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最悪だ…。そう悪態ついてないとやってられない。あー、くっそ…。
「気持ち悪…」
せっかくの飛行船なのに、まさかの乗り物酔い。私、今まで酔ったことなかったのに…なんでだろう?
キッドに挑戦状を叩きつけた次郎吉おじさんの招待で、飛行船に乗ることになった私達。飛行船は初めてだったから、密かに楽しみにしていたのだ。だというのに…まさかの強敵、乗り物酔いが私を襲ってきた。各自に与えられた個室で休む私に、心配した蘭や子ども達が一緒にいる、と申し出てくれたのは嬉しかったが、せっかくの貴重な体験を無駄にしてはいけないと思い、丁重に断った。今は今回のメイン、天空の貴婦人を見に行っている。特に興味はないから見たいとは思わないけど、一人でいることが寂しかった。
どうしようか、とベッドでうつ伏せになりながら考えていると、携帯が着信のバイブを鳴らした。発信者は、黒羽くん。
‐‐‐‐‐
To.結希
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乗り物酔いしたって本当か?今一人?
‐‐‐‐‐
彼は今、キッドとしてこの飛行船に乗っている。どこでその情報を手に入れたのかは分からないけど、こうやって訊いてくるってことは、ここに来るってことだろう。大丈夫、今一人と返信をして暫く経つと、ドアをノックする音が聞こえた。
「…はい」
「頼まれていた物をお持ちしたのですが…よろしいですか?」
外からは男の声。勿論何かを頼んだ覚えはなく、警戒しながらドアに近づく。そこで、ふと先程のメールを思い出す。
もしここに黒羽くんがいるとしたら、変装している筈だ。だとしたら、ドアの向こうにいるのは…。
「…どうぞ」
「失礼します」
開けたドアの前には、ウェイトレスの格好をした一見どこにでもいそうな見知らぬ男がいた。手に持つトレイには、水が注がれたコップと薬が乗せられていた。
入室を許可し、男が部屋に入ってからドアを閉めると、男はトレイを机に置いて私を振り返った。
「乗り物酔いしたって聞いたけど、大丈夫か?」
その声は私の予想通り、キッド――黒羽くんのもので、心配そうに私を見つめた。今回はウェイトレスの変装で通すつもりらしい。
「大分おさまってきた。酔ったのなんて初めてだよ」
ベッドに座って傍らに立つ黒羽くんを見上げる。黒羽くんと分かっていても、目に映る姿は全くの別人で、何だか変な気分だ。
「それ、酔い止め薬だから、あんまり辛かったら飲めよ。じゃ、俺はやることあるからもう行くな」
「うん、ありがとう」
素直に礼を言えば、どういたしましてと笑顔で返ってきた。うーん、やっぱり変な気分だ。出ていく背中を見送りながら、そんなことを思う。
黒羽くんの言ったやることとは、天空の貴婦人の下見だろう。そうでなくとも、ウェイトレスとしての仕事、怪盗キッドとしての仕事があるのだ。ばれずに、且つ素早く的確にやらなければならないから、忙しいだろう。その合間を縫ってわざわざ薬を持ってきてくれたのだから、感謝しなければ。頑張れ、と小さく呟いてから、薬を飲んでベッドに仰向けに寝転がる。
「…皆、もう戻ってきたかな」
皆が天空の貴婦人のあるスカイデッキに向かってから、暫く経った。そろそろ戻ってくるか、もう戻って来てるかもしれない。酔いもおさまってきたし、行ってみるとしよう。
予想通り、皆はスカイデッキから戻って来ていて、各々寛いでいた。見知らぬ人もいたけど…取材関係だろうか。
やって来た私に気付いた園子と子ども達が、私のところに寄って来る。それぞれが、心配そうな表情だった。
「結希!あんた、もう大丈夫なの?」
「うん、大分おさまってきたし、一人でいてもつまらないしね」
「結希お姉さん、無理しないでね」
「ありがとう、歩美ちゃん」
ああなんて優しい子なんだ、と感動しながら、頭を撫でる。撫でられたことが嬉しいのか感謝されたのが嬉しいのか、歩美ちゃんは満面の笑みで可愛かった。
「結希姉ちゃん、天空の貴婦人見に行かなくていいの?今蘭姉ちゃんが見に行ってるけど」
「私はいいよ。興味ないし」
なるほど。蘭がいないのはその為か。
…ん?待てよ?これはあくまで私の予想だけど、黒羽くんは天空の貴婦人を下見に行ってる筈だ。そして今、蘭もそれを見に行ってる…てことは。蘭と黒羽くんが同じ場所に!?正体ばれなきゃいいけど…。黒羽くんなら大丈夫かな。
「あ、だったらケーキ食べる?もうすぐ出来るらしいから」
「そうだね。食べても大丈夫だといいけど」
「あー、そっか。気持ち悪くなったら残していいから」
そんな会話をしている間に、蘭がスカイデッキから戻って来た。私達に気付くと、こっちに向かって来た。が、なんか様子がおかしい。元気がないというか、不安そうな…。
「結希、もう大丈夫なの?」
「うん、おかげさまで。天空の貴婦人、どうだった?」
「…凄く綺麗だった。結希も見ればいいのに」
「私はいいの」
やっぱり様子がおかしい。天空の貴婦人について訊いた時、一瞬顔を強張らせた。もしかして、黒羽くんと何かあったのか?
「あ、ケーキ出来たみたい。座ろっか」
「「はーい」」
園子の言葉に嬉しそうに笑うと、子ども達は素直にそれぞれの席へ座った。私も空いてる席へ座ると、丁度ウェイトレスがケーキを運んで来た。その中には、変装した黒羽くんの姿もあった。
「どうぞ」
そう言って目の前に置かれたケーキはピンク色の苺味で、見た目が可愛らしい美味しそうな物だった。早速フォークを手に取り、一口分切り分けて口に入れる。甘酸っぱい美味しさが口内に広がり、思わず顔が綻ぶ。
別席の蘭と園子が何やら騒いでいるが、話題の中心はウェイトレスに変装した黒羽くんについてらしい。やっぱり何かやったんだな、黒羽くん。
暫くケーキを堪能していると、おじさんの悲鳴じみた声が聞こえてきた。
「なんじゃと!?」
驚いて振り向けば、携帯で誰かと話をしているが、その表情が険しかった。通話を切った後、取り繕うような笑みを皆に向けたけど、警察の方と頷きあって部屋を出て行く様子を見ると、何かが起きたのは丸分かりだ。工藤くんの方を見れば、彼もまた険しい表情をしていた。
重苦しい沈黙が辺りを支配し、皆一様に不安そうな表情になる。
数分後、部屋に戻って来たおじさんと警察の方々から、赤いシャム猫により、喫煙室に殺人バクテリアをばら撒かれたという情報がもたらされた。
2011.09.05
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