青峰語り
退屈は嫌いだ。しかし面倒事はもっと嫌いだ。できる事なら平穏に過ごしていたい。面倒事を抱えるくらいならば何もせず退屈な方がマシだと思ってる。この若さで時間を持て余す事をもったいないと、誰かは言うかもしれないが、それでもこの退屈で何もない日々が俺には心地よかったんだ。 そうやって割きった考え方をしていたらいつしかアイツの顔を思い出してもう会いたいなんて思う事はなくなっていた。そしてそんな自分のまともな感覚にらしくもなくほっとした。 馬鹿だと思う。男のアイツに会いたいとばかり思っていた自分はいまここにはいなくて、アイツの顔よりも何もない空を見る事の方が増えた。 そうこれが俺の日常。戻らないと思っていたこの日常は案外早く訪れたのだ。 それは中学3年の春。桜もまだ蕾だった卒業式の日だった。 サヨナラ。 いつもの笑顔でアイツはそう言った。 卒業式という日にありがちなその言葉に俺は何の疑問も持たなかった。しかしいま思えばあのサヨナラにはまた会おうなんて温い意味はなかった気がする。俺と黄瀬の過ごした時間と関係と、育んだ想いへのサヨナラだった。 それ以来パタリと会わなくなってから、俺は今までどれだけの時間を黄瀬と過ごしたのかを思いしらされた。 俺が退屈だと思う暇もないくらいアイツはいつも俺の隣にいて俺の隣で笑っていた。そんな笑顔を思い出すのも簡単なくらいアイツはいつも笑っていたんだ。だって、卒業式という俺たちの別れの日でさえ、アイツは笑っていたんだから。 いつか、黄瀬は「笑っていれば大抵のことは上手く行く」と言っていた。笑顔はアイツの武器であり生きる上での知恵だった。実際に奴は上手くやっていたと思う。当たり障りなく誰かに接し、ヘラヘラした笑顔でゴメンナサイとアリガトウを繰り返していた。 そんな事が俺に向けられる事もあった。俺はそういう時の黄瀬がたまらなく嫌いだった。あからさまに本音を隠して他人の機嫌を伺うことに意味があるのか。それは同時に距離を置かれているようで悲しかった。そんな俺に、やっぱり黄瀬は笑いながらゴメンナサイと言う。
単純そうで、面倒な奴だった。 アイツの顔を見るよりは、空を見ている方がよっぽど気楽でいい。何も考えないで済むからだ。雲が流れて行くだけの景色が俺には丁度いい。いつもみたいに眠って起きて、ただ時間を消費していくだけの毎日が俺には1番の贅沢だ。
ただ、そうだな。 俺はアイツの笑顔しか思い出せないし、泣き顔なんてものは想像すらできないのだけれど、サヨナラと言われたあの日に少しでも弱さを見せてくれていたなら、俺は奴の面倒な所ごと抱きしめてやれていたのかもしれない。 それはただの想像で推測だが、いまになってあのイライラやもどかしさを懐かしいと思うし、どこか恋しく思った。
121001
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