×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -






「そうねえ……あの子、どこにいるのかしら」

私じゃなく、あのひとに似たものね。私はコーヒーをすすり、新聞を開く。もう何日も前の新聞だ。何度も開いたり畳んだりを繰り返しているせいで、しわくちゃでくたびれてしまっている。
私ののんびりとした調子に、白ひげーーニューゲートに息子と呼ばれていた彼は、困った顔をした。どこで知ったのか、彼は、ニューゲートと私との間に生まれた息子の所在を知るためにはるばる訪ねてきたのだという。

「それにしても、よくあの子のことを知っていたのね。あのひとから聞いてたの?」
「酔っ払ったときに、オヤジがたまに話してくれたのを覚えていたんです。オヤジは認めたがりませんでしたが……」

私はその言葉に驚いたが、なんとなくそれを悟られるのがいやで、新聞の一面に目をやる。あまりきれいとはいえない髭面の男の写真。彼は、エドワード·ウィーブルという名前だった。
つい先日のことだ。エドワード·ウィーブルは、血のつながりがある正真正銘の白ひげの息子として名乗りをあげた。彼は七武海に加入をし、今は、それをいいことに母親とそこかしこを荒らし回っているらしい。白ひげの残党と呼ばれるニューゲートの息子たちは、エドワードの姓を持ちながら彼の名前に泥を塗るウィーブルが許せなかった。
そこで息子ーー白ひげの口から語られた唯一のーーを旗印に、打倒ウィーブルを考えた、と。ここまでが彼が話したところだ。
あの子以外に、ニューゲートに子どもがいるのかどうか私はしらない。私と別れたあとの子どもなのだろうか。私は再びウィーブルの写真に目をやる。どうやっても彼にあのひとの面影はみつけられなくて、白ひげの息子だと信じられないのはしかたないだろう、と思う。ぼさぼさの髪。うろんな目つき。不恰好に長い脚。
しかし一緒に映っていた小柄な女性にはどことなく見覚えがあった。どこで、いつ、という詳しいことは忘れてしまったけれど。彼女に会っていたとしてもおそらく一度か二度で、ニューゲートに連れられて海に出ていたころだろうから、ずいぶん昔のことだ。
私はコーヒーに口をつける。まだかすかに温かかった。飲まないの、と、目の前に座るニューゲートの手下だった彼にたずねる。彼はまだひとくちもコーヒーを飲んでいなかった。

「悔しくないんですか。オヤジの名が汚されて」
「私はニューゲートの昔の女だもの」

関係ないわ、と言う。プライドがあるとかないとかそういったことではなく、私はあくまで、ニューゲートの昔の女でしかないのだ。
でも、と彼は口をまごつかせる。私のような年老いた女の古くさい価値観は、彼のような若い世代には受け入れがたいのかもしれない。そういえば、と、同じようなことを息子にも言われたことをふと思い出す。あれはいつだったか、息子が海に出たいと言ってきたときだったろうか。

「みんな同じことを言うのねえ……」
「どういうことでしょう?」
「以前にも、あなたと同じようなことを言われたなあと、そんなことを思い出しただけよ」

私は肘をついて窓の外を眺める。波がすこし強くなっていた。午後からは天気が荒れると、今朝ラジオで言っていたのを思い出す。
息子が海に出てどれくらい経ったのだろうか。手紙も電話も、なにひとつ寄越してはこないことに初めはやきもきしていたが、次第に、そういうものだろうと諦めた。筆無精なのも言葉足らずなのもあのひとにそっくりだ。それならば、自分の好きなようにこの海のどこかで生きているのだろう。
成長するにつれて、息子は驚くほどニューゲートに似ていった。言葉づかいや性格、さらには好きなものまで。それなのにみてくれは、かろうじて面影が感じられる程度だ。息子とニューゲートの繋がりを知っていれば、そういえばたしかに、と言われるくらいでしかない。
だから、と、私は思う。ウィーブルがニューゲートに似ていなくても、息子だというのは十分にありえることなのだ。
私は頭のなかでニューゲートとウィーブルの母親だという女性を並べ、そしてなんとはなしに、ありふれた家族の幸せに彼らをあてはめてみる。ふたりで手をとりあうようす。嬉しいことがあればわかち合い、我が子が生まれると知ればそれを喜ぶ。誕生日にはケーキをかこんで、きっとお祝いの歌をうたうのだ。ハッピーバースデートゥユー。生まれた男の子は、頬を膨らませて、願いごとをしながら勢いよく蝋燭の火を吹き消す。
想像のなかの彼らのことを考えていくうちに、自然とちいさな笑みがこぼれた。

「なにか面白いことでもありましたか?」

彼がいぶかしげに、そして不機嫌そうに私を見た。私は首を横に振って、あなたのことじゃないのよ、と言う。

「気に障ったなら謝るわ。ウィーブルという男が、本当にニューゲートの息子なのかしら、と考えていただけなの」
「……オヤジに、あなたと以外にも子どもがいても怒らないんですね」
「どうして?私とニューゲートが別れてからは長いもの。生きていれば色々あるじゃない」

その期間、私以外の女がいて、そのひととの間に子どもがいても不思議ではない。嫌だろうな、とはじめは考えていたが、いざ目の前にするとそうではなかった。もろ手をあげて喜んで、とまではいかないけれど。意外にも冷静な自分がいて、そのせいで年を取ったことを実感する。

