Episode.0



俺は兄さんが嫌いだった。
一卵性の双子として生まれた俺たちは、生まれる前から、生まれてからもずっと一緒にいた。何をするにも一緒、最初はただの双子の兄としか捉えていなかった。だから何も思わなかった。
嫌悪感を抱き始めたのは、物心がつきはじめた頃だった。神無はよく寝込むようになり、一緒にいる時間が段々と減ってきた。いつも笑っていた兄さんは笑わなくなり、代わりに苦痛の表情を浮かべるようになった。それが、病弱で寝込むことの多い母さんの姿と重なって見えて、心の片隅で『怖い』と、そう思うようになった。いつかいなくなってしまう、その怖いという感情が当時の俺には理解出来なくて、ずっと『嫌い』だと思い続けていた。
その頃から、弱いものに興味が無くなり始めた。弱っていく母さんを見て、いつしかその考えが生まれてきた。弱ければ何も出来ない。だから神無も興味がない。一人強さだけを求める俺は、まさに一匹狼。片っ端から強そうな奴に勝負を挑んでは闘う毎日。帰りが遅いことに心配そうな表情を浮かべる神無と母さんでさえ、その時の俺には煩わしく感じた。
やがて妹、神楽が生まれ、生活は赤ん坊の神楽が中心になった。母さんは神楽に付きっきりになり、神無もそれを手伝うようになった。俺も言われれば手伝ったけど、それだけだ。それでも俺は何も言われなかった。神無がただ、じっと俺を見てくるだけだった。
ある日、久しぶりに体調の良くなった神無が「闘い方を教えて」と俺に言ってきた。急に何を言いだすのかと驚いたけど、その目は真剣だった。断る理由もないからと承諾し、二人で外に出ていくところで母さんに「風が強いから気を付けて」と声を掛けられた。これが、神無にとって最後の母さんの言葉になった。






その日は風が強く、雲行きが怪しい嵐の日だった。強いといってもそれほどでもなく、天敵の太陽が顔を出していなかったから丁度良かった。
家から歩いて数分、近くの岩場で俺たちは立ち止まった。この辺りでは一番広く、見晴らしのいいところだ。ただ、すぐ隣は切り立った崖、その下は荒れた海だから気を付けないといけないけど。
はっきり言って、兄さんは弱かった。動作が遅い、反応が鈍い、力が弱い、体力が無い…戦闘において真っ先に死ぬタイプだけど、必死についてこようとする姿は嫌じゃなかった。闘いたい、という夜兎の本能が兄さんにもあったのだと思った。それが嬉しかった。
夜兎といえども子どもの体力なんてたかが知れてるから、数十分で休憩を取った。体力のない兄さんなんて余計に息が上がり、額には汗が浮かんでいた。呼吸は荒かったけど、確かに顔は笑っていた。その時は何で笑っているのか理解出来なかったけど、今思えば久しぶりに俺と話せたことが嬉しかったんじゃないかな。必要最低限の日常会話ならしてたけど、こんなに一緒に長くいたのは本当に久しぶりだった。
休憩が終わり、始めようと声を掛けようとしたところで、一際強い風が俺たちを襲った。小さかった俺たちは簡単に吹き飛ばされ、足が地を離れた。反転した視界、気持ち悪い浮遊感、身動きが出来ない苛立ち。突然襲った事態に脳内の処理が追い付かず、混乱した状態で視界に入ったのは荒れた海。そして落下していく感覚に、漸く何が起きたか理解した。でも、理解したところで何が出来る訳でもなく、為す術なく重力に従って落ちていく俺の耳に叫び声が聞こえた。

「かむい!!」

俺と似た、それでいて違う声。風の抵抗を受けながら振り返ると、必死に俺に手を伸ばす兄さんがいた。俺は無意識にその手に縋りつき、兄さんにグッと力強く引き寄せられた。頭を抱え込まれ、耳を塞がれる。直後、身体が波に打ち付けられ、呼吸が出来なくなった。息苦しくても荒波に揉まれた状況で浮上することは難しく、酸欠で意識が朦朧としかけた。もしかしたら兄さんも同じだったかもしれない。それでも俺を抱える力は弱まるどころか一層強くなり、神無の必死さが伝わってきた。
不意に、鈍い音が荒れ狂う波の轟音の中で聞こえてきた。それはすぐ近くだった。目を開けられないから、何の音か分からなかった。

「…っ?」

気付けば、神無の抱き締める力が弱まっていた。引き離されるのが怖くて、慌ててしがみついた。
何故力が弱まったのか分からなかったけど、運良く近くの浜辺に打ち上げられ、数回激しく咳き込んでから顔を拭って、腕の中にいた兄さんを見た。
顔面蒼白で血の気がなく、力なくぐったりと目を閉じていた。俺と同じ色の髪には、真っ赤な血が付着していた。それを見て、海の中で何があったのか理解した。
身動き出来ない状態で、どこかの岩に頭をぶつけ、そのまま気を失ってしまった。だから腕の力が弱まったのだと。
ゆっくり身体を揺すってみるけど、全く反応を示さない。さらに強く揺すってみても、瞼は力なく閉じられたままだった。
初めて焦燥感を感じた。既に塞がっていてもおかしくない傷は、一向に塞がる気配を見せず、血が流れ続けた。傷なんてすぐに治るから処置の仕方なんて分からない。自分ではどうすることも出来ない。でもこのままでは兄さんが…。

「…何をやってんだ!」

海の轟音に負けないくらいの大声が、耳に届いた。声のした方を見れば、慌ててこちらに駆けてくる父親の姿。こんな嵐の日に出ていった俺たちを心配して来たと聞いて、初めて父親に感謝の気持ちを抱いた。これなら神無は助かるかもしれない。父親に抱かれる神無の姿を見て、安堵のため息をついた。






あれから数年。
身体は成長していくのに、一向に目を覚まさない神無は、さながら地球の童話、白雪姫のようだと思った。もしこれが本当に白雪姫ならキスで目覚めるかもしれないのに、何度そう思ったことか。そのたびに馬鹿らしいと嘲笑うけど、少し本気だったりして。残念ながら、一度も実行されたことはないけどね。

「…早く、声を聴かせてよ。兄さん」






Episode.0


(その数十分後、神無が姿を消した)


2011.11.22

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