頃小さな家の中、か細く弱った女の声が、彼の少女の名を呟いた)
(なにか聞こえたのか、なにか悟ったのかは本人以外知りもしないが)


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