黄瀬は仕事帰りだった。 仕事終わりに持て余した時間で夜の街をフラついていた。このまま自分のマンションに帰りおとなしく寝るのもいいが明日は久しぶりの休みだ。ビデオ屋に寄り映画を借りて今夜は一人鑑賞会でもして過ごそうか。 そんなささやかな楽しみを浮かべながら鼻歌交じりに歩いていると数メートル前方にて歩いている人の後ろポケットから何かが落ちたのを見た。
「あれ、…」
気のせいかとも思ったが目の前で落ちたかもしれない物を見て見ぬ振りも出来ず黄瀬はそれを拾うためにビデオ屋を通り過ぎて軽く小走りをした。 地面に落ちていたのは黒い二つ折りの、シンプルな財布だった。
「ちょ、財布落としたっスよー!」
拾ってからすぐ声を張り上げて叫んだが当の持ち主はそれが自分だとは思っていないようでその背中は小さくなっていくばかり。離れていはいたがその落とし主は自分よりも身長の高い(下手をすれば自分よりも小顔でスタイルが良い)短髪の男、青峰だった。
「…身長たけー…芸能人……?に、しちゃ無防備に歩くっスね…」
拾ったものを握りながら青峰の後ろ姿だけを見て黄瀬はそう呟いた。 トレードマークの金髪を隠すようにして深く被られたハットと、顔を隠すためにしているブランド物のサングラスは黄瀬が芸能界に入ってからは街に出かける際の必需品だった。 自分よりも身長が高いというだけで暫く見とれてしまっていた事にハッと意識を戻した頃には更に距離は離れてしまい黄瀬は慌ててその男の後を追った。 しかし青峰は迷いなくひと気のない裏路地に入って行ってしまった。
(えぇ、……マジか)
ほんの少し振り向けばまだまだ明るい夜の街言うのにこの路地だけは吸い込まれるように暗く、深い闇のように思えた。住み慣れたこの街には詳しいつもりだったが路地裏なんて室外機があったりゴミのポールがあるという認識しかなく、一体あの男はこんなところに何の用があって入って行ったのだろう?そんな疑問が浮かんだ。 後を追うべきか否か。 迷いもしたが一度拾ってしまった財布への責任が黄瀬の背中を闇の中にと押し入れた。
(こっち…だよな…)
建物の間に設けられた暗闇の道は一本道なので迷うことはなかったものの目の前が見えない程に暗い場所では自分が真っ直ぐに歩けていることさえも不明だ。 兎に角この財布の落とし主に会おう。 そして渡したらすぐにビデオ屋に行こう。黄瀬はそう心に決めて路地を深く進んだ。するとまさに今進んでいる方向から物騒な物置がした。
ーーーバキッ!ガッ!! ーーー「や、やめてく、ぐはぁッ!」
(な…、なんだなんだ…!?)
物騒な音と共に聞こえる悲鳴のような叫び声に黄瀬は歩く足を止めた。 随分と暗闇に慣れた目を凝らすと奥の方で2人の影が見える。 片方はへばりつく形で床に伏せ、片方はその人物の背中に堂々と足を乗せている。はっきりとは見えないがコンクリートに染みているのは血ではないだろうか。
「スンマセン。ゴメンナサイ。こんなんで済みゃ警察なんかいらねーよなァ。借りたモンは返すって習わなかった?ん?」
徐々聞こえる内容や物腰がとてもおっかない。(恐喝…?) 黄瀬は自分がここにはいてはいけないような気がした。ここに踏み込んだ当初に抱いていた財布への責任など黄瀬は忘れてこの場を去ろうとした。その瞬間だった。
「あァ?誰だお前」
「え…あ、あの、俺…」
自分以外の存在に気付いた青峰は訝しむように此方を睨んでくる。 やばい。目がやばい。 何を言われた訳でもないのに黄瀬は両手を顔の横に上げ恐る恐る後ろに下がった。しかし青峰は睨みをきかせたまま黄瀬に近づいていく。
「おい、動くな」
「スンマセン、まじゴメンナサイ!!」
黄瀬は何に対してかは分からないが謝った。そんな黄瀬の言葉を聞いてはいないというように青峰は距離を詰めていく。そして青峰は自分の間合いに黄瀬を捉えると思い切り拳を振り上げた。
(な、殴られる…!)
