講義の後半から、雨音は聞こえていた。

「うーん」

ぼんやりと空を見上げて、天気予報を確認して来なかった自分を恨んだ。普段なら傘を持っているが、今日に限って家に置かれたままである。「うーん」もう一度唸る。一度目よりも長めだった。雨足が激しすぎて騒音になっている。この中を走って帰るのはさすがに厳しい。
迎えを頼む、あるいは傘を借りるという選択肢もあるにはあるが、先程から鳴り通しの携帯電話か気になる。意を決して画面を見た。蜜柑からだ。

「もしもし」
「ようやく出たな」
「すいません、遅れました」
「それはいい。それよりも」

電話の向こうで、得意そうに笑うのがわかる。これは相手が私だから油断しているのだろう。勝ち誇ったような、こちらをつつくような、悪戯っぽい気持ちが声にまで滲んでいる。

「なまえ」
「はい」
「困っているんじゃないか」
「はい……」

「そうだろうと思ってな、もうすぐ着くからそこから動くなよ」蜜柑は本当によく気がつくなあ、と激しい雨粒を落とす空を見上げた。重たい灰色が視界に広がるが、蜜柑のおかげで、暗い気持ちにはならなかった。



言われた通りに、屋根のある通路でぼんやりと待っているなまえを見つけた。なまえに視線を向けたまま近付くと、なまえもこちらに気付いて手を振った。一瞬、きょと、と動作が停止したのは、俺が傘を一本しか持っていないからだろう。

「なるほど? 恐れ多くもそれに一緒にいれて頂ける、と?」
「檸檬が俺にも買ってきた特別製でな。デカいし武器にもなる」
「へえ。ところで、どうして傘がないってわかったんですか?」
「おまえの家に行ったらすぐにわかった。可哀想なことに傘は留守番していたからな」
「ああ……」

早く入れ、の意を込めて傘を持つ手を動かす。なまえは遠慮がちに隣に立つので「濡れるだろうが」と無理やり近付かせた。周囲を歩く生徒達だろうか。雨音では無い音が一瞬聞こえる。
俺もなまえも気にはならない。

「ありがとうございます」
「気にするな。来たくて来ているしな」
「それならいいんですが」

距離が近い、が、これくらいなら平気らしい。キスは照れていた。檸檬を風呂に入れた時にもそういう反応をしていたなら檸檬が得意気に語っただろうから、平気だったのだろう。俺や檸檬みたいな男を平気で家にあげるし、挙句鍵まで寄越すのは、なまえにとって俺たちは悪いものでは無いと確信されているからだ。
そんなこいつの期待と信頼を大切にしたい気持ちと、もっと奥まで踏み込みたい気持ちが混ざり合う。
ぼんやりと歩くなまえを引き寄せる。

「危ないぞ」

水溜まりに突っ込んでいきそうだった。ぼうっとしていたようで、引き寄せられて驚いた顔をしている。この間のキスがどうにも効いているらしく、俺が近付くと、どうしていいかわからない、という顔をするようになった。どうしていいかわからない、のだろう。信じられないくらいに初心な反応だ。

「そんなに勢いよく目をそらされると傷付くんだが」
「す、すいません。びっくりして」
「まあいいさ。勘違いされても困るから、一つ、言っておくけどな」

面白いと思った。そして、俺たちは同じようになまえを気に入って、なまえも俺たちを気に入った。両想いというやつだ。出来ることなら仲良くしていたい。なまえの気持ちはそこまでだが、俺や檸檬は、『そこ』では止まれない。止まれなかった。なまえが、俺達のやることを受け入れながら、どうしたらいいかわからないと感じていることに気付いてもいる。

「俺は、」

あるいは俺たちは。
なまえは俺を真っ直ぐに見上げる。自分の望みを通したいと思いながらも、なまえを大切にしてやりたいとも思っている。矛盾というほどでもない。どちらも保有することは出来る。俺も。檸檬も。

「おまえが望むなら、なんだってしてやる」

なまえはきょとんと目を丸くして、それから俯いて考え込んでいた。ここまで言って分からない程なまえは鈍感ではない。これは警告でもあると気付いたはずだ。俺たちはもう戻れないところまで来ている。これ以上俺たちを許すと、知らないよ。そういう意味もある。
なまえは、しばらく考えた結果、

「……なんですか。それ」

わからないフリをして笑った。どちらにせよ、なまえは俺たちのことが好きだし、何か言われれば突っ撥ねることはできないのだ。それがわかっていて今更こんなことを言うのは、まあ、仕方がない。ずるいのはお互い様というわけだ。

「おまえがそれでいいのなら、それでいい」

いつか、今よりずっと我慢が出来なくなるかもしれないけどな。遠慮なんてものが適切にできていたら、こんな仕事はしていない。


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20210409 みかんちゃん…!!
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