「皆が皆、あんたのことを好いてるなんて思いあがんじゃねぇ!そんなことして何が楽しい?傲慢な態度がいつか自分の身を滅ぼすってこと、よく覚えとけ!!」
…今思えば、よくあんなこと言えたなぁなんて思ってしまう。たった二回しか会ってない、しかも年上の財閥の坊っちゃんに。
肝が据わってたというか、恐いもの知らずというか。まぁ、それがきっかけで仲良くなったんだから、人生どう転がるか分からないって言葉に凄く頷ける。なんで仲良くなったのか、今でも不思議だ。
三年前に再会を約束して別れてから、久しぶりに会って感じたことは――懐かしさと、後ろめたさだった。
「じゃあ、お願いします」
「かしこまりました」
運転手の返事とともに、車が発進した。
今日は休日。でも午前から部活という景吾は、朝挨拶を交わしただけですぐに出て行ってしまった。午後も部活と言っていたから、一人でいるのは暇になるだろうと思った。そこで、リョーマが今日は部活無しだったのを思い出し、久しぶりに会いに行こうと思い立って今に至る。
使用人は自由に使っていいと景吾が言っていたから、申し訳なく思いながらも車を出してくれるよう頼んだら、快く引き受けてくれた。いや、もしかしたら快くではないかもしれないけど、深くは考えないようにした。
窓越しに見える初めての風景を楽しみながら、肩にかけた鞄の紐をギュッと握った。
暫くして指定した住所に着くと、お帰りの際はご連絡くださいと言って車は行ってしまった。
一息ついて、インターホンに手を伸ばす。ピンポーン、という音が耳に届き、暫くして玄関の戸が開かれた。現れたのは、リョーマだった。
「…拓人?」
「おはよー」
「来るなんて聞いてないんだけど」
驚きに目を瞠るリョーマに軽く挨拶すれば、不機嫌そうな表情で目を細められた。やっぱ突然訪問は駄目だったか。
「もしかして今日用事あった?」
「ないけど…まぁいいや。上がって」
「お邪魔しまーす」
先に入ったリョーマに続いて、僕も中に入る。初めて見る日本家屋に目がいき、キョロキョロと周りを見回す。景吾の豪邸はどちらかといえば洋風だから、日本らしさは感じられなかった。だから、純和風ってわけではないけど日本らしさ漂うこの家は、なんだか新鮮だった。
「お茶とファンタしかないけど」
「本当にファンタ好きだね。お茶お願いします」
通されたリビングに腰を落ち着けて、キッチンに入ったリョーマを見やる。どうやら家族はお出かけ中のようだ。誰もいない。
暫くして運ばれてきたお茶を、礼を言いながら受け取った。正面にリョーマが座る。
「なんで急に来たの?」
「んー…今日時間があったし、リョーマ部活ないの思い出して、よし行こう、と」
呆れたようなため息をつかれた。いや、本当に悪かったよ。急に訪ねてきて。
「前に電話で会いたいーって言ってたし」
「言ってない。一度は顔出せって言っただけ」
ちょっとからかったつもりだったけど、不貞腐れてしまったらしい。こうなると機嫌を戻すのは難しい。
すると、小さな呟きが微かに聞こえてきた。
「…これで、会えるのは最後なんだよね」
蚊の鳴くような、本当に小さな声。それでも、その言葉に含まれる悲しさ、寂寥感を感じ取り、返事が少し遅れてしまった。
「…そうだね。次会う時は葬式、かな」
「あとどれくらい生きられる?」
「もって一週間、もしかしたらそれより短いかもしんない」
治療受けてたらの話だけどね、と努めて明るく言ったものの、場に落ちた重苦しい雰囲気はなかなか払拭できるものではなかった。
それもそのはず。もうすぐ逝くという知人が目の前にいるのだから、明るくなれというのは無理な話。僕だって逆の立場だったらそうなってたはずだから。
「…僕なら大丈夫。どうせ治らないのなら、薬で生かされるくらいなら、やりたいことやって最期は幸せに逝きたい。前にそう言ったよね。その気持ちは変わらない」
リョーマと初めて会ったアメリカの病院。暫く経って打ち解けた時、そんなことを言った。死ぬことに躊躇いはない、生に未練はない、と。
「……だったら」
震える声が聞こえたかと思ったら、急に腕を掴まれビクッと肩を竦ませる。
「なんでこんなに手が震えてんだよ!?本当は死ぬのが怖いんじゃないの?」
滅多に感情を露にしないリョーマが声を張り上げたことに驚き、目を見開く。自分では気付かなかったけど、確かにリョーマに掴まれた腕は微かに震えていた。
眉間に皺を寄せ、何かを必死に堪えているリョーマに小さく微笑むと、ゆっくりリョーマの手を離した。
「…そりゃ、全然怖くないってわけじゃないよ。でも、景吾に会いたい一心で覚悟を決めてここに来た。今更覆すつもりもないし、後戻りもできない」
一拍おいて、なんて親不孝なんだろうねと呟いた。
一度薬を絶ってしまえば、治る可能性は格段に低くなる。既に何回も服用していない身体は、確実に死へと向かっている。もう後戻りできないのなら、精一杯やりたいことをやってしまった方が断然いい。
「…俺も前に言ったけど、拓人が決めたことなら止めるつもりはない。でも、残された方の気持ちも考えてよ」
「…そうだね。ごめん」
本気で謝ってないでしょ、と返され、ばれた?とおどけてみせたら頭を軽く叩かれた。地味に痛い。
「リョーマ、僕の最後の頼み、聞いてくれる?」
最後、という言葉に僅かに反応を示したけど、すぐに何?と返される。鞄の中を漁り、取り出した物をリョーマに差し出した。
「これ、葬式の時に景吾に渡してほしいんだ」
「手紙?でも俺、そのケーゴって人に会ったことない」
リョーマが受け取ったそれ――手紙は、シンプルな白い封筒で、表には何も書かれていない。裏には差出人として控えめに僕の名前が書かれている。
景吾については話したことあるけど、詳しいことは言ってない。
「フルネームは跡部景吾。多分知ってるはずだよ。テニスやってるし」
「ふーん。ま、いいや。分かった、渡しとく」
リョーマが了承の言葉を告げると、コップの中のお茶を飲み干して机に置き、用事は終わりとばかりに立ち上がった。鞄を肩にかける。
「じゃあ、用事は終わったし帰るよ。あまり長居できないしね」
「…そう。じゃ、サヨナラだね」
僕に続いて立ち上がったリョーマを先頭に玄関へ向かう。その間お互い無言で、歩く音だけが廊下に響く。それが今の僕達の気持ちを表しているようだった。
「…じゃあ、ね。さよなら、リョーマ」
「……さよなら」
玄関に着いてからも交わした言葉はこれだけで、僕達は別れた。リョーマはいつもと同じ無表情だったけど、瞳が暗く翳りを帯びていることには気付かないふりをした。
これが、リョーマを見た最後だった。
2012.2.21