ミッドナイト ステップ
ブルックのバイオリンから流れる軽やかで甘い、そして美しい音楽。
いつだったか耳にし、目にしてわずかながら憧れたものが蘇る。
「それ、タンゴの曲じゃないですか」
「おや、流石ですねエレシアさん。かなり古いはずですがご存知で?」
「ええ、その曲には少し思い入れがあるので…」
思い出されるのは世にも美しいと思えた、とある恋人たちの姿。
「…ブルック、貴方はタンゴの起源をご存知ですか?」
「ええ、まあ…はるか昔、とある男が最愛の恋人の死を受け入れられず、その死体を抱えて踊ったのが始まりだと聞いていますよ」
「そうです。とても哀れで…綺麗でしたよ」
月明かりの落ちた真夜中の教会。
棺の中で眠る恋人を連れ出して、踊っていた男。
屍の女がまだ生きているかのように身体を揺らさせ踊っていた。
その姿に、そこに存在している愛に、目を奪われた。
「愛のダンス、まさにその通りでした」
死してなお終わらない愛。
感嘆すると同時に、羨ましかった。
それほどまでに愛された彼女が。
私には私の屍を抱いてくれるだろう人も、踊ってくれる人ももうできるわけもない。
そして何より、そんな愛を育んだ人は私にはもういないから。
「…少し、憧れますね」
「…エレシアさん、なら私と一曲いかがですか?」
「!え…」
ヴァイオリンを置き、笑って片膝をついてしゃがんだブルックが私の片手を取った。
「私も一度死んで骨だけになった身…貴女が自分を生きた屍と言うのなら、骨と屍で踊るのも楽しいかもしれませんよ」
私が貴女の愛する人になれるかはわかりませんがね。
そう言っていつもの笑い声をあげたブルックに、口元を緩ませる。
「そうですね…生きた死体と生きた骨…ふふ、なんだか素敵ですね…お受けしましょう」
そして甲板で2人、波の音をメロディに軽やかにステップを踏む。
骨だけのはずのブルックの手から、熱が伝わってきた気がした。
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