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「かーつらァァァァ!!」
「ちっ、相変わらずしつこい奴らだ」
今日も今日とて、攘夷志士である桂小太郎、別名狂乱の貴公子は、警察である真選組から逃げ回っていた。
今日はいつにもましてしつこく感じられ、内心うんざりしていた。最初こそ余裕を持って楽しんでいたが、流石に苛立ってきた。いい加減諦めてくれと思うものの、そんなの無理だと分かっているから何も言えない。彼らだって必死なのだ。
桂は裏道へ方向転換すると、近くにあった丁度いい大きさの木箱へ躊躇いなく蓋を開けると、中に入った。明かりが一切入らない程外の様子を窺える穴が無いが、音だけで判断するに、どうやら撒くことに成功したようだ。通り過ぎていく音を真剣に聞き、音が遠くなったところで僅かに蓋を開ける。町行く人々の中に、先程まで桂を追っていた黒服の姿は見当たらない。
一安心して蓋を開けた時、視界に自然の物ではないピンク色が映った。何だ?と疑問に思って振り返ってみると、箱の中には先着がいた。
「何故このようなところに…」
ピンク色の髪をした少年が、体を丸めて踞るように眠っていた。何故かは分からないが、微かに磯の臭いもする。髪が固まっていることから、海に浸かっていたと推測出来た。
「おい、起きろ。何故こんなところで…」
肩を揺すり、起こそうとしたが、額や頬に貼りついた髪の隙間から覗いた面差しが赤く蒸気していることに気付き、慌てて額に手を当てた。
「!熱い…」
かなりの高熱だ。本人が知らない内に勝手なことをするのもどうかと思ったが、このままでは悪化する、と少年を担ぎ上げると、箱から出て小走りで裏道を駆ける。
目指すは桂の本拠地となっている屋敷だ。
…あれ?なんか、ふわふわする…。俺、どうしたんだっけ…。確か、神威が暫く帰ってこなくて、それで部屋を出て…、…そうだ、地球に来たんだ。来たけど、海に落ちて、それで…。それで、どうしたっけ?駄目だ、思い出せない…。
ゆっくり瞼を持ち上げ、視界に映った天井に、ここはどこだと視線を巡らせる。襖が閉めきられ外の景色は分からないが、自分がいる部屋は和室のようだった。それなりに広いようだが、こんなところに来た覚えは全くない。
身体を起こそうと腕を動かしたが、怠くて重く感じられ、凄く動かしづらかった。思えば、呼吸も荒くて熱く、頭痛もする。もしかして熱?
「やっちまった…」
徐々に思い出してきた寝る前の出来事。風邪を引くとは思っていたが、まさか熱が出るとは…。
などと一人軽く沈んでいると、廊下から一人分の足音が聞こえてきた。障子に影が映り、スッと開かれたそこにいたのは。
「…起きたか。気分はどうだ?」
「…!?」
かの狂乱の貴公子、桂小太郎だった。
まさか地球で初めて会うのが桂とは…予想外。
「多少熱は下がったようだが、まだ安静にしてなければ」
上半身を起こしていた俺に近づき、額に手を当てられる。桂の手は、今の俺には冷たく感じられて、気持ち良かった。
肩を押されて布団に寝かせられると、掛け布団を肩まで掛けられる。
「…ここは?」
思っていたよりも小さい声だったが、何とか発することが出来た言葉を桂はしっかり聞き取ってくれた。
「ここは俺の屋敷だ」
「…名前、は?俺、神無」
「神無だな。俺は桂だ。それより何故、あのようなところにいたのだ?」
…桂って屋敷なんて持ってたっけ、という疑問はさておき。口振りからして、どうやら俺は桂に拾われたらしいが、何故と訊かれて本当のことを言っていいのか迷っていた。
仮にも俺は春雨の一員…ではないが、弟が団長やってて、俺はそこで住まわせてもらってて…関係があるかと訊かれたら答えはイエス。そして、昨日桂達が倒したのも春雨の一員。こんなところでギクシャクするのも嫌だし…うーん…。
「ちょっと家出紛いのことしてて…海に落ちて、それで寝る場所なかったから、あそこに…」
「なるほどな…。しかし、わざわざあのような木箱でなくとも…」
「日光に、弱いから…」
桂の言うことは最もだ。普通あんなところで寝たりしない。
力なく笑うと、何故か驚いた顔をされた。
「…まさか、夜兎なのか?」
え、何かマズった?
内心焦る俺を余所に、桂は何かに納得したように頷いた。
「通りで肌が白いと…神無の身内に、神楽という名の娘はおらぬか?」
「え、それ妹です」
「やはり…どこかで見たことある顔だと思ったんだ。俺の知り合いの所に、その娘がいる」
「そうなんですか?」
知ってるけどね。
「熱が下がったら、会うといい」
「…そうします」
それから一言二言交わして、桂は部屋を出た。
熱があるせいか、喋っただけで体力を奪われた気がする。大きく息を吐いて、再び目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、最後に見た神威の姿。いつもと同じ貼りつけたような笑みを浮かべ、それでも心配そうな色を僅かに滲ませていた弟に罪悪感が押し寄せてきた。熱が出たのは、神威の言うことを聞かなかった罰だ。爆発に巻き込まれそうになったのも、きっとそうに違いない。まだこの世界に来て――神威と会って数日しか経ってないけど、思えば一度も神威の言うことを聞いていない。いい加減にしないと、その内本当に痛い目見ることになるかもしれない。
などと、熱で浮かされた頭でつらつら考え一人勝手に苛まれていると、次第に眠気が襲ってきて、いつの間にか眠りについていた。