小説 | ナノ


三つの音


春眠暁を覚えず。
静かな寝息を立てながら船を漕ぐ名前を見てしみじみと思った。今はもう夏を迎え始めており春とは言い難いが、さぞ日差しが心地よいのだろう。
名前は机の上に本を広げたままで、船をこぐたび徐々に頭の位置が下がってきている。それに伴い上体も倒れていき、手が置かれている本が卓上を滑りながら彼女から遠ざかっていた。

「おい」

涎でも本に垂らされては適わないと声を掛けたが全くの無反応。呆れて溜め息をついたその時。

ごつん!
―鈍い音がした。

「〜〜〜〜〜!!」

見れば声にならない声を上げながら両手で額を抑えてもがく名前がいる。大方机に頭をぶつけたのだろう。いい気味だと小さく笑うとキッと鋭い目で睨んできた。その目には驚きと痛みの所為か少し涙が浮かんでいる。それもまた滑稽で鼻で笑うと、名前は手にあった本を掴んで

「京極堂!痛いじゃないふざけんな馬鹿たれっ!」

そう叫んであろうことか僕に向かって本を投げてきた。
もし小口をこちらに向けて投げたのなら中の頁が開き失速するのだろうが、運悪く背表紙側が勢いづいたまま顔面へと迫り。

そして僕はいかんせん反射神経があまりいい方ではない。

とっさに身構えた直後、衝撃と鈍い痛みがじわりと額に広がるのを感じる。
思わず顔をしかめるが痛む頭のことよりも先に本をぞんざいに扱ったこと、そして何事も無かったかのように再び眠り始めた名前に沸々と怒りがわいてくる。


側にあった新聞の束を丸め、おもむろに立ち上がった。すやすやと安らかに寝息をたてる『これ』目がけて大きく振りかぶり――



小気味よい音が盛大に



『いったぁ!?』
『起きろ粗忽者。いいか、常日頃言っているが何度言わせれば気が済むんだ。貸してやってる本は売り物だ。いや、本自体をぞんざいに扱うな。決して人への訳の分からない腹いせのためにあるのではないと理解できてないのか?そうなら君は関口君より知能が低いことになるぜ。そもそも君の読んでいた本は――』
『え?えぇ?』