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「遅くなっちゃったなー…」

ぽつり、小さく呟いた言葉は車の音で掻き消された。
あれから数分。ビルから出た私は、真っ直ぐ家へと向かっている。予定より帰りが遅くなったけど、仕方ない。
マンションの前に着いたところで、自分の部屋を見上げてみる。真っ暗で、窓が閉まってる。特に何かされた様子はない。

「もう盗ってったのかな…」

見てても何かが分かるという訳でもないから、マンションへ入って自分の部屋へ向かう。
母に思ってたより帰りが遅かったことに心配されたけど、適当に言い訳をして、自室のドアを開ける。

「お、帰ってきた。お帰り、結希」

…パタン。
これは幻覚か?幻聴か?ああ、きっと疲れてるんだ。そうだ、そうに違いない。じゃなきゃ、とっくに出ていってる筈のキッドが目の前にいるなんてこと…。

「おいおい、いきなり閉めることないだろ」

現実逃避し始めた私の耳に入って来たのは、幻聴だと思った(思いたかった)キッドのもので。
呆れを含んだ声がドア越しに聞こえて、なぜまだいるのかという疑問を飲み込んで、もう一度ドアを開ける。見えた先には、先程と変わらない光景が映っていた。

「…なんでまだいるの?」

部屋に入り、後ろ手にドアを閉める。外からの月明かり以外の光源がない薄暗い部屋に、白い衣装はよく目立った。

「とりあえずご挨拶を、と思いまして」

そう言って懐から取り出された『オーシャンズティア』。…本物だ。

「これは、貴女にお返しします」

差し出された宝石を受け取ると、いつの間にかベランダの方へ出ていたキッドを見やる。
外からの風で、カーテンが揺れた。

「…まさか、わざわざ返す為に待ってたの?」

「それもありますが…貴女のことですから、気付かないだろうと思いまして」

「は?」

気付かないって、何が?
ていうか、口調が演技に戻ってるし。もう癖になってるのかな?

「屋上にて放ったカード…まだ見ていないでしょう?では、またお会いしましょう」

ハンググライダーを広げ、ベランダから飛び立った白い大きな鳥は、不敵な笑みを見せて去っていった。

「…カード?」

ふと、さっきのキッドの言葉が気になった。確か、キッドが放つのはトランプだった筈。それをわざわざカードと言うことは…。
慌ててしまっていたカードを取り出して紙面を見る。するとそこには。

「…何これ。暗号?」

真っ白な紙面に黒の字が並んでいる。シンプルなそれは、意味不明な言葉となっていた。

「…駄目だ。さっぱり解んない」

と言っても、ただの英文だが。
頭はそれなりにいいと自負しているが、唯一どうしても駄目なのが英語だった。中学レベルの問題も解けるかどうかすら危うい状態なのだ。本格的な英文が読める筈がない。

「あ、そういえば工藤くん…」

確か、彼なら読める筈だ。英語話してるところを見たことがある。明日会う時に読んで貰おう。
なんて他力本願なことを考えながら、私はいつもより早い就寝に着いた。






部活無所属…なんて不真面目な。
そう思ってる私自身が無所属なのだが、おかげで帰るのは早い。蘭の空手や園子のテニスみたいに、打ち込めるものがないのが原因だろう…と、私は思ってる。単に面倒くさいだけかもしれないが。
チャイムが鳴ると同時に鞄に必要な物だけ突っ込んで、周りの不思議そうな視線を無視して慌てて教室を出る。約束の時間に間に合うかどうか。
今朝、かなり久しぶりに工藤くんからメールが来た。もともとそんなにメールのやり取りはしない相手だったから、名前を見るのが凄く久しぶりな気がする。
曰く。

「四時に俺ん家に来い。待ってるからな」

…なんて簡素な。しかも命令形。
工藤くんの家は一回か二回ぐらい、蘭に連れられて行ったことがあるから、迷うことはない筈だ。しかし、問題は時間だ。ここ、帝丹から工藤くんの家までそれなりに距離はある。学校を出たのが約束時間の約15分前。…走らないと間に合わない。

「学校終わる時間考えてよね…っ!」

息切れしながら、愚痴や不満を溢していく。終わる時間くらい知ってるくせに、なぜ考えなかった…!
漸く工藤邸が見えて来た。門の前で立ち止まると、膝に手を付いて肩で息をする。久しぶりの全力疾走。かなり疲れた。もう膝が笑ってしまってる。

「…1分アウト。惜しかったな」

不意に聞こえて来た子どもの声に振り返れば、門の先には大きな眼鏡をかけた子ども…工藤くんがいた。
悠然とした態度の工藤くんを恨みがましく睨み付ければ、そう怒んなよと笑われた。

「オメー、普段運動してなかったろ?だから丁度いいと思ってな」

言いながら門の鍵を背伸びしながら開け、入れよと促される。いまだに落ち着かない心臓を宥め大きく深呼吸してから、立ち上がって門を開ける。後ろ手に閉めながら、小さな背中に着いて行く。

「まさか、工藤くんが小さくなってたとはなー…」

しみじみと小さく呟けば、苦笑混じりに返事が返ってきた。

「俺もまさか、今頃小学校に通うことになるとは思ってなかったな」

そりゃそうだ。
玄関に着いたところで、ドアを開けて中に入る。懸命に背伸びしてもドアノブに手が届かないところを見て、思わず笑ってしまったのは秘密だ。

「…サンキュ」

顔を赤くして礼を言う姿は何だか可愛かった。
工藤くんを中に入れてからドアを閉め、靴を脱いで上がる。久しぶりに見るが、相変わらずの豪邸だ。思わず感嘆の声を漏らしてしまう。

「そこに座って」

着いた先は広いリビング。この部屋へ来るのは初めてだった。
部屋を見渡していた私は、ソファーへ促されるままに座ると、工藤くんも向かいのソファーに座った。
お互い真剣な表情で向かい合う。痛い程の静寂。

「…まず最初に確認だ。このことを知ったら、命を狙われる可能性があるかもしれねぇ…それでも、オメーは聴くのか?」

沈黙を破ったのは、やけに真剣で、重みのある工藤くんの声だった。部屋の雰囲気とはとてもじゃないが、つりあわない。
それなりの事情があるだろうとは思ってた。でもまさか、それ程に危険なものだとは思わなかった。

「……話すと決めたのは工藤くんだよ。私なら、大丈夫だから」

言って微笑めば、目を僅かに見開いて、それから苦笑された。

「そういえばオメーはそんな奴だったな。…分かった、覚悟して聴けよ?それから、俺から聴いた話は全て他言無用…いいな?」

黙って小さく頷くと、工藤くんは静かに口を開いた。


2011.06.03

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