「…今、何て言った?」

コムイの引きつった表情に、アレンは苦笑いし、神田は憮然とした表情をした。その場に居合わせたラビも、予想が当たったと嬉しそうに、にやりと笑った。

「なんであの部屋入っちゃったのアレンくん…」

「す、すみませんでした…」

本気で肩を落とすコムイに、更に小さくなりながら萎みそうな声で謝る。そんなにまずかった?と神田に視線を向けるも、すぐに逸らされてしまう。
今彼らがいるのは室長室。凄く大事な話がある、と真っ青になりながら言ってきたアレンに、コムイも無下に断ることは出来ず、だったら室長室で話そうということになった。そこで話題になったのが、アレンが口に含んでしまった赤い液体――ヴァンパイアの血についてだった。

「あれが本物の血なのか、コムイさんが作った怪しい薬なのか、色々考えたんですけど…」

「…あの部屋はもともと科学班が使ってたんだけど、今はただの資料室なんだ。まさかまだ残ってたなんて…」

「あの赤い液体、何なんですか?」

「…君たちの予想通り、ヴァンパイアの血だよ。本物のね」

どうしてそんなものが、とか、ヴァンパイアなんて本当に実在したのか、という疑問さえも言葉に出ないくらい、アレンは激しく動揺した。
分かってはいたことだ。でも心のどこかで外れて欲しいと思っていた。
コムイの作った薬なら、治せる方法があった筈だ。しかしそれが作られた物でなく、ましてや人外の得体の知れないものなら話は別だ。
もしかしたらもう戻れないかもしれない。一生人の生き血に飢えて過ごさなければならないかもしれない。
そんな不安がアレンの胸中に渦巻く。

「……戻る、方法は…」

漸く紡ぎだせた一言は、思った以上に震えていた。
コムイでさえ、話を聞いた時驚いて動揺していた。希望は持てない。

「…残念だけど、前例を見たことがなくてね。人間に戻れるかは、はっきり言って分からない」

「…っ」

「あれはもともと、偶然見つけた本物のヴァンパイアから採取した原液でね。研究の為に使わせて貰ってたんだ。けどこれといった結果が出なくて、途中で断念したけど…まさか原液を飲んでヴァンパイアになるなんて思わなかったよ。しかもほんの少量で。伝説通りなら、ヴァンパイアに噛まれてヴァンパイアになるってのがあるけどね」

戻れる可能性はゼロに近い。
そう言われた気がした。

「要するに、戻る方法はねえってことか?」

「…そうだね。こちらでも血清が作れないかやってみるよ」

「…ありがとう、ございます」

「ただ、人外の生物だから、上手くいくかは分からないし、時間はかかると思う」

「構いません。よろしくお願いします」

戻れるのなら、多少時間がかかるくらい気にしない。血清が上手くいくのを祈るように、真剣な表情でコムイを見つめる。
資料室に入ったあの時の自分を止められるのなら、今すぐ必死で止めに行きたい。それほどまでにアレンは資料室に入ったことを後悔した。






室長室を出た三人は、重苦しい沈黙の中食堂へと向かっていた。
今は朝の八時。食堂が混みだす、ピーク時だ。

「…アレン」

最初に沈黙を破ったのは、ラビだった。

「何ですか?」

「今までの空腹は、血に飢えてたのが原因だったんだろ?」

「ええ」

「…今は、大丈夫なんか?」

「今までの空腹感が嘘のように消えてます」

「…………まさか、血を飲んだんか?」

「…………………ええ。あれは仕方なかったと割り切るしかないでしょう」

とんだ化け物になったものだ。
そう言っていたクロウリーの姿を思い出す。
今なら、分かるかもしれない。クロウリーの場合はイノセンスによるものだが、アレンの場合、本物の化け物になったも同然。余計な混乱を招かない為にも、この事は黙っているようにと言われた。
ちなみに、血を飲んだことについては言ってない。

「…誰の?」

「…見れば分かるでしょう」

そう言ってアレンが向けた視線の先には、血の気の失せた白磁に近い顔色の神田が。

「え、ユウ!?」

マジで!?という視線を無視して、神田を見上げる。
やはり、顔色が悪い。歩くどころか立ち上がるのも辛い状態のはずだから、今すぐ休ませてあげたいというのが本音なのだが、本人がそれを断ったし、自分が強く言える立場じゃない。

「ユウ、顔真っ白さ。アレンどんだけ飲んだんさ?」

「結構飢えてたんで、かなり飲みました」

だから暫くは飲まず食わずでも大丈夫でしょう、と続ける。ラビはユウ大丈夫なんさ!?と神田に近寄るも、鬱陶しいとすぐに跳ね返されてしまう。こうなることは分かってるんだからあまり動かさないようにしてほしい、という視線はラビに気付かれることはなかった。
そうしてる間に食堂に着き、それぞれが欲しい物を頼む。アレンが僕はいいですと言えば、ジェリーは珍しいわねと驚いた表情をした。当然といえば当然の反応、アレンは苦笑を返すしかない。

「神田、蕎麦じゃなくて鉄分のある物を食べた方が…」

「うるせえ、俺の勝手だろ」

やはり蕎麦を頼んだ神田は、出されてすぐに食べる為に席に着いた。
自分が言えた立場ではないが、慮っての一言を一刀両断されて眉間に皺が寄る。いつものことだけど、腹が立つ。
神田の隣に座り、することもないので頬杖をついて辺りを見渡す。いつもと変わらない賑やかな風景。当たり前だったものが今は遠く感じられて、心細さを感じる。
いつか、戻れるだろうか。あの日だまりに。

「おーい、アレーン?目が虚ろになってんぞ?」

アレンと神田の前にグラタンとステーキを置きながら座ったラビは、アレンの目の前で手を左右に振る。ラビに視線を向けたアレンは、ラビの朝食に呆れた視線を送った。

「朝からヘビーなもの食べますね…」

「言っとくけど、アレンもヘビーなもの結構食ってるかんね」

「そうでしたっけ?」

「そうでした!」

こんなやり取りを交わしている間にも、神田は黙々と蕎麦を食べ進める。
パチン、という箸を置く音を合図に、二人は会話を止め、ラビはグラタンにスプーンを差し入れ、アレンもまた辺りを観察するように眺める。






アレンの行動の変化は、既に噂になり始めている。本当のことが皆に伝わるのも時間の問題だろう。
血清が出来るのが先か、皆に本当のことがばれるのが先か。
アレンは、無意識に拳を小さく握った。


2011.09.22
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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