あの日の話2/52


バーンズの話によれば、かなり昔はなまえも暗部の戦闘部隊としての訓練を受けていたらしい。故に、会話もできるし、戦うことも出来るのだ、と、それが、どうしてあんなふうに縛られているのかは、バーンズも知らないらしかった。
俺は他の影がいる時以外、確実に二人になれる時にしかなまえのところにはいかなかった。殴られているとか犯されているとかそんなところにもし居合わせたら、冷静でいられる自信がなかった。
なまえの居る場所は地獄みたいに暗いのに、俺が降りていくとむくりと起き上がって、「52」と笑う。そうして目を合わされる度、異常なくらい澄んだ瞳に釘付けになった。
ただ、俺の前では、いつもゆるく笑っているけれど、もしかして、殴られながらも笑顔なのではと、なまえの傷を拭ってやりながら心配になる。
俺はこいつを気に入っているけれど、どうにも人間らしくはない。なまえのこの目にもようやく慣れてきて、注意深く表情を観察していると、ふと、炎に照らされた唇にぐ、と力が入っていることに気づく。……無理やり笑ってるのか? いいや、これはそうではなく……。

「痛むなら、無理に起きてなくていい」
「え、う、ううん。平気です」

なまえは一度だけ首を振った。つらそう、痛そう、しんどそう…? どの感情が当てはまるのかわからない。

「……他の奴らにもそうなのか?」
「……?」

なまえは一切悪くないのだが、うまくわかってやれない苛立ちに、やや語気を強めて聞いてしまった。なまえはその僅かな苛立ちを察知して、途端、言葉を選ぶために押し黙る。
抽象的な表現はほぼ伝わらない。俺は言い方を変えてやる。

「他の奴らの前でも、無理矢理笑ってるのか?」

なまえは少し考えて、俺をじっと見つめながら答えた。笑っていなくても、瞳が綺麗なことに変わりはない。けれど、笑みが消えると、途端に表情がなくなる。瞳だけが不釣り合いに澄んでいて、これはこれでぞっとする。
なまえは、そっと笑顔を作り直す。

「バーンズさんと、52以外は……、色々試したけれど、どんな顔していても一緒だから、ここしばらくは、火に油を注がないようにだけしてます。……その過程で笑った方がいい時は笑ってます」

こんな状況で。と俺は思い、いや、こんな状況だからこそ、生き残る為に必死なのだと感心する。なまえという人間の強さが少しずつ分かってきた。……目の前の人間に合わせて感情と表情とを掌から選びとっているらしい。
人間らしくないというのは正しい。でも、びっくりするくらい必死に生きようとしている。
ならば、俺の前にいる時に笑っているのは何故なのだろう。害を与えるつもりは無いから、楽にしていればいいのに。平気だなどと、嘘をつくことも無いのに。

「52といる時は笑っていたいんですけど、もしかして、きもちわるいですか」

笑っていたい? それもわからない。どういう感情なのかと考えていると、なまえぐ、と自分の指で口元を持ち上げてみせる。

「嬉しい時は笑うものですよね……、貴方が来てくれると嬉しいって伝えるためには、笑った方がいいと思ったんですが……」

ひりひりするくらいの剥き出しの感情を向けられて、俺はそっとなまえの長い髪を耳にかけてやった。やはり、感情は希薄だ。ただ、そうした方がいいとか、そうするべきだと、そんな考えが先に立って、なまえの表情を操っている。……表情と感情とが上手く繋がっていないのだろう。岩盤が地割れを起こしてズレている。そんなイメージだ。

「……無理、してるんじゃないならいい。俺の前でくらい、好きなようにしてろ」
「はい、ありがとうございます」

怪我をこっそり手当したりだとか、晩飯を少し持ち込んでみたりだとか、タオルで身体を拭いてやったりだとか、ほぼ俺の自己満足のような献身を続けている。なまえは、その度に眩しそうに笑うけれど、なまえから何かを強請ったことはない。
こいつの考えを聞いてみたくて頭を撫でる。

「大したことはしてやれないが、何か、して欲しいことがあるならやってやる」
「してほしいこと」
「ああ」
「やりたいこととかな」

と言っても、こんな場所でやりたいことも何も無いか。と思ったが、なまえは予想に反して目を輝かせながら言った。

「やりたいことありますよ」
「そうなのか。なまえはすごいな」

こんな場所で、こんな待遇で、希望を持って生きているのか。
果たしてそれは、俺に、叶えてやれることなのだろうかーー。

「52に、触ってもいいですか」

なまえはいつでも、今、この瞬間に大切なものを見逃さない。

「私からも触りたくて」

俺はどんな顔をしていただろうか「……」顔が熱い。「……どこでも、いくらでも触ればいいだろ」なんでこの女は、嬉しそうにするのがこんなに得意なのだろう。安堵感と安らぎとを得ているのは、果たしてどちらか。そっと伸びてきた棒のような手に頭を撫でられて、泣きそうになりながらなまえにされるがままになっていた。
これは、なまえから俺にはじめて触れてきた時の話だ。


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20191124:唐突に52がかきたくなる病気に侵されたので勘弁して下さい。

 

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