「……でもそうねえ、ウィーブルが本当に息子だったら面白いなあ、とは思うわ」

あなたたちは面白くないでしょうけれど。肘をついて目の前の彼に微笑むと、あからさまに彼は表情を固くした。私はそれに、冗談よ、と、言う。

「あなたと話していて思い出したのだけど、私ね、あの子のビブルカードを持っていたのよ」

椅子から立ち上がり食器棚のほうへ向かう。どこにしまっていただろう。引き出しをふたつみっつ開けて中を確認する。あれでもない、これでもない、と探すうちに、しまいっぱなしになっていたノートのなかに挟まっているのを見つけた。
私は息子のビブルカードを半分ちぎり、目の前の彼に渡す。

「いいんですか?」
「老人の暇潰しに付き合ってくれたお礼よ。それに、私が持っていても使わないし」

私が息子を訪ねることは決してない。私はこの島で生きて死ぬと決めたからだ。
私は海では生きてゆけなかった。
ニューゲートは海のうえでしか生きられなかった。
私たちが別れざるをえなかったのはそういうことだ。息子はそれを知っていて、私にビブルカードを渡してきたのだ。必要としている誰かが現れたときに、その誰かにきちんと渡るように。そういうところは、息子とニューゲートは本当に似ている。
ありがとうございます、と、彼はおずおずと口にする。

「早くあの子が見つかるといいわね」

私はそう言って彼に微笑んでみせた。







おだやかな波に揺れる船がとても気持ち悪かった。最近ずっと、気分も体調もすぐれない。ひんやりとした夜風だといくらかましになるので、もっぱら昼は寝て過ごし、日が暮れると空気を吸いに甲板に出る生活になっていた。もとより私は船員ではなかったので誰も何も言わず、この時ばかりはそれがかえってありがたかった。
薄暗くなってきたのを確認してから部屋を抜け出し、きょろきょろとあたりを見回してニューゲートを探す。ちょうど航海士と話をしていたようで、わざわざランタンで照らしながら海図を囲み、ああでもない、こうでもない、と言い合っていた。ふたりともとても楽しそうにみえる。
私は海があまり好きではなかったが、ニューゲートが色んなところに連れていってくれること、たくさんのものを見せてくれることは好きだった。次はどこに行くのだろう、と思い、近くの手すりに頬杖をつく。てらてらと光る海面が視界に入るとやっぱり気持ちが悪くなるから、仕方なしに上を見上げた。帆が風ではためくのと、くらい夜空。ぽつりぽつりと点描のように星が散らばっている。

「なにをしてんだ」
「……ニューゲート、お話はおわったの?」
「ああ……。航海士が言うには、次は冬島よりの気候のところだそうだ」

だから寒いらしい。そう言ってニューゲートは肩をすくめる。すこし嫌そうにみえるのは、彼が寒がりだからだ。厚着すればいいのに、と言うと、それは違うのだと彼は言う。
私の故郷は雪が深く、身体の芯まで凍ってしまいそうな厳しい冬が訪れるところだった。雪が音を吸いこんでしまうせいでとてもしずかな所。住んでいる人よりも家畜の方がずっと多かったのではないかと思う。まわりは見知った間柄の人間ばかりで、子どもながら、いつかこの中の誰かと将来を共にするのだろうな、と、あきらめにも似た感情を抱いていたのをおぼえている。
あたたかくなれば畑を耕し、さむくなれば家畜と身を寄せあって暮らす。それを淡々と繰り返して老いてゆく。私は、そんなありふれた人生を送るのだと思っていた。
停滞した平穏を打ち崩すようにニューゲートは突然現れて、私を海へと連れ出した。嫌がるべきかどうかも分からないままの私の腕を、力強く引っ張ってゆく彼の背中。私はそれを生涯忘れることはないだろう。

「どれぐらい寒いんだろうね」
「さあな……お前の故郷よりはましだといいが。あそこは寒すぎる」
「そうだねえ」

故郷のことなんてずっと忘れていた。
冬の暖炉のあたたかさ。寒くないようにと母に渡された手編みのマフラー。馬にまたがり、息をきらせながら野を駆けまわっていたこと。
嫌な記憶ばかりだと思っていたが、近ごろは、そうではないものがふっと頭のなかに浮かんでくるようになっていた。これが郷愁なのかもしれない。私は、故郷に帰りたいのだろうか。

「あのね、伝えたいことがあるの」

ニューゲートはすこし身体をこわばらせる。私のことを思いやるふりをしながら、彼は、私を故郷から遠ざけたがっていた。最近はすこし落ち着いたものの、なにかに取り憑かれたように偉大なる航路を進んでいた時期さえあった。

「私ね、妊娠してるみたい」

だからかえりたい、とは言えない。海のうえで子どもを産みたくなんてなかった。でもそれよりも、私はニューゲートのかなしそうな顔が苦手だった。誰よりもおおきな身体をしているくせに、ひとりになるのがこわい子どもと同じような顔をするから。
産んでもいいかな、と、尋ねるまえに、ニューゲートが私を抱きしめた。

「ありがとう、さえこ」

声が震えていた。心なしか、ニューゲートの体温がいつもより高いような気がする。
私は泣きそうになるのをこらえるようにきつく目をつむる。そのほんのすこし前、ひとすじの流れ星が夜空を駆けてゆくのがみえた。