夢を見たことがあった。
理由は事故だか事件だか。なまえは喪服で葬儀場に立ち尽くしている。押し流されるように景色が変わって部屋に戻って来る。なまえは部屋に一人きり。電話は繋がらないし、メールをしても届かない。残酷なくらいに静かな部屋。「檸檬」「蜜柑?」小さく声に出してみる。空気が少し震えただけで、呼び声はどこにも届かない。そしてなまえは理解する。ああ、二人はもうこの世界にはいなくって、どれだけ待っても会えなくて、それでも、なまえは、なまえだけはこの家で生きていなければならない。明日も。明後日も。一か月後も一年後も。もしかしたら、何十年という月日を。あの二人に会えないこの部屋で。

「夢じゃなくなっちゃったわけだけど」

その夢を見た日は怖くなって、仕事をしている二人に会いに行った。二人は何事かと驚いて、その後、事情を聞くと笑って一緒に帰ってくれたのだった。「大丈夫だ」檸檬が言う。

「死んでも、俺は復活してやるよ。復活して、会いに来てやるから」

蜜柑は呆れていたけれど、否定はしなかった。「そうだな」頷いて「復活する」となまえの頭を撫でていた。「なにがなんでも、帰ってくる」いつでも。美味しいものを用意して待ってます。なまえはそう返事をして笑っていた。
呑気なものだ。
実際は、残酷なくらい唐突で突然で、当然のように葬儀などあげられないし、死体を回収することすらできなかった。別れの挨拶などあるはずもない。ただ、彼らが「大きな仕事が入った」と言い出したその日、珍しくなまえから「手伝えることがあれば手伝おうか」などと言ったのを覚えていた。二人はぐしゃぐしゃとなまえの頭を撫でて。「でかい仕事だけどな。なまえ先生を担ぎ出すほどのことでもねえよ」「檸檬が怪我くらいはするかもしれないが、死ぬことはない」「おまえな、蜜柑」「どうした、檸檬」叫び出しそうだ。手あたり次第に物を壊して暴れられたらいいのに、なまえは嫌に冷静な自分に吐き気がした。
きっと自分は生きていける。
二人がいなくなっても、前と同じ生活に戻るだけだ。
生きていける。生きていけてしまう。

「――さん」

だれかに名前を呼ばれた気がして顔を体を起こす。ベッドが軋み、音を立てる。カーテンを引っ張って部屋に明かりを入れると、呆れるくらいに片付いている。もっと荒れてみせろよ、と自嘲した。取り乱せたら楽だろうに。

「なまえさん!」

今度ははっきりと聞こえた。インターホンもひっきりなしに鳴っている。時計を確認すると、時刻は十一時七分だった。そう言えば。七尾から昨夜連絡を貰っていた。十一時に家に行くから、と。のそりと体を起こし、顔だけ洗って玄関へ向かう。インターホンだけでなく扉まで叩きはじめた。彼にしては随分、騒々しくしている。

「ああ、やっと出てきた!」

窓から入れるのとは段違いの光量に目を細める。七尾は興奮気味に部屋に入って来て、「ほら、これを見てくれ」と、なまえの手のひらの上に何か乗せた。見てくれ、と言う割に、手のひらに置くと握らせて、自分は手を離す。「一体なんです、」ミカンとレモンのアクリルキーホルダーが手から零れて揺れていた。その先に繋がっているのは。

「ほら」

何年か前に渡した合鍵だった。

「彼らはしぶといから」

なまえは、やっとの思いで七尾を見上げる。七尾は今までで一番優しい顔で笑っていた。

「これ、どうして」
「ちょっとがんばったんだ。なにをどうがんばったのかは、たぶん、言わない方がかっこいいと思うから、言わないけど。あ、でも、君がどうしてもって言うなら――」

七尾が何か喋り続けているが、なまえはもう一度鍵に視線を落とす。二人は、いつもこれを大切に持っていた。滅音を忘れてもこの鍵だけは持っていてくれた。蜜柑に小言を言われる檸檬のポケットから、キーホルダーが揺れているのを見たことがある。渡したのは三年も前だから、キーホルダーはどちらもやや塗装が剥げているし、檸檬のレモンは接着剤で繋げた跡がある。

「う、」

「泣くな」と言われた気がした。「帰って来ただろ」と、笑われた気がした。
鍵をぎゅっと握り込んで、両手を額にぶつける。「ぁ、」みかん。れもん。呼んだつもりだが、声が上手く出なかった。目の前には七尾がいるが、彼はただ、じっとそこに立っているだけだ。何も言わないし、何もしない。「蜜柑、檸檬」今度はちゃんと、声が出た。

「会いたいよ」

叶わない。

「会いたい」

望んでいるのはそれだけなのに。たったそれだけが叶わない。後悔はしてもしきれない。毎日、毎日、調べたことは全て嘘であれと願っている。ある程度の予測はした。きっとほとんど間違ってない。けど、――私は死体を見ていない。なにもかも間違いの可能性はあるのだ。今日も来なかったけれど、それでも。どの情報屋も口をそろえて「死んだよ」と言ったけれど。嫌だ。嘘だ。全部、全部、全部嘘。いいや、人は死ぬ。蜜柑と檸檬だって例外ではない。何をしたって、何年待ったってここには来ない。それでも。私は。なら。一体。蜜柑と、檸檬は、必ず、ここへ。「なまえ」覚えている、優しく呼びかける声を頭の中で反芻させた。まだ覚えている。鮮明に思い出せる。彼らの声を。表情を。仕草を。温度を。二人は笑っている。
手の中の鍵を握り込んで、声をあげて泣いた。

「泣くなっての」
「おまえは本当に、俺達が大好きだな」

そうだよ。二人だって、私が大好きだったくせに。
「ごめんな」と謝られた気がして、なにもかもが決壊した。別に怒ってなんかない。一緒にいけなかったことが悲しい。守れなかったことが悔しい。一人になってしまったことが、寂しいだけだ。
――なにかが額のあたりに当たる。温かいものに包まれた。七尾さんだ。蜜柑とも檸檬とも違うにおいだ。この人は七尾さん。この人を殺したら二人が戻ってくると言われたら、私はためらわないだろう。しかし実際は、この人を殺してもなんにもならない。なんの利益にもならなければ、暇つぶしにもなりはしない。まったく本当にこの人は、こんなところで何をやっているんだか。涙が止まらないから、嗚咽し、息をすることしかできない。
七尾は静かになまえの背中を叩いていた。七尾は、笑っているらしかった。ぽつりと、独り言を言うように呟く。

「やっと、本当の君に会えた」

やっと、泣けた。
なまえは気が済むまで泣き続け、糸が切れたように眠った。
鍵を強く握ったまま、眠り続けていた。


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20210417
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