鬼道の、あんなに弱々しい姿を見たのは初めてだった。
ぬくもりをあなたに
思えば、朝から様子がおかしかった気がする。
朝食をあまり食べていなかったし、呼び掛けへの反応も上の空って感じだった。練習の時でさえ、いつものようなキレのある動きが出来てなかった。
おまけに、顔が僅かに赤くなっていた。
…顔が、赤い?
まさか。
俺は練習が終わった後、周りの目を盗み、一人水道へ向かった鬼道を追った。
「よう、鬼道ちゃん」
「…不動か。何の用だ」
俺の呼び掛けに振り返った鬼道は、いつものように睨んではくるが、至って普通だった。でも、呼吸が僅かに乱れているのが見て取れた。
「別にぃ?なんでもねぇよ」
「…なんだそれは」
「…ただ一つ、気になることはあるけどな」
「!…なんだ?」
一瞬顔を強張らせた鬼道を見て、俺は確信した。
俺は一気に鬼道に詰め寄ると、額に手を当てた。
「!何す…」
「やっぱりな」
「っ!」
抵抗しようと、俺の手を振り払おうとするが、逆に俺がその手を掴み、顔を近付けた。
「熱、あんじゃねぇか」
「…うるさい」
「うるさくねぇよ。早く寝ないとマズいだろ」
額は凄く熱かった。かなりの高熱じゃないかと思って、ベッドで休むよう促しても、気丈に振る舞って行こうとしなかった。
「これくらい、の熱なら、大丈夫、だ。心配、ない」
「嘘言ってんじゃねぇよ。フラフラじゃねーか」
「そんなこと、な…」
「鬼道!?」
急に膝から崩折れた鬼道を、掴んでいた手に力を込め、咄嗟に支えた。
何回も呼び掛けてみるが、反応が一切なく、荒い呼吸が繰り返されるだけだった。
「ったく、無茶しやがって…」
鬼道の腕を自分の肩に回すと、誰にも見つからないように、鬼道の部屋へ向かった。
鬼道の部屋に着いた俺は、早速鬼道をベッドへ寝かせ、氷枕を用意した。体温計で測ってみたら、38度5分という数字を叩きだした。
かなりの高熱じゃねーか。
俺はベッドの傍らに椅子を置いて座った。そして、鬼道の寝顔をじっと見つめた。
普段つけているゴーグルは、邪魔だと思って外した。鬼道の素顔を見るのは、これが初めてだった。思ったより切れ長の目をしてるなと思ったところで、さらに気になることが出てきた。
瞳はどんな色をしているのか。
なんとなく気になって、無意識に鬼道に顔を近付けた。その時。
「…だれ、だ?」
「!」
鬼道が僅かに目を開き、焦点の合わない目でこちらを見てきた。俺は咄嗟に身を引き、高鳴る心臓を抑えるのに必死だった。鬼道に悟られないように平然を装いながら、いつもの調子で話しかける。
「目ぇ覚めたか」
それを聞いて、漸く焦点の合った瞳がこちらに向けられる。
「…不動か」
安心したように息をつくと、また目を閉じた。
何故安心したのか分からなかったが、先ほどよりも落ち着いた感じだった。だから、もう大丈夫だろうと思って離れようとしたら、ジャージの裾を掴まれた。
なんだと思って、そちらを見れば、鬼道が俺を見ていた。そして、小さな声で呟いた。
「傍に、いてくれないか」
俺は驚いた。
俺を嫌っているはずの鬼道から、そんな言葉が出てくるとは思わなかったからだ。
黙っている俺を見て、鬼道は瞳を不安げに揺らすと、また呟いた。
「…ダメか?」
熱があると人肌が恋しくなるとは、よく言ったもんだ。ここまで態度が変わるなんてな。
俺は、ふっと笑うと、椅子に座りなおした。
「今回だけだぜ」
「…ありがとう」
鬼道の意外な一面も見れたし、それでよしとしよう。
再び眠り始めた鬼道の額に手を置くと、誰にも聞こえないような小さな声で、呟いた。
「…おやすみ。鬼道」
2010.07.29