蜜柑からは事前に連絡があったが、檸檬からはなかった。いつもの事である。示し合わせた訳では無いだろうが、二人で仕事をしていることが多いので、休みが被りがちなのだろう。時間差はあったが二人ともが昨日の夜からやって来て、今日は私の家で休日を謳歌するつもりであるようだ。
だから、私が出かける用意を始めると二人揃って驚いていた
「出かけるのか」
「うん。チョコレート買いに」
「チョコ? バレンタインのか」
「冷蔵庫に入ってるやつは違うのかよ」
檸檬は既に冷蔵庫のブラウニーを発見していたらしい。親指を反らせて冷蔵庫を指さした。違わない。「それは二人に」食べてもらおうと作ったものである。昼過ぎにでも出すつもりだったものだ。
「じゃあ、今から買いに行くのは誰用なんだよ」
「自分用です」
「自分用」
自分用だ。コートを羽織って髪を外へ出す。部屋は好きに使って下さい。そう言おうとしたが、檸檬が立ち上がって同じようにコートを羽織った。
「俺も行く」
「えっ」
檸檬は驚かれたのが不満だったようできゅっと眉間に皺を寄せる。置いていこうとしたところから面白くはなかったようだ。
「なんだよ、駄目なのか。檸檬様が一緒だとなにか問題でもあるのかよ?」
「いや、今から行くところすごい混んでてすごい人が多いし、私多分それなりに悩むから待たせるし、同じとこぐるぐる回ると思いますよ」
「なんだよそれ」
「俺は気にしない」
「あ?」蜜柑もいつの間にかコートを着て、準備万端という風である。読んでいた文庫本をしまって私のマフラーの位置を直した。折角いい感じの位置になったマフラーは、檸檬が引っ張ったので元よりもひどくなり首が締まった。
マフラーの上から檸檬が腕を回す。
「蜜柑ちゃんは待ってていいぜ。お留守番だ」
「おまえこそ無理するな。途中で不機嫌になっても誰も責任を取らないぞ」
「人が多いとか無駄に迷うとか、そういうことで怒るのはおまえの方だろうが」
どちらも断固一緒に来るつもりであることはわかった。一人で行って一人で帰ってくるつもりだったが、二人がいる時に出かけようとした時点でこうなることも予測していた。
「本当に行くんですか?」
「行く」
声を揃えてそう言ったので「本当に、人が多いですからね」と念を押した。



百貨店の十階に、期間限定でチョコレートの店が集まっている。先月からテレビでも話題で、朝から結構な人が並び、午前中でなければ買えないものも多くある。そういう人気商品を全て買うためには、一体どれだけの私が必要なのだろうか。年々人が増えているので、年々難しくなっているのだろう。
檸檬と蜜柑に今から行く場所について説明する為、事前に貰ってきていた小冊子を見せた。「狙いは?」と聞かれて「どうしましょうね」と言うと二人して目を合わせていた。珍しい、と顔に書いてある。が、私は結構適当に生きている。彼らは私を買い被っているのである。
彼らから小冊子を返して貰うと、ぱらぱらと捲り一通り見直してから鞄にしまった。写真では、正直同じに見える。そもそも何を買うか決めて行っても実際に並んでいるのを見たら気が変わる、ということもあるだろう。
三人で座れる席がなかったので、電車の出入口付近で各々適当に過ごしている。檸檬は外を見ていて、蜜柑は携帯電話を触っている。
二人は、私がもし何も買わずに帰ったら怒るだろうか。
怒らせたら申し訳ない。そんなことを考えていると、電車が大きく揺れて蜜柑に支えられてしまった。
「ありがとうございます」
「いいや」
静かな瞳が私を見下ろして、私を支えた手のひらは私の顔に添えられた。親指で額を撫でている。「うん?」「いいや、ただ」蜜柑は何か言いかけたが、檸檬の腕が割って入って遮った。
「檸檬?」
「気にするなよ。電車が揺れただけだ」
丁度今、電車に乗ってきた人がぎょっとしてこちらを遠巻きにするのを見た。檸檬は私の手を握ってから「見ろよ」と窓の外を指さした。蜜柑も蜜柑で私の傍にぴったりとくっついて、しかし、檸檬の示した方向を見ようとはしなかった。
