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02




寒くなるわよ、と言われた。いつまでたっても寝る支度をしないわたしに、同じ部屋の子がなにかを察したようだった。春島の影響をうける海域はおわって、すでにつぎの島の気候に変わっているらしい。どうして知っているのかたずねると、航海士と仲がいいから、とだけ返して、彼女はさっさとベットにもぐり込んでしまった。わたしはランプのほのかな明かりをたよりに、まだほどききっていない荷物から、ストールを引っ張りだす。ほつれがないことを確認しながら、昨日の夜、彼女がこっそり部屋を抜けだしていたことを思い出した。白ヒゲさまの船は、ナース以外に女はいない。眠気まなこに、彼女の行動が不思議でならなかったが、そういうことだったのかとやっと理解した。わたしも今から、彼女とおなじことをするのだ。
ランプの火を吹き消して、そっと部屋を出る。肩にストールをかけ、仄暗い通路を歩いていって、甲板につづくドアの取手にふれた。頑丈な扉には、まるく切りとられた夜が貼りつけられている。星はひとつもでていなくて、真っ黒に塗りつぶされた曇り空だ。すこし力を入れると、隙間から波の音が忍びこんでくる。なんだかそれが怖くて、ふたたびドアを閉めてしまった。

「ずっとそうしてるつもりかよい」

背後から声がきこえた。上から手が添えられて、あっというまにわたしは潮風にさらされる。まっくらな中で、べたついた風がびゅうびゅうと吹いている。慣れないものが恐ろしく、圧倒されて固まっていると、マルコさんが腕をつかんでわたしを甲板に連れてゆく。

「よく見てろよい」

端のほうまでいくと、マルコさんが足をとめた。わたしから離れた指先にあおい明かりがちいさくともる。ちろちろとしていた火がふっと消えたかと思うと、つぎの瞬間、一気に燃えあがった。吹きすさぶ風などものともせず炎は空まで伸びると、身体の端から心臓にむけて広がって、あっという間にマルコさんの全身を包んだ。そしてうねりながら、人から鳥へと形を変えてゆく。

「すごい」

思わず感嘆の声がもれた。ひとかたまりの炎が、自由に空を飛ぶ大きな翼になり、いくつもの輪が連なったような金の尾になり、そして弧を描く鋭い鉤爪になった。マルコさんは鳥になっても背が高くて、その顔はわたしとほぼ同じところにみえる。
穏やかに絶えることなく燃える火は、暗闇のなかではかがやいていて、おごそかなあおい光があたりを照らす。なんども訪れた、故郷にある透明な海の中にいるようだった。
これが、わたしの夢みたうつくしい鳥。
手を伸ばしてふれると、滲むようなあたたかさがゆっくりと伝わってくる。本来なら体を覆うはずの羽毛はほとんどなくて、かわりに炎がゆらめいていた。
わたしは彼をなでながら、燃える火の感触を言い表すことができなくて、とまどいがちにマルコさんをみつめた。その瞳は、すこし笑っている。

「楽しいかよい」
「あの、気を悪くしたのなら、ごめんなさい」

手を離そうとすると、そのままでいい、と止められた。それならと思って、わたしはマルコさんの胸にそっと耳をそばだてる。ゆっくりと上下するのにあわせて、鼓動の音がきこえる。そのことに安心して、ひっそりと息をついた。
わたしがあの鳥をふたたび見ることができたことも、こうして触れていることも、すべて現実だ。目の前の彼はたしかに生きていて、幻のように消えてしまうことはない。

「さえこ」

マルコさんがわたしを呼んだ。優しくすがめられた目にいざなわれるまま、嘴にキスをする。

「マルコさん」

あおく燃える腕が身体を抱きあげた。肩にかけていたストールがすべり落ちて、夜の海に吸い込まれる。最後にもういちど、彼がわたしの名前を呼んだ。



どこもかしこも燃えるように熱かった。うつくしいあおい火が身体をつつみ、あんなにも穏やかだったのが嘘のように牙をむいている。あつくてあつくて、焼け死んでしまうような気さえして、助けを求めるように必死にマルコさんにすがりつく。すると彼はうれしそうにわたしを抱きしめて、なだめるようにキスをした。



目覚めると、となりにはだれもいなかった。すっかり冷たくなったシーツと騒がしくなってきた船内が、朝の時間にはすこし遅いことを物語っている。わたしは放りだされている服を身につけて、書き置きを読まずにくしゃくしゃに丸めてポケットにつっこんだ。ちかくに足音がしなくなったのを確認して、わたしは甲板にむかった。
朝には遅くとも、冬島の気候に近いので外は寒かった。そのせいで、人はあまりいない。木箱が積まれているその陰にうずくまって、海を眺める。
わたしの生まれは夏が暑いぶん、冬もあたたかいところだ。だけどつぎの島は、たぶん一年のほとんどがつめたい場所なのだろう。わたしは冬も、その厳しい寒さも苦手だった。
モビーディック号が低くないた。島が近くなると、汽笛を鳴らすのがきまりだ。吐く息がうっすらと白くなる。とおくに、ぶ厚い雲をかかげた島影があらわれた。