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03




十年以上そうしているおかげで、目覚ましがなくともたいていは早く起きる。アマンドの安らかな寝息が聞こえて、わたしは彼女を起こさないようにそっとベッドを抜けだし、この屋敷のなかで与えられている部屋へむかう。
そこはわたしの部屋ではあるが、くつろいだりすることはほとんどない、単なる物置き場だ。クローゼットの扉をがらがらと開け、うすいピンクのブラウスと白いスカートを選ぶ。わたしにはすこしかわいらしすぎるが、特別なことがない限りは、最初に与えられた服を着ようと決めていた。
みんなの朝食をつくるためにキッチンにおりると、さきにオーブンがいた。牛乳を飲もうとしていたらしく、コップを持っている。

「おう、さえこか。おはよう」
「おはよう、オーブン」

子どもたちの中でオーブンが一番早起きだ。それからペロスペロー、モンドールとつづく。逆に一番遅く起きてくるのはダイフクで、放っておけばいつまでも寝ている。
オーブンがコップの牛乳を一気に飲み干した。なみなみとつがれていたものが、跡形もなく消えてしまう。ふう、と息をついたので、冷蔵庫に牛乳パックをなおすのかと思っていたら、のこりをすべてコップに入れる。からっぽで、むこう側の景色がはっきりと見えていたガラスの器の中が、ふたたび牛乳でいっぱいになる。

「飲みすぎるとおなかこわすよ」
「……お前なあ、俺のこといくつだと思ってんだよ」

わたしの言葉を無視して、オーブンはコップの中身をあおった。牛乳が喉の奥に吸い込まれてゆくたびに、のど仏が上下に動く。
わたしはそれを横目に、シンクの下の戸棚から鍋を出した。水と出汁をいれて、火にかける。具材はわかめと玉ねぎ、あとは何にしよう。

「油揚げはいれねえのか?」
「ちょうど悩んでたところ」

包丁とまな板を出して、玉ねぎと油揚げを切り、ざらざらと鍋の中におとし入れた。
お米は昨日の夜、炊けるように準備してある。
本来ならこれはわたしの仕事ではなく、この家のキッチンの主たるひとたちは別にいて、食事はすべて彼らの役目だった。和食や洋食、中華はもちろん、お菓子だって、彼らは抜かりなくすばらしいものを作りあげる。けれど、わたしがここにいるときの朝食だけは、わたしが作ることになっていた。
用事がおわったオーブンは立ち去らずに、腕を組んで料理をするようすを眺めている。目があうと、太陽みたいに笑う。

「上手くなったよな」
「そうね」

はじめて朝食を作ったとき、わたしはあまり上手く料理できなかった。それまでほとんどしたことが無かったからだ。テレビで朝食をつくる母親をみた子どもたちにねだられてつくったものの、とうの彼らが真っ先に不味い不味いと言い放ち、結局、ほとんどを捨てるはめになったのを覚えている。

「一生懸命作ったのに、全部食べてくれたのはオーブンだけだった」
「そうだったな。好き嫌いが多いやつばっかりだから」
「そういう問題だったの?」

すこし的はずれな彼のフォローに、思わず笑ってしまう。そういう問題さ、と、オーブンが肩をすくめる。
水蒸気を出しながら、炊飯器がかろやかな音をあげた。しゃもじを水で濡らして、蓋をあけお米をひっくり返す。

「さえこが作るまで、朝飯に米を食ったことがなかったんだよな」
「それをあのとき知ってたら、炊かなかったのに」
「でもそれから、朝の白飯は美味いんだって分かった。いいことだろう?」

そうね、と返事をする。今では、子どもたちのほとんどはお米を食べるようになった。だからたいていは、白いご飯とお味噌汁、あとはすこしのおかずを準備する。
鍋の火をとめて、味噌を溶かしいれる。それからおかずの卵焼きにとりかかろうと、卵焼き器を手にしたところで、さえこ、と、オーブンがよんだ。真剣な声と表情。やけに神妙なようすから、彼がなにがしか重要なことを言いだそうとしているのがわかった。こういうときはわたしにとって良いことではなく、そのためあえて軽いかんじで応じる。

「なあに?」
「おまえはいつか結婚して、ここを出ていくのか」

またか、と、思った。いつだったか、こうして同じように尋ねられた。欲望を日常で薄めて、何気なさを装い、あったかどうか分からないようにあいまいにさせながら。このときのオーブンは苦手だ。まなざしに欲を孕んだ、ひとりの男になってしまうから。

「結婚はしないよ」

結婚をするつもりがないのはほんとうだった。リンリンにいらないと言われる、その日まで、わたしはここで働き続ける。それがわたしのしあわせなのだと、他でもない自分で決めた。
オーブンがほっとした表情をした。わたしはそれに微笑みをかえす。

「卵焼きと、あとなにか、食べたいものがある?」
「肉が食べてえな」
「わかった。もうすこしまってて」

卵焼き器のとなりにフライパンを置いて、コンロのつまみを回す。カチカチと、やけに大きな音が鳴る。
わたしのしあわせには、リンリンの子どもたちも含まれている。かわいい子どもたち。彼らが大人になって、ここを出てゆくのを見届けるまでがわたしの仕事だ。だから今はまだ、かわいい子どもたちのままでいてほしい。巣立ってゆくそのときまで、わたしの前で、男にも、女にもならないで。