「なまえ」
それどころか私の名前を呼び、檸檬が示した方向とは反対方向を向くよう誘導してくる。「え、あの」檸檬は「こっちを見ろって」と言っている。どちらかの言うことを聞いたらどちらかが今日はずっと拗ねてしまうのだろう。そういう未来が見えたので「到着したら!」と別の話をはじめさせてもらった。二人がじっと私を見る。顔が似ていると思ったことはないが、こういう時、二人ともが同じ雰囲気を纏っている。
「到着したら、というか、会場に着いてやばいなと思ったら遠慮なく適当な場所で待ってもらうか、先に帰ってもらって大丈夫ですからね」
「だそうだぞ、檸檬」
「俺は別に嫌じゃねえよ。殺したくはなるかも知れないけどな」
このあたりだけ異様な雰囲気だ。ちょっと買い物に行くくらいならいいが、二人と一緒に出掛けるとなるとこうなりがちである。「ええっと」私が何か喋るべきなのだろう。言うべきことはあったかどうか。「あ、そういえば、友達が言ってたんですけどね」鞄に仕舞った冊子を再度取り出しぱしぱしと叩く。
「今年はライムと南国フルーツがトレンドっぽいです」
「チョコレートにもトレンドがあるのか」
「あるみたいですよ。私はあんまり気にしてなかったんですけど」
「どれも同じに見えるけどな」
「おまえの好きな機関車ほどじゃないが」
「トーマス君と仲間達は全部違うだろうが」
「そうだったか」
「そう言うおまえの好きな小説も、小難しいばっかりで全部同じだ」
「この違いの分からない男を連れて来たのは間違いだったんじゃないか」
「おまえにはチョコレートの違いがわかるのかよ」
とうとうこうまでして買いに行くべきか悩ましくなってきた。今からでもラーメンでも食べて帰るべきなのではないだろうか。私は二人の言い合いを見守っている。気を逸らす方法を考えることも忘れてはいないのだが、名案を思い付く前に「なまえはどう思う?」と巻き込まれてしまった。仕方がない。
「私は、二人が一緒にきてくれて本当は嬉しいですよ」
この状況をどうにかするには本音を言うしかなかった。
「あれこれ言いましたけど、最初から最後まで付き合ってくれたら、とても嬉しい」



「マジでやばいな」檸檬が言うと蜜柑も「そうだな……」と引き気味であった。だから散々大丈夫かと聞いたのだが、私はもう帰っていいともその辺で適当に時間を潰していてほしいとも言わずにふらふらと人の波に飲まれていく。適当な店舗の前で立ち止まったり、店員さんに声をかけられたり、商品リストを貰ったり、チョコレートの好みを聞かれたりした。二人はやばいと言ったが、最終日は平日なだけあってそれほどでもないように思えた。去年は確か、歩くのも大変な程人がいた。
檸檬が「この列はどこまで続いているんだよ」と列の最後尾を探したり、蜜柑が「こんなところに目的もなく来るのは無謀だったんじゃないか」と私に言ったりした。目的はあるのだ。チョコレートを買いたい。ただ、計画性はなかったかもしれない。
「いや、その、トレンドについて教えてくれた友達の話したじゃないですか」
「ああ」
「その人の話を聞いて、もしかしたら、私の今までのバレンタインの楽しみ方は浅かったんじゃないかって思って」
「おまえはそういうところがあるよな」
蜜柑も檸檬も頷いて、人を避けながら私に続く。比較的人の少ない店舗の前でショーケースを眺める。明らかに一時間以上待ちそうな店舗には足が向かない。買いたいかどうかわからないのに並ぼうという気になるはずもないか。
二人は時々私の視線の先を見ているようだが、それよりも、私の言葉を待ってくれている様子だった。
「最終日に会場に行ってみるって話したら、いい出会いがありますように、なんて言われてしまったんです」
