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「銀ちゃん、私酢昆布買ってくるアル」
「あ?こんな時間に?」
「もうないネ。酢昆布が私を呼んでるアル」
「意味分かんねーよ」
そんなやり取りが万事屋でされたのが数分前。現在神楽はかぶき町の大通りを一人で歩いている。もうすぐ大好きな酢昆布が手に入る、と上機嫌で、時折笑いながら歩いていると、ふと視界に入ったピンク色に足を止めた。驚きで目を見開き、まさか、という思いで振り返ると、自分と同じ髪色をした少年が人ごみに紛れて消えてしまう瞬間が目に入った。
まさかそんな、気のせいであってほしかったという思いが神楽の胸中に渦巻く。でも何でここに、という疑問は、あることに気付いたことで霧散した。アイツが向かってたのは自分とは逆方向…つまり、万事屋のある方向だ。慌てて踵を返し、もと来た道を引き返す。先程までの上機嫌さは、とうに失せていた。
「何しに来たネ、バカ兄貴…!」
桂に渡されたメモ用紙の地図を元に歩き始めてから数分、万事屋銀ちゃんはもうすぐそこまで来ていた。
「っはぁ、はぁ…」
「待てやコルァァ!」
が、俺は全力で走っていた。後ろにはいかにもチンピラって感じの不逞浪士。
何故かって?理由は簡単。絡まれたのだ、奴らに。
桂の屋敷?を出てから数分、地図を見ながら歩いていると、前にいた人に気付かずぶつかってしまったのだ。俺の不注意、もちろん謝ったのだが、ぶつかった相手が悪かった。現代でいう不良、ヤンキー…ここの場合不逞浪士だったのが運のつきって奴だ。当然絡まれてしまい、嫌になって逃げ出して、今に至る。
「さっさと止まれー!」
何が嫌かって、そんなの、このしつこさに決まってる。何でこうも、この類いの人間ってこんなにしつこいんだろうか。困ったものだ。
いい加減疲れてきたし、そろそろ本気で撒かねーと…。
「よっ」
路地裏に曲がって全力疾走。何度も曲がれば、相手からどんどん遠ざかっていくのが分かった。どうやら撒けたようだ。良かった。
頃合いを計って大通りに出ると、スピードそのままに万事屋を目指す。
「あった!」
万事屋銀ちゃんの看板を発見。階段を一気に上り、上り切ったところでその場で座り込んでしまった。呼吸は荒く、心臓の音も頭の中で響いているように煩い。体力がないのと病み上がりが相まって、余計に疲れを感じやすいのかもしれない。走り終わった後特有の気持ち悪さが凄く不快だった。
暫く座って呼吸を落ち着けていると、後ろでガラッと戸が引かれる音がした。
「んだよこんな時間に…誰だ?」
振り返って、ビックリした。先程の階段を駆け上がる音が煩かったのだろう、家主の銀さんが鬱陶しそうに頭を掻きながら姿を現した。
まさか出てくるとは思ってなかった俺は驚きで固まった。そんな俺に気付いた銀さんは一瞬驚いた表情をしたが、すぐにいつもの死んだような目に戻り、身体をこちらに向けた。
「何、何か用なの?今営業時間外なんですけど」
漸く我に返った俺は、慌てて否定する。
「ち、違います!依頼ではありません!」
「じゃあ何?階段は静かに上れよ」
「あ、すみませんでした…」
「…ん?お前…」
銀さんが何かに気付いたように声を上げた。と同時に、段々声が近づいてきた。叫ぶような、女の子の声。間違いなくこっちに向かってきてる。…まさか。
「神威ィィィィ!!何しにきたネ!」
見上げた満天の星空…に、凄い形相をした赤いチャイナ服の女の子、神楽が跳び蹴りのポーズで突っ込んでくるのが見えた。全力疾走したばかりで体力を消耗しきっている俺に避ける力なんて残されている訳もなく、目を見開いたまま固まっていると、銀さんが急に前に飛び出してきて洞爺湖を構えた。
「えっ…」
「家壊す気かオメーはよォォォォォ!」
俺、というより家を守りたいらしい。見知らぬ人間ならなおのこと、当然と言えば当然だが、なんか悲しくなった。少しでも庇ってくれるかと期待した俺がバカだった。
神楽の蹴りが木刀に当たり、その風圧が俺にも当たる。銀さんは必死に耐えていた。
「退くネ銀ちゃん!」
「いきなりどうしたんだオメーはよ!」
「そこのバカ一発殴らないと気が済まないネ!」
神威と勘違いされてるらしい。凄い攻撃的だが、流石銀魂唯一と言っていいほど仲の悪い兄妹だ。元一般ピーポーの俺は気迫に負けそうになる。
「待て神楽!俺は神威じゃない!神無だ!」
「!?」
神楽は驚いた表情をした後、スタッと床に降りて俺の顔をまじまじと見つめた。眉間に皺を寄せ、睨むような視線を受けて内心冷や汗だらけ。へらっと笑えば、神楽は更に驚いた表情をしてポツリと呟いた。
「本当に…神無アルか…?」
「うん…初めまして、かな?それとも久しぶり?」
「初めましてアル!バカ兄貴ィ!」
じわりと涙を滲ませ、抱きついてきた神楽の頭を撫でて宥める。状況についていけない銀さんは、お前誰だ的な視線を俺に向けてくる。眉を下げ、困ったように笑えば、ため息を吐かれた。
「…神楽、部屋入るぞ」
「…」
銀さんの言葉に反応を示さず、いまだに抱きついたままの神楽を無理矢理引き剥がす訳にもいかず、肩を軽く叩いて離れるよう促す。
おとなしく離れてくれたが、掴まれた服の裾の皺は強く、手はギュッと握りしめられていた。離す気配がないそれに銀さんがまたため息を吐くと、顎でくいっと玄関を指し示し中に入るよう促され、頷いて返事を返した。銀さんの後に続いて神楽と一緒に玄関に入ると、引き戸を後ろ手で閉めた。