そう覚悟を決めたときだった。 やられるなら一思いにとも思った。
しかしなかなか痛みはこない。 その代わりに自分の背後から「ぐはっ…」という声が聞こえた。
「へ…?」
「動くなっつったじゃねーか。お前もうすぐ刺されるトコだったぞ」
黄瀬は背後で顔面一発KOを喰らった男を見た。のびている男の手には短いナイフが握られていた。どうやら先にやられていた仲間の一人らしい。地面に倒れた男も間抜けだが中途半端にサングラスがずれた黄瀬も同じくらい間抜けだった。
「つか、こんなとこで何してんだよ」
それはこっちの台詞だと黄瀬は思ったが聞いて良いのかを躊躇いとりあえず心の中にしまった。 通常ならばここで恐怖心を抱いてもおかしくはない筈だ。しかし黄瀬の感覚はその通常から少し(少し?)ズレているらしい。
黄瀬は慣れた暗闇の中キラキラと目を輝かせ青峰の手をガシッと握り、一言。
「か……っ、…かっけー…!!」
自分の質問には答えずただそう言った黄瀬に「意味不明なんだけど…」と率直な感想を漏らし握られた手を解こうとしたがそれを更に強く握られる。
「今の右ストレート!超やばいっス!さっきの蹴りとかも、え、え!なんかわかんないけどやばいっス!!」
青峰の一方的な暴力(本人は仕事だと思っている)に対してただやばいやばいと繰り返すお前の頭がやばいんじゃないだろうかと青峰は思いながらも、自慢の仕事っぷりをかっこいいと言われて満更でもない様子だ。
「ま、こんなの朝飯前っつーか、寝ながらでも出来るぜ」
よく分からない例えまで出した所で黄瀬はそんな青峰にすら今は盲目に素敵だと思えた。
「アンタ名前は?あ、俺は黄瀬涼太っス!俺を、アンタの弟子にしてください!」
気持ちよく持ち上げられるまま、青峰は何故か誇らしげに頷いた。
「馬鹿なのかオマエは」
あれから事務所に帰ってから緑間食らった第一声はそれだった。馬鹿は言われなれている。だからといって気にしない訳ではない。 しかし今日のことは青峰も自分が調子に乗り過ぎたことを反省した。 “この事務所に関係者、もしくは赤司の許可なく他人を連れてくるな” それもルールの内だった。
「金の回収も利子分に満たない、オマケにこんなチャラチャラした奴を連れてくるなんてどういうつもりなんだ」
「あ、チャラチャラした奴じゃなくて、黄瀬涼太です」
「オマエは黙っていろ」
なんの緊張感もなく自己紹介をする黄瀬を緑間は睨んだ。 一度説教を垂れると一時間は止まらない緑間の言葉が青峰の耳を左から右へと流れていく。
「赤司の許可がでりゃ問題ねーじゃねーか」
「そう簡単にいくか。…全く、頭が痛いのだよ」
やれやれ、と溜め息混じりに眼鏡を抑える緑間とその前に座る青峰は見るからに相性が悪そうだなと争いの原因である黄瀬は思ったいた。 そんなとき、ガチャ、と扉が開いた。
「何をしている」
その人物は青峰や緑間よりも小柄だったが決して標準よりも小さいという訳ではない。綺麗な赤髪をした彼が来た瞬間2人の争いはピタリと止まった。 あれだけぎゃあぎゃあと言いあっていた2人をたった一言で収めてしまう彼を黄瀬も心なしか緊張した面持ちで見た。
「…なんだこれは」
「あ、コイツはその、仕事中に拾ったっつーか拾われたっつーか、あ。拾われたのは俺じゃなくて俺の財布が路地裏で仕事を、」
「意味が分からない」
めちゃくちゃな日本語に呆れ「つまり…」と青峰の代わりに緑間が簡潔に説明すると内容を把握した赤司は品定めをするように黄瀬をまじまじとみた。それはもう、上から下まで、じっくり。 何か自分の知らない部分迄を見透かされているような視線に黄瀬はゴクリと息を飲んだ。
「採用だ」
「ええ!?」
驚いたのはここに黄瀬を連れて来た連れてきた青峰だった。お咎めを食らう覚悟と自分の明日を心配していた青峰の憂いは無駄に終わった。
「君、黄瀬涼太だろ」
「俺のこと知ってるんスか?」
「勿論、有名人みたいだからね」
そして芸能人プロダクションに所属し本業はモデルであること、たまに俳優業をしている事も赤司は何故か知っていた。普段滅多な事がない限り一歩も外にでない赤司が何故それを知っているのかは誰も分からない。普段事務作業より外に出る事の方が多い青峰は「え、そうだったのか?」と瞬きしていた。
「そろそろ芸能界にもパイプを繋いでおきたかったからね。彼は知名度も人気も申し分ないし、此方に取り込んで置いて損はないだろう」
そして赤司は黄瀬の後頭部を掴み、グイッと顔を近付けた。それはキスをするのではないかという位近い。
「後は…そうだな。君、なかなか可愛い顔してるしね。楽しくなりそうだから」
「え、」
そしてチュ、と小さく口付けて不適に笑う赤司。 黄瀬は初めはきょとん、としていたものの次第にカァ、と顔を赤くしていた。
それを直ぐ側で見ていた青峰と緑間。 2人は顔を合わせ、珍しく息を合わせて呟く。「…御愁傷様」と。何故なら彼に気に入られたら最後、自分たちと同じように絶対服従を余儀無くされるからだった。 今は何も知らない黄瀬は照れたように笑いながら「頑張って働くぞー」などと気合をいれていた。
130206
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