退路は優しく燃やされた/黒野


様子が変だな、と思っていた。機嫌が良いとか悪いとかではなく、どこか気持ちがここにはないような雰囲気だった。あからさまに視線が泳いだりはしないけれど、冷え切った空気だとか、吐く息が白いことだとか、夜空に雲がないことを気にしている余裕はないように見えた。

「黒野くん」
「なんだ」
「今日、なにかあった?」
「なにかとはなんだ?」
「いや、いつもとちょっと違う気がして」
「問題ない。帰るぞ」
「買い物しないと明日食べる物ないよ」
「何? もっと早く言えそういうことは」
「金曜日はいつもそうじゃない」
「……そうだったな」

怒っている、わけではなさそうだ。やはり、どこか調子がおかしい。いいや、おかしい、という程大袈裟なものでもなくて、普段通りに振舞えていない。何があったとか、何かが気に入らないとかそういうことではないのだろう。ほんの少し、気が急いている、のかな。理由はわからないし、黒野くんは理由を話してくれそうにない。
買い物は必要最低限にして、早々に終わらせてあげた方がよさそうだ。



「常温で痛むようなものは買っていなかったな」
「ん? う、っ」

たった二文字、頷き終わるのさえ待たずに、黒野くんが私の唇に噛みついて来た。ああ、だから、急いでいたのか。と納得しかける。こうなったらどれだけ抵抗しても仕方がないし(多少は抵抗されたいみたいだけれど)、大人しく黒野くんを受け入れる。
買い物袋は全て奪われ、玄関の隅に適当に置かれた。

「黒野くん?」
「ああ、大丈夫だ」

自由になった両腕で私を抱き上げて、真っ直ぐ、本当に真っすぐ寝室に向かう。電気も点けずに私をベッドに置いて、コートとシャツをその辺に投げ捨てる。皺になるよ、と言おうか迷うが、もう我慢する必要はない、と欲を解き放った瞳はぎらついて、口を挟むことはできなかった。
窓から差し込む月の明かりが、黒野くんの体を照らして、野生の獣のような艶やかな情が剥き出しになる。彫刻のような彼の体がゆるりと近付いて、また私の唇を覆う。浅く深くキスを繰り返しながらマフラーもコートも放り投げられて、ぎ、と二人揃ってベッドに沈んだ。
足が絡んで逃げられない。息が上がってきたところで、黒野くんは私と額を合わせて言った。

「……いいか」

今聞くのか。
私は、は、と笑ってしまう。呆れているのだけれど、彼はこれを合図にしている。曰く、至極楽しそうな笑顔なんだとか。

「声は我慢するな。イイことは、俺に全部教えろ」

黒野くん、君のせいで、そんな余裕はとっくに、ないよ。



カーテンから差し込む朝日で目を覚ました。目覚めは爽快な気がしたが、全身が痛むし、喉に違和感がある。はじまった時のことはかろうじて覚えているけど、いつ終わったのかわからない。気絶したのか休憩中に寝落ちしたのか、記憶がない。
いつもなら隣でじっと私の寝顔を見て居たりするのだが、今日は隣にはいないみたいだ。キッチンの方で物音がしているから、家の中にはいるのだろう。
あー、と声を出してみると、やはり掠れている。服を着て、水でも飲みに行こうと起き上がると、同時に、かちゃりと寝室の扉が空いた。

「起きたのか」
「おはよう、黒野くん」
「……おはよう」

く、と黒野くんの肩眉が上がる、彼は私の掠れた声というのも好きなようで、今ちょっと危なかったんだろうな、と私は口を閉じて布団を引き寄せる。

「水が欲しいだろう?」
「うん」
「よし」

黒野くんは手に持っていたペットボトルの水を少し自分の口に含んで、私に口付けた。……なんかテンションが高いな……、あまり珍しいことではないので驚かないけれど。

「ん、っ、く」

口移しで飲み物を貰うのも随分うまくなった。なってしまった。そっと私の顔を固定する黒野くんの両手がそっと動く。

「ん……?」

さり、と動く指がいつもと違う。
固く、冷たい感触が、右の頬に。
こく、と貰った水を飲み込んで、違和感のあった黒野くんの左手を掴む。
見えるところに持ってくると、黒野くんは素直に私に手を引かれている。

「……黒野くん、この指輪どうしたの」
「……」

はあ、と黒野くんは溜息を吐いた。
あれ。呆れられた。一体どこに呆れポイントが。

「俺には、お前も同じものをしているように見えるが」

えっ、と体を震わせると、かち、と黒野くんの指輪になにかがひっかかる。
左手の薬指。
彼の言う通り、私も同じ指輪をしていることに気づく。
……昨日まではなかった。

「……」

私はじ、と黒野くんを見つめると、黒野くんも私を見下ろしていた。
月に照らされた彼は狼のようだったけれど、朝日に照らされた彼はどこか寂し気でつい、抱き付きたくなってしまう。

「断ったらもう一度だ。投げ捨ててももう一度だし、逃げようとしてももう一度する」

言ってることは脅迫だが。
私はつい笑ってしまいそうになるけれど、どうにか耐えて聞いてみる。

「……よろしく、って言ったら?」

黒野くんはじっと考えた後、ふい、と私から目を逸らした。

「……もう一度だな」

「どうする」と照れているのか目も合わせずに言う横顔をにやにや笑いながら眺めていると、駄目押しで「俺は結構甲斐性がある方だぞ」などと言うので、とうとう声を上げて笑ってしまった。


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20191204:文字書きワーードパレット弐のやつです。
6.プリエール 「横顔 指輪 気づく」ハスさんから黒野さん指定で頂きました。

 

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