overcome/桜備



どこもかしこも柔らかくて細い、甘やかすのは得意だと思うけれど、こうも華奢だと心配になる。一緒に筋トレでもしてみないか、と誘ってみようかと考えたこともあるが、結局、一度も言ったことがない。強くなってほしいわけではないのだと気付いて勝手なものだと我がことながら笑ってしまった。

「なまえ」

返事はない。
俺の(恐らく)硬い膝の上で、猫のように丸まって、すうすうとかわいい息の音だけが部屋に満ちていく。前のデートの約束も、その前の約束も守ってやることはできず、何か埋め合わせを、と言った俺に、なまえは「じゃあ膝枕」と言い放った。いつの間に仲良くなったのか火縄に借りたという本を読みながらしばらく横になっていたのだが、三十分ほど経ったあたりでばさりと本が彼女の手から落ちて、寝息が聞こえて来た。

「なまえ、」

もしかしたら彼女も彼女で、いつも俺が指定する日のスケジュールを無理矢理調整してこうして待っていてくれているのではないだろうか。
だとするならば、早々に眠ってしまったのは、疲れていたからかも知れない。そろそろ構って欲しいと思うのは思いやりに欠けるだろうか。しかし。お互いの近況も話していないし、恋人らしい触れあいもない。

「……ん、あれ、ごめん、寝てた?」
「おはよう。ぐっすりだったぞ。……、眠いならもう少し寝ててもいいが」
「ああ、大丈夫、ごめんね。それに、あんまり寝ててもいいって声じゃないよ」
「ぐ……」

バレている。
なまえはむくりと起き上がり、落とした本を拾い上げてから体を伸ばす。「ありがとう」と俺の膝に向かって言った。俺はやや声を高くして「どういたしまして」と返してやる。たったそれだけのことなのに「あはは!」となまえは楽し気である。

「いや、本当に、無理をさせる気はないんだ」
「無理してるつもりはないから、大丈夫」
「けどなあ」
「うん?」

俺が予定を合わせられなかったのは前回前々回の二度だけではない。そういう時、俺も我慢しているけれど、なまえだって我慢しているはずだ。不平や不満もあるだろう。だと言うのに、毎回「大丈夫」と明るく言ってくれるせいで、毎回俺はその言葉に甘えている。マキには先日「ええっ!? またですかあ!!?」と言われてしまった。また。その通り。なまえもそのくらいのことを言ってもいいのに。

「この際だから言うが」
「ん」
「俺に当たってくれていいんだぞ」
「当たる」
「一発二発くらいなら殴ってくれてもいい」
「グーで?」
「グーでもパーでも。チョキはなしで」

なまえはまた何が面白かったのか「はは」と笑っていた。その後に、欠伸をして、改めて笑顔を作る。

「いや、秋樽くんこそ、別に殴ってくれてもいいよ。憂さ晴らしとか、ストレス感じることもあるでしょうし」

え、笑顔でとんでもないことを……。

「なんで俺がそんなことをお前にできると思うんだ」
「なんで私がそんなことを貴方にできると思うの?」

なるほど。思わず腕を組んで黙ってしまう。
なまえは、俺の気持ちをある程度汲み取って言う。

「まあ、寂しくないかって話されたら、寂しくないことはないけど」
「だろ! そしたらやっぱり、なんかあるだろ!? わがままとか!!」
「してもらったけどね、膝枕」
「いいや、もっとこう、ないのか。ギリギリ叶えられるか叶えられないかくらいのヤツ!」
「うーん……」

そう言うのがお好みかあ、となまえは言う。
そ、そう言われると若干怖いが、なまえは何と言うか、打てば響く女性だ。投げたボールが返ってこないことはないし、問いかけには何かしらの答えを考え出す。
なまえならばどうするだろうか、と仕事中でも考えることがある。火縄には時々それがバレて、「今の、みょうじさんの真似ですか」と指摘される。真似と言うより、尊敬しているだけだ。出会った時からどんな時でものらりくらりと笑っているから。

「じゃあ一つ、呪いを」

ま、また物騒な……。
ごく、と俺は唾を飲み込み覚悟を決める。
絶対に何かはあるはずだ。四六時中笑って穏やかでいられる人間なんていない。

「よし来い!」

手を叩いて腕を広げると、なまえはするりとその間に滑り込み、俺の両頬を手のひらで覆った。真っすぐな両目が俺を見透かすように鈍く光る。俺の顔に影が落ちて、暗闇の中で、なまえの瞳と言う光を見上げているような格好になる。

「生きろ」

ぞっとするくらいの熱量で、なまえは短く、それだけ言った。
……。
なまえはひょい、と俺の隣に座り直す。

「どうだろう。決まってたかな」
「……お前は本当に、俺が好きだなあ」

ぱち、と片目を閉じてなまえは冗談にしてしまったが、俺はと言えば、つ、と冷や汗が首筋を落ちていく。

「何を今更」

はは、となまえは笑って、本を手に取ろうとしたので、そうはさせまいと体を引き寄せ抱きしめた。『生きろ』と普段へらへらと笑ってばかりの彼女の熱い言葉が、彼女の強い瞳と共に思い出される。何が起きても、何を犠牲にしても、生きろ、と彼女は言った。それが、俺がようやく引き出した、なまえのわがまま。

「ありがとう」

筋トレなんかしなくても、強い人だったのを忘れていた。

「秋樽くんも、大概私が好きだと思うけれどね」
「ああそうだ!!!!」
「うわうるさ……」

俺の心配となまえの抱えているものとを釣り合わせようとしたけれど、見事に失敗してしまった。難しいことをはやめてにして、心が叫ぶままに、今日は(今日も)、彼女の愛に埋もれることにする。


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20191204:文字書きワーードパレット弐のやつです。
2.クルラーナ 「猫 息 埋もれる」いちふじさんから頂きました。


 

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