結局、全てを買うことはできないし、店舗で悩むにしても通販をするにしても、一番売れているものを買うにしても選ぶ必要はある。冊子の説明文を読んで決めるのか、誰かのオススメを選ぶのか。店員さんに言われるまま買ってみるのか。人気店に並ぶのか、初出店の店にしてみるのか。とりあえず辿り着いたはいいものの、選択肢の多さに途方に暮れかけている。が、ついてきてくれた二人と、友人の言葉に支えられてここに立っている。
「なんでしょうね。欲しいものははっきりしないんですが、なにか成果は残したい、ような」
だから本当に、付き合わせるのは悪いと思ったのだけれど。振り返ると、二人はそれぞれがなにか考えるように腕を組んでいた。蜜柑が言う。
「……折角だ。俺達も選んでみるか」
「ピンと来たやつを三つ買えよ。後で喧嘩になるからな」
檸檬は携帯電話を取り出して時間を確認する。
「集合時間も決めようぜ」
「そんなに長くは悩めないだろう」
二人がちらりと私を見る。どのくらい時間が欲しいか、私に決めさせてくれるらしい。
「三十分くらいですか」
「妥当だな」
「なら、三十分後、ここで」
よし、と私達はそれぞれ別の方向へ歩き出した。三十分後。私も腕時計を見て時間を確認する。いくらか方向性が決まったことで、感覚が研ぎ澄まされていく。呼吸がしやすく、気力が湧き上がってくる。あと二十九分。ピンと来たやつを三つ。私と、檸檬と蜜柑の三人で食べる。
しばらく歩きまわっていると、ふと、シンプルな包装のチョコレートが目についた。同じショーケース内にある分厚いチョコのコーテイングが施されたブラウニーなど絶対に美味しいだろうと思ったが、三種類ある内二種類は既に売り切れている。これもいいが、小さな正方形の箱に八個チョコレートが並んでいるものが特に気になった。一度店の前を通り過ぎたが、壁側まで見てユーターンして戻って来た。これにしよう。そう決めて店員さんに声をかける。「一番右の、八個入りのやつを、三つ」店員さんは「三つですね」と微笑んでショーケースの下から商品を取り出し、近くに居た別の店員に何か耳打ちした。言われた方が今まさに私が購入した商品の値札に完売、と書かれた札を張る。
「これでラストでした」
いい出会い、どころか運命の出会いをしてしまったような気持ちで「ありがとうございます!」と勢いに任せてお礼を告げた。



私が集合場所に戻ると檸檬も蜜柑も既に待っていて、私を見つけると手を振った。「お待たせしました」と言った私の様子を見て、二人はふ、と微笑んだ。声色が明るかったからか、にやけていたからか、いいことがあったのだとすぐにばれてしまった。
「どうしたんだ」
二人がそう聞いてくれるので、帰り道の私はずっとふわふわ浮かれていて、ほとんど一人で喋っていた。
あれだけお店があって、あれだけの商品があって、あれだけの人がいて、私は今日あのお店を選んで、特に気になった一つを買った。それだけだったら、こんな気持ちにはなっていない。正確には、こんな気持ちに気付かなかった。山のようにあった選択肢からあの店、あの商品を選んだからこそ、最後の一つを手に取ることになったわけだ。
「すごいことだと思って」
本当は、もっと身近なものにも言える。ただ一つを選ぶことに本気になった結果だと思うと胸が熱くなる。あれはまさしく真剣勝負だった。適当になんとなくで選んでいたら得られなかった。
「なら、俺たちは感動的な瞬間に立ち会えたわけだ」
「なんだか久しぶりに、本気で勝負したなって感じです」
「いっつも本気じゃねえのかよ」
「ふふふ」
三人が別々の紙袋を持って家に帰る。
きっと全て美味しいのだろうけれど、私には、あの奇跡がついている。


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20220216:ハッピーバレンタイン
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