008/紅丸


忘れたことがない出会いがあった。忘れようと思ったこともない出会いだった。
印象的な目を忘れたことは無かったし、一目でその光に引き込まれた。断腸の思いで見送って、ずっと、殴ってでも止めなかったことを後悔していた。そんな女が、突然、詰所に尋ねてきたら、そりゃあ。

「っ……」

なまえは悲鳴のような声を上げて第八に新しく配属されたと言う科学者の白衣の中で小さくなっている。少し、ほんの少しだけ舞い上がって、感情的になっただけだ。

「若……、そんなに睨んだら……」
「うるせェ、睨んでねえ」

極力気にしない素振りで修行を再開するが、なまえは俺と目が合う度に気まずそうにしやがるし、紺炉やリヒトと話す時は笑顔も見せている。全くもって気に入らない。キスのひとつくらいで。……。挨拶もなしにいきなりだったのは、驚かせたかもしれないが、なまえは俺のひとつ上だったはずだから、二十三のはず……。そんな女が、あの程度でガチ泣きとは……。

「そんなに落ち込むならさっさと謝っちまえばいいでしょう」
「うるせェ、落ち込んでねえ」

出会った時は、もっとガリガリで傷も目立っていた。何をしていたのか、どこに居たのかは知らないが、まともな教育を受けているようにも見えなかった。

「それに、あいつはあんな状態だったんだ。簪なんて、知ってるわけねェでしょうが。それを……」
「それでもあいつは、受け取るっつったんだよ」

その言葉をバカ正直に了承と受け取っていた自分に腹が立つ。わからなくても、拒絶されることは無い、と根拠もなく信じていた。あいつも、浅草に戻りたがっていると、再び出会った瞬間から運命のようなものに縛り付けられて、また、いつかみたいに手を引いてやれるのだと、疑っていなかった。だと言うのに。

「ほら、帰っちまいますよ。久しぶりに会えたんだ、挨拶くらいはしねえと」

挨拶なら熱烈なやつをくれてやっただろうが。と思うのだが、ほんの数分修行を中断してなまえを見送る。
ガキの頃は、もっと、気持ち悪いくらいに笑ってばかりいたのだが、今日久しぶりにあったこいつは随分、感情が読みやすく、人間らしくなっていた。……俺の突然のキスにショックを受けて泣くくらいには。

「……」
「しょうがねェな、若は……」

シンラの修行の様子をある程度見て行ったリヒトは、解析作業をするために帰るらしい。このままでは、なまえとは溝ができたまま別れることになる。次満足に話が出来る日はいつになるやら……、「なまえ」引き止めたのは紺炉だった。

「? はい」
「お前も明日から現国式の剣術をやってみねえか?」
「えっ?」
「さっき、体はある程度動くが圧倒的に攻撃力がねえって言ってたろ。そういう時は素直に武器に頼るってのもアリだと思うぜ。それにお前さんなら、勘が鋭いし覚えも早いだろ。どうだ?」
「!」

この言葉に、俺となまえとリヒトは三様の反応を見せた。リヒトはおそらく良くは思っていない。今しがた泣かせた男のいる場所へ通わせるなど。とは言えあくまでなまえのしたいようにさせるつもりらしく何も言わない。なまえは紺炉の申し出を受けたいようだが、やはり、俺のことがあるからか素直に頷けないで迷っている。俺はもちろん、どんな形であれ、第七に来ることがあるのならその内無理やりにでも簪を受け取らせることが出来るかもしれない。反対する理由はない。

「……私、は」

なまえの答えを大人しく待てず俺は言う。

「簪」
「ひえ……」
「受取らねェならここに来て、紺炉に指導されるついでに手伝うくらいしてもいいんじゃねェか?」
「うっ……」
「若……」

確かにお世話になった……、三ヶ月も……と、なまえは頭を抱えて、簪は受け取れない……とも言いやがった。「どーすんだ」と自棄になって責めてみれば、きゅ、と、隣のリヒトの白衣と、胸に下がっている…、首飾りを握り込んで言う。なんだそりゃ……? 何やら別の男の匂いがする。

「来るだろ」
「……それで、恩返しになるのなら」

あの日と同じ言葉で返された。約束が上書きされたようで気に入らない。俺はその約束をなかったことにはしてねェ。「紺炉中隊長。明日からよろしくお願いします」……ひとまずは、これでよしとする。
なまえの背中が見えなくなると、紺炉がぽん、と俺の背を叩きながら詰所に戻っていく。

「……縁は繋いでやったんだ、後はがんばれよ、紅」

うるせェ。
……明日また来るのか、と、思うと落ち着かない。しかし、油断するとあの泣き顔を思い出してしまう。舌打ちで振り払うがあまり上手くはいってない。
……『簪』『簪を受け取ってくれ』『ーーはい』わかっている。俺がどう思っていようと十二年前、この時点では子供の戯言だ。そもそも伝わっていなかった。しかし、しかしだ。

「泣くこたァ……ねェだろ……」

他の男の後ろに隠れるくらいに怖がることは、無いだろうが。


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20191129:あーあーあーあー……。

 

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