恋人としてなまえの家に行くようになると、なまえについてより多くのことがわかるようになってきた。平日は同じ時間に家を出て、同じ時間に帰ってくる。あまり残業は無いらしい。
料理が好きで、必ず何か、手作りの惣菜が作り置きされている。土曜、日曜にはお菓子を作ることもある。ただ、量が多くて消費するのに時間がかかっている。多い方が作りやすいのかもと思ったが、よくよく考えれば、これは、蜜柑や檸檬がここへ通っていた(住んでいた?)時の名残なのだとわかる。

「何か食べますか」

そう聞かれるのは、そこに食べ物があるからで、自分のために作られた訳では無いのだと自分に言い聞かせる。七尾は「貰うよ」と答えてなまえの後ろ姿を見つめる。
食器棚だとか、テレビ台の上、本棚や、洗面所、こっそり見てしまったタンスの中。そういうところに、『彼ら』の痕跡をいくつも見つける。きっと捨てる気が無いのだろう、彼らが使ったと思われるシャツや下着、ハブラシや、文庫本、機関車トーマスの絵本、グッズ。そんなものがこの部屋にはたくさんあって、『彼ら』に見張られているような気持ちになる。

「七尾さん、飲み物はどうしますか」

見張られているだけで、追い出そうという気持ちを感じないところがまた腹立たしい。七尾程度では全く及ばないと、そう決めつけられているようで。なまえの声が遠くで聞こえた気がしたが、立ち上がって、まっすぐ進む。何より大切そうに置かれたトーマスの玩具には、塵一つついていない。

「七尾さん?」

例えば。ここにある、彼らのいた証拠が全て無くなれば、彼女はようやく絶望して、一人では立っていられなくなるのではないか。剥き出しの感情をこちらに向けてくれるのでは。息を殺して、ゆっくりと手を伸ばす。自分の指先が見える。指がそれに触れる直前。

「それには、触らないで」

やはりなまえは一般人ではなく、業者なのではないだろうか。足音もなく、即座に七尾の隣に立ち、七尾の手首を掴んで止めた。苦しげに眉根を寄せて、七尾を見ている。何故そんなにも苦しそうなのか、七尾には分からなかった。ーーまさか、場合によっては俺と戦わなければならないことを憂いているとか。そうだったらいいけれど。
きっと、その眉の間に刻まれているのはただの嫌悪感なのだ。それが自然なことだ。

「こんなものが残してあったら、きっといつまでもつらいよ」
「いいんです。私は二人のことを忘れたくない」

一つも、忘れたくない。なまえは今日も七尾を責めることはなかった。慰めを求めるように寄りかかってくることはあるが、それだけだ。寂しさを埋めたがっているようにも見えるが、自ら、首を絞めているようにも見える。時折見せる心ここに在らずという瞳は、時が過ぎるのを待っているようだ。自分の終わりの時を待ち望んでいるようだ。七尾は、その時間を埋める間の、なまえにとっては暇つぶしに見る映画のような存在だ。

「ずるいな」

どうして、俺は、彼女に誰より早く出会わなかったのだろう。一人、大切そうに機関車トーマスの玩具を握り込むなまえの近くに、なまえを守るように蜜柑と檸檬が立っている気がして静かにため息を吐いた。死んだ人間に勝つにはどうしたらいいんだろう?


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20210415
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