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気まぐれで行った渋谷で出会った少年、黒羽快斗。
彼は、小さい頃私と遊んだことがあると言う。が、私にはそんな記憶はない。名前にも聞き覚えがない。
正直、私は少年を疑った。
周りの喧騒を聞き流しながら、差し出された手を無言で見つめる。人懐っこい笑顔を浮かべていた黒羽くんは、何も反応を示さない私に段々顔を曇らせ、手を引っ込めた。
諦めたかと思ってため息を吐くと、急に目の前に白い鳩が現れた。
「っ!?」
目を丸くして驚いた私は、その鳩が黒羽くんの肩に留まるのを唖然と見ていた。
「驚いた?俺、マジック得意でさ。将来の夢はマジシャンなんだ」
さっきまでの曇った表情が一転、自信に満ちた表情でもう一羽鳩を出した。その鳩は私の頭上を一回転した後、黒羽くんの空いている肩の方に留まった。どうやらさっきの鳩は彼のマジックによるものだったらしい。確かに、どうやったのかも分からなかったから、腕は確かのようだ。が、それとこれとは別だ。
「…マジックは凄いと思うけど、私、あなたのことは…」
「あー、うん。覚えてないなら思い出してくれるまで待つから」
そんな日は来るのだろうか。
苦笑する相手になんとなく罪悪感が芽生えて、ごめん、と小さく呟いた。
「気にすんなって!覚えてないお前にしちゃ俺は見知らぬ人だし、いきなり馴れ馴れしくされても困るだけだよな」
明るく笑って見せるが、それでも落胆を隠しきれず、僅かに悲しげな表情が私の目に映る。知らない筈の少年が演技でここまで感情豊かに接してくる筈がないと思い、ここは彼の言葉を少し信用してみることにした。
「…分かりました。思い出せるのがいつになるか分かりませんが、それでも待ってくださるのなら」
「サンキュ、結希!無理して思い出そうとしなくていいからな。少しずつでいいから、待ってるぜ」
そう言って突き出された拳をビックリして見つめると、掌を反して一輪の赤い造花の薔薇を出現させた。よく見ると、その薔薇には折り畳まれた小さな紙が挟まれていた。
「これは再会出来た俺の気持ちと思って受け取って」
素直にそれを受け取ると、黒羽くんは引き止めて悪かったと言って、去って行ってしまった。混乱して慌てて呼び止めようとしたけど、人混みに紛れて姿は見えなくなっていた。
仕方なく受け取った薔薇に挟まれた紙を抜き取って広げてみると、そこには白地に黒の英語の羅列が。携帯のアドレスだろうか。
なんか買い物をする気も失せてしまって、近くのコンビニで昼食を買ってから帰路についた。
帰りの道でも帰ってからも気になるのは、渋谷で出会った黒羽快斗のこと。
私には記憶がないけど、彼は私の名前を知っていた。嘘を言っているようにも見えなかったから、本当に小さい頃に遊んだことがあるのだろう。
もしかしたら母なら知ってるかもしれないと思い、コンビニで買ったおにぎりの最後の一口を口に放り込んで、電話を手に取った。
数コール後、プツッと音が切れて聞こえてきたのは、母の眠そうな声だった。
『はーい、もしもしー…』
「…あー、時差のこと考えてなかった。ごめん。どこにいるの?」
『ヴェネチアよ。いいところだわ…』
「うん、それはなんとなく分かるから。ねぇ、訊きたいことがあるんだけど」
『何?』
「黒羽快斗って子、知ってる?」
『ええ、知ってるわ。よく一緒に遊んでくれたいい子だったわね』
「…そのことなんだけど、私覚えてないの。お母さんなら知ってるかと思ったんだけど…」
『まあ、仕方ないわね。結希小さかったし。戸棚にアルバムがある筈だから、それを見るといいかもしれないわ』
「分かった。ありがとう、お母さん。じゃあね」
礼を言ってから通話を切り、受話器を置いた。
母が知ってるってことは、黒羽くんの話は本当だ。アルバムまであるってことは、小さい頃の私と黒羽くんが一緒に載っている筈だ。
早速確認する為に戸棚を開けて、奥の方にあった大きなアルバムを取り出す。若干日焼けして色褪せた表紙が、時の流れを感じさせる。
机にアルバムを置いて、表紙を開く。一ページ目は、普通の家族写真が数枚収まっていた。次のページを開いた時、私の動きは止まった。
「…え………?」
擦れた呟きが部屋に響く。
そのページにある数枚の写真は、小さい頃の私と同い年くらいの小さな少年が一緒に写っているものばかりだった。その少年は、僅かに黒羽くんの面影があるから、この少年が黒羽くんだと分かった。これで黒羽くんが言ってたことは本当なんだと悟る。が、問題は写真の内容だった。
楽しそうに写っている、二人の子ども。私は、この光景に見覚えがなかった。他のページにある家族写真はちゃんと見覚えがある。どこに行った時のものか、どんな状況で撮ったものか、細かいことは分からなくても大体は覚えてる。でも、黒羽くんと写っているものだけが思い出せない。写真に印字されている日付は、どの写真もそんなに変わらない。時期が同じなら覚えてる筈なのに、なぜ。
「どういうこと…?」
なんで黒羽くんとの出来事だけ記憶にないの…?
いつの間にか日は傾き、時計の針は5時を指していた。
混乱する頭のまま私は携帯を手に取って、黒羽くんから貰ったアドレスを打ち込んだ。流石に貰っておいて何も返事を返さないのはどうかと思ったからだ。
黒羽くんとのことだけが記憶にないのが気が引ける。なんて送ればいいのか迷った挙げ句、ごく普通の内容になった。
‐‐‐‐‐‐
To.黒羽くん
‐‐‐‐‐‐
今日渋谷で会った倉科結希です。
まだ黒羽くんのことは思い出せませんが、黒羽くんの言ったことは信じます。思い出せるように頑張るので、よろしくお願いします。‐‐‐‐‐
五分後に返ってきた返事はこうだ。
‐‐‐‐‐
To.結希
‐‐‐‐‐
メールサンキュな!
もし思い出してくれたら、そん時は名前で呼んで欲しいなー…なんつってな(笑)
こっちこそよろしく!
‐‐‐‐‐
思わず微笑んでしまう内容に、自然と心の中にあった重りがストンと落ちた気がした。覚えていないという罪悪感から後ろめたさがあったが、気さくな黒羽くんの言葉に知らず救われた気がした。
その後、数回メールのやり取りをしてから、漸く携帯を閉じた。その頃には、すっかり日が暮れていて、慌てて電気をつけた。
2011.07.01
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