「ホワイトデーだぜ」と檸檬が言い出した。俺は「それが?」と返して、既に肉塊となった男からナイフを返してもらった。
「それがってことがあるか?」
檸檬は死体を適当に踏みつけながらこちらへ寄ってくる。
「少なくとも、今話すことじゃない」
いくら、相手が弱くて残りは手負いの一人きりであったとしても気を抜くべきではないし、悪戯に長引かせるべきでもない。檸檬は最後の一人を撃ち殺してから不満そうに言った。
「なら、いつ話す?」
「帰りにでも聞いてやる」
「帰り?」
今じゃなくてか。と顔に書いてあるが、今日の仕事は殺したら終わりというものでは無い。死体の処理をする業者に引き渡すところまでやらなければならなかった。
「まあいいか。けど覚えておけよ。俺が思い出したからよかったものの、時間はあんまりねえんだからな」
三月十二日、二十二時の会話である。ホワイトデーは明後日だ。

仕事を終えるとホテルで一泊し、朝食を食べていてもホワイトデーの話をしないものだから、寝ているうちに忘れたのかもしれなかった。
それならそれでいいか、と俺が文庫本をカバンから出すと、そのタイミングを見計らっていたかのように檸檬が言った。ぴ、と人差し指を立てている。
「つまり、ホワイトデーは明日だ」
バレンタインデーの一ヶ月後がホワイトデー。無論知ってはいるし、檸檬はなまえの話がしたいのだろうということもわかっているが「……それで?」俺にはわざわざホワイトデーに返礼をする必要性がわからなかった。檸檬はマジかお前と目を見開く。
「俺たちは何も用意してないだろ」
「ひと月前に一緒に買いに行っただろうが」
「一緒に菓子作りはしてない」
「ああ」
そういうことか。檸檬にしては細かいことを言い出したものだ。いや、元々よく分からないことにこだわる所がある。今回のはそれだろう。なまえの手作りの菓子に相当するものを返そうと思っているらしかった。
「必要か?」
檸檬は盛大にため息をつく。
「じゃあお前はなにもしないんだな? そういうことなら好きにやらせてもらうからな」
それがいい、と思うが。俺と檸檬とは同じような扱いであるのに、俺と檸檬とが違うことをするというのはどうなのだろう。いや、常に違ってはいるだろうが、同じことをして檸檬からはなにかお返しがあり、俺からはなにもなかった場合、こう思うのではないか。「蜜柑からはなかったなあ」差程気にはしないだろうが、思わない、ということはないだろう。「待て」この話を打ち切るのはまだ早い。
「おまえは何を渡すつもりなんだ」
そうこなくちゃな、と檸檬は笑った。
「今のところ、第一候補はチョコレートパーシーだ」
「正気か」
「かわいいだろうが」
笑っていたが、途端に鼻息を荒くして怒っていた。反応に困るなまえの姿が目に浮かぶようである。「なら、おまえならどうする?」俺ならば。
「花とかなんじゃないのか」
「正気か?」
「お前にだけは言われたくない」
ぶん殴ってやろうかと思ったが、どうにか耐えて息を吐く。おそらく、なまえであれば何を渡したところで良いように捉えてくれるだろう。
「なら、菓子だろう。無難だしな」
「得意先に菓子折を持っていくんじゃないんだぜ?」
「ならどうしろってんだ」
今度は俺が怒る番だった。檸檬は何を考えているのか「怒るなよ」と両手を上げて、息を吐いた。「それがわかれば、おまえを巻き込んでやったりしない」どうしたらいいのか。一発殴ってきた奴にお返しするのとは訳が違う。その理屈で言うなら同じものを倍にして返すのがいい、ということになる。だが、しかし。
「時間の無駄だ」
「なんだよ?」
「いいか。こんなのはな、本人に直接聞けばいい」
「まあな、サプライズに気合を入れすぎて事故が起こる、なんてことも有り得る」
「一番確実な方法でいいんだ」
本人に欲しいものを聞く。必要なものでもいい。なにか家事を手伝うのでもいいだろう。「そういうわけなんだが」俺たちにできることであればなんでもやる。そういう気持ちでなまえを見た。
なまえは「なるほど」と、俺たちの前にお茶を出しながら笑っていた。少し間が悪かったのか、やや疲れているような顔をしている。
