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「か、神威団長…っ!!」
「おい、やべえぞ…!」
急に目の前に現れた神威は俺に背を向け、殴りかかってきた拳を片手で受け止めていた。
「まさか逃げるなんてこと、しないよね」
拳を掴まれたままの天人は顔を真っ青にし、もう片方は既に立ち去ってしまった。仲間を見捨てて逃げたようだ、情けない。神威はわざわざ追いかけるつもりはないみたいだが、依然拳は掴まれたまま。僅かにミシミシと骨が軋む音が聞こえる気がするが、気のせい…だと思いたい。
こちらから表情は窺えないが、おそらく神威は笑っている。笑顔は殺しの作法だって言ってたし。
…ん?殺し?
「…って、ちょっと待て神威!」
「何、兄さん。俺今虫の居所が悪いんだけど」
「…えっと、そいつ、どうするつもり?」
「どうって…そんなの、殺すに決まってるだろ?神無に手を出したんだ。当然のことさ」
いやいや、当然じゃないから!
慌てて肩を掴むが、びくともしない。僅かに振り向いた、その表情は見たこともない驚く程感情の抜け切った無表情だった。
思わず手を引っ込めてしまったが、神威は無表情から一転、いつもの笑顔に戻ると天人を投げ飛ばした。壁に激突し、壁を凹ませる程の威力だった為に天人は気絶してしまったようで、床に伸びている。それでも尚攻撃の手を緩めようとしない神威は、俺の視界から消え、一気に天人に詰め寄った。
「あ…っ!」
漫画では散々見てきた殺しのシーン。あの時は何とも思わなかったが、現実で見るのとは訳が違う。
俺では引き止められない。それだけの力がない。ただ黙って殺されるのを見ているしかないのか。いくら悪口を言ってたって、そいつに腹が立ったと言っても、殺していい理由にはならない。
あらんかぎりの声で、力一杯叫んだ。
「神威!止めろ!!」
瞬間、天人の目の前で手は止まり、そのまま引っ込められた。それと同時に阿伏兎が姿を現し、現場の惨状に目を見開いた。
「団長、戻ってたのか?どうなってんだこりゃ」
「阿伏兎…」
阿伏兎が来れば、あとは大丈夫かな。
今の叫びで体力は底を着いたらしい。阿伏兎の呼び掛けを最後に、俺の意識はぷつりと途絶えた。
ふと目を開けると、そこには見慣れない、それでも見たことのある天井があった。どうやらここは神威の部屋らしい。
あれからどうなったのか。状況が全く読めない。
身体を起こそうとしたが、負荷が掛かって結局起こせなかった。何なんだ、と横に視線を向けると、そこには神威がいた。しかも顔が近い。…どうなってる?
よくよく見れば、神威がしがみつく形で俺に抱きついていた。本人は寝ているようだが、結構力が強い。がっちりホールドされて身動きが取れず、振りほどけない。
「…」
「目ェ覚めたか?」
視線を神威とは逆方向の隣に向けると、阿伏兎が壁に背を預けて片膝を立てて座り、こちらを見ていた。
「…あいつ、どうなった?」
「そのまま放ってある。殺してはねーよ」
「そっか…」
とりあえず安心だ。放置というのが気になるが、殺されなかっただけマシだと思ってもらうことにしよう。あのままだと確実に殺されてたからな。
「あれで分かったろ?ここは血の気の多い奴らの集まりだ。不用意に部屋を出てほしくなかったんだけどなぁ」
「神威…」
いつの間にか目を覚ました神威が、いつもの笑顔を浮かべて俺を見ていた。回された腕はそのまま、先程より強く抱き締められた。
「俺、出てく前に言ったよね。部屋を出るなって。何で出たの?」
「リハビリを兼ねた春雨見学……っい、ったぁ!ごめんって!悪かった!」
ギリギリと締め付けられ、ギブギブと言わんばかりにベッドを勢いよく叩いた。暫くして力は弱まったが、今度は頭を抱えられた。視界が暗くなり、僅かに息が苦しくなる。それからドアが開き、閉じる音が部屋に響いた。
阿伏兎が出て行ったのか?その疑問は神威の弱々しい声で掻き消された。
「…心臓が、止まるかと思った」
本当に小さな、今にも消えてしまいそうな声だった。動きを止め、神威の言葉に耳を傾ける。
「兄さんのことだから、俺の注意なんて聞かないだろうとは思ってた。だから心配で……早く仕事終わらせて来てみたら、予想通り…」
「…」
「兄さんが殴られそうになってるのが見えて、そしたら頭が真っ白になって…怖かった。兄さんは身体が弱いんだから、気を付けて」
「…ごめん」
改めて俺は、自分がした行動の軽率さに殴りたくなった。阿伏兎に迷惑かけて、神威に心配かけて…。
謝罪の意味も込めて、そっと神威の背中に腕を回すと、それに応えるように回された腕の力が強くなった。
2011.10.12