小説 | ナノ


恋というもの


いい加減退いてくれないだろうか。
苛々しながら密かに京極堂はそう思った。口に出さないのは例え伝えたとしてもどうせ笑顔で却下されるのが目に見えているからだ。

「名字君、」

「なぁに秋彦さん」

「…名前で呼ばないでくれ」

「だって今雪絵さんいらっしゃらないでしょ」

そういう問題じゃない。

「僕を押し倒すという奇行を百歩譲って許すとしても、それは止めてくれ」

「二人きりなんだからいいじゃないですか」

「よくない。それと何だ君は。此処へ来るなりこういうことをするというのは」

「今すぐ秋彦さんが欲しいの」

馬鹿らしい真剣さに苦虫を噛み潰したような顔で応える。

「馬鹿も休み休み言いたまえよ、君は学生であり女性だ。慎みというものを持ちなさい」

息継ぎをせずに一息で言い切れば名前はそれに膨れっ面を作り黙り込む。言い過ぎた気はしない。いつもの理解不能な言動には目を瞑っているのだからこの位許されるはずだ。そう思っていると、不意に名前が口を開いた。


「……『恋愛はただ性欲の詩的表現をうけたものである』」

「…うん?」

「『友情は多くは見せかけであり、恋は多くの愚かさにすぎない』『分別を忘れないような恋は、そもそも恋ではない』『恋愛とは二人で愚かになることだ』」

「…芥川龍之介、シェイクスピア、トーマス・ハーディ、ポール・ヴァレリーの言葉だね」

全て答えてみせれば笑顔がやや引きつっていた。こちらからしてみれば、あまり賢いとは言えない名前がどうしてこうも本から抜粋でき尚且つ覚えているのかが疑問でならない。

「さ、流石…全部当てられるとは思いませんでした」

「それで何が言いたい?」

膨れっ面から憎たらしくなる程の笑顔でにやりと笑い、さらりとこう言った。

「ねぇ秋彦さん。先人の言葉は敬い、聞き入れるべきじゃないですか?」

恋しましょ、と付け加えてからどうだとでも言いたそうにややふんぞり返る。一瞬言い負かしてやろうかと思ったが、嬉しそうな名前を見て気が変わった。


「先人達も悪くない言葉を残したな」


そう呟けば破顔した名前が目に入る。頭を撫でてやりながら顔を近づけ、唇同士が触れ合う直前にもう一言囁いてやった。


「      」

「っ…!」


先に誘ったくせに見る間に赤くなった彼女を心の中だけで笑った。





「一緒にとびきりの愚かになるかい?」







あとがき
この文中の言葉、戦後より前にできたものなのかよく分かりません。というより、こちらに伝わったのはいつか、も分かりません。どうか大目に見てやってください。