「なにがいい?」
「うーん……」
悩んでいると彼女の携帯電話が震えた。彼女は即座に電源を落とし、優先順位をハッキリさせる。
「……なんでもいいですか?」
俺も檸檬もおや、と思う。何か要求されることなんてないかもしれないと思っていたから、その問いかけは予想していなかった。一秒に満たない間檸檬と眼を合わせて「ああ」と言う。「なんでもいい」
「明日、学校が終わったら迎えに来て貰えませんか。で、仲良く焼肉食べに行きましょう」
そんなことくらいなら、いつだってやる。「私の奢りで」などと言っているが払わせるわけが無い。
そのお願いは、なまえが思わず、奢ります、などと言いたくなるくらい彼女にとって申し訳ないことなのだろうか。
檸檬も珍しく真顔で考えている。俺たちの返事が遅いせいでなまえは「駄目かな」と俯いた。
「駄目じゃねえけど、それってよ」
「焼肉が食いたい、とかそんな理由じゃないだろう」
そこを教えて貰えなければ、適切に協力できるかわからない。なまえは「うーん」と少し渋って携帯電話を持ってきた。
「実はちょっと困ってて」
着信履歴、メールの受信ボックスに同じ名前が連なっている。見ている間にも電話がかかってきている。「ストーカーか?」なまえは電源を落とすと「そこまでではないけど」と笑った。「時間の問題だろうな」檸檬が言う。同意見だ。
俺はぐっとなまえの肩を抱き、顔を寄せる。携帯電話を見下ろすなまえと同じ高さに顔を持ってきて、同じように彼女の悩みの種を見た。
仲のいい男がいるのだと見せて、諦めてもらう作戦なのだろうとわかった。俺たちを利用しているようで気が咎めるのか、彼女は「ごめんね」と呟いた。「やっぱり、こういうのは自分でなんとか」無理やり笑い飛ばそうとする。そんなことを許すはずがない。こちらに顔を向けたタイミングでキスをした。「あ」というのは檸檬の声だ。
「……もっと手っ取り早い方法があるが?」
そんな、普通の男に頼むような撃退方法ではなくて。もっと確実に成果をあげられる。望むのなら、二度と視界に入らないようにすることも難しくはない。
簡単なことだ。俺が答えを待ってサラリと髪を撫でると、なまえは静かに涙を流す。思考が止まる音がした。ついでに呼吸も止まったかもしれない。
「……いいえ、それはやめて下さい」
檸檬がなまえの体を引いて、ぎゅ、と抱きしめる。頭を撫でて、袖に涙を吸わせている。
「何泣かせてんだ」
「泣くなんて思ってない」
「よしよし、蜜柑ちゃんが怖かったな」
怖がる? 怖いことがあったとしても、今更俺を怖がるということは無いはずだ。なにか別のことが、なまえの中で引っかかったに違いない。
なまえもおかしなところで躓いたとわかっているようで、恥ずかしそうに前髪に触れた。
「大丈夫です、ただ、今私の中を最悪の想像が」
なまえは檸檬に撫でられながらぽつぽつと話をした。「まあその、私にとって彼は、大変に迷惑ではあるんですけど」言いながら携帯電話を爪で叩く。彼とは、ストーカー野郎のことらしい。「毎日楽しそうですよね。それが悪いこととは、思ってもないのかもしれない」けれど、なまえは言う。「私が二人に、お願いしますって一言言うだけであの人は死んでしまうんだと思うと」人が人を殺す理由などそんなものなのだ。俺たちはよく知っている。
「怖いなと思って」
「怖い?」
「うん。いつか、誰かの殺意が二人に向くこともあるのかもしれないって思ったら」
殺されそうになることなんて珍しいとは言えない毎日だ。周りは敵ばかりで、恨みを買うこともある。なまえは少し手を伸ばして俺と檸檬の手を握った。今ここにいる俺と檸檬の手だ。
「明日はよろしくお願いします」
まだ迷っている様子だったが、なまえは俺たちを信じて笑った。それでいい、と俺達も笑う。
「まかせておけよ。平和的に解決してやるからさ」
「ああ。周りが引く程いちゃついてやろう」
それでもなまえは心細そうにしていたので、夜通し構い倒してやった。


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