不治の病 静かな古本屋。今日はあの作家も探偵も刑事もいない。積み上げた本に囲まれた京極堂が読んでいる本のページがめくられる音だけが響く。 「京極さん」 その静寂の中、縁側へ向いて大人しく座っていた名前が小さく呼びかける。けれども京極堂は返事もせずに本に目を落としたままだった。 「私、このごろ体調が悪いんです」 そして名前も庭のどこかをぼんやり見つめながら話す。 「意味もなくある人の顔を思い出すんです。何度も、何時でも。で、思い出すとこれまた意味もなく胸が締めつけられるんです」 パラリとページがめくられた。 そんな些細な音さえはっきり聞こえるほど異様に静かだ。 「苦しくて苦しくて涙まで出るんです。その人に会いたいとか、側にいたいって思うだけで涙は止まらないんです」 名前の声はその静けさに染み入るように、否、どこか遠くで語りかけているようだ。 「だからこれは病気なんです。不治の病。私はいつか遠くない日に死んでしまう」 「それは本当に不治の病なのかい?」 ようやく顔を上げて口を開いた京極堂は、未だこちらを向かない名前を見た。 「その病気は治るよ。その人を忘れたり、他の人に目を向けるといい。きっとすぐよくなる」 「駄目なんです。私を侵食するその人は消えてくれない。永遠に」 名前もやっと京極堂に顔を向けた。その目は零れ落ちそうな涙を必死に押しとどめている。京極堂はそれに気づくと静かに立ち上がり名前のすぐ隣へ座って小さな子供に諭すように言った。 「どれだけその人を想っていても報われることはないだろう。それは一番君が分かっているはずだ」 優しく慈しむように、骨ばった幾分冷たい手で名前の頬を撫でる。名前はとうとう涙を溢れさせた。 「…知ってます、分かってるんです。その人が私を見てくれないことも、その人が、っ、千鶴子さんしか愛さないこと、も」 言葉に嗚咽が混じる。頬に触れていた手をやんわりと退け、俯いて両手で顔を覆った。 あぁ、また胸が苦しい。息が出来なくなりそうだ。喉から嗚咽が溢れ続けて止まらない、でも駄目だ、耐えなくてはいけない。 「…君は馬鹿だぜ。わざわざ僕みたいなのを選ばなくても他がいるだろうに」 いつもの人を嘲る口調とは随分と違う柔らかい声音。泣き続ける彼女の両手をそっと攫い、覗き込む。 「しかし、君を馬鹿だと言う僕も君と変わらない」 耳元に近づき小さな言葉を零した。 「僕も随分前から不治の病で困ってるんだ」 そっと唇が重なった。 「泣かないでくれ」 「だ、誰の所為ですか」 「そうだな、きっと僕だ」 彼は微かな笑みを浮かべ、もう一度唇を重ねる。それを離すまいとするかのように名前は両腕を京極堂の首に絡ませた。 京極堂も名前の腰と後頭部を強く引き寄せる。 「きょう、極さん」 「なんだい?」 「…私、この病気治らなくていいかもしれません」 「何だ、そんなことか」 もっと早く気づきたまえよと伝え、強く抱きしめる。 この胸の苦しさの原因が君ならば悪くない ← |