「もちろんです」/紺炉


例えば彼は、戦えないことを割り切れていないような気がしていた。いくらか年下の自分など相手にされることはなく、もっと相応しい相手を見つけろ、などと言われると思っていた。
思っていたが、私の一世一代の告白は、紺炉さんに受け入れられた。
しばらくは阿呆みたいに喜んで浮足立っていたものだが、振り返ると、眩しそうに眼を細めていることがある。そんな時とか。笑っていたと思ったら、ふと、感情がなみなみと揺れる瞳で見つめられる。そういう時。あとは、そう、好きですよ、と私が言った一瞬後の小さな間、とか。
どきりとする、のだけれど、同時に血の気が引くような恐怖を感じる。
もちろん私はそんな恐怖など欠片も顔に出さずに、何も気付かないフリをしながら日々を過ごしている。彼の表情の奥に、灰のようななにか不穏なものが積み重なっているのを感じながら、いつか、その優しさに突き放される日が来るのではと怯えながら。
特に本日、早朝、「おはようございます」と挨拶をした私に、紺炉さんは嫌にぎこちなく「あ、ああ」などと言ったものだから、不安が募る、昼下がり。
ふう、と呼気でわずかに負の感情を吐き出してみる。シンクに水が落ちる音で、きっと誰にも聞こえていない。私は、洗い物を終えて、水を止める。
次は洗濯物を取り込まなければ。タオルで手を拭って、極めてぼうっと行動していたものだから「なまえ」と突然呼ばれて肩が跳ねる。振り返ると、私の心の中心にいる人が立っていた。

「紺炉さん。どうかしましたか」
「いや。どうってこともねェんだが……。昨日は第八の事務所行ってたろ。あいつら元気にしてたか?」
「元気でしたよ。手土産にどら焼き買って行ったんですが、シンラとアーサーが取り合いはじめて」

最終的にはアーサーに取られてました。と私が笑うと、紺炉さんも小さく笑ってくれた。隣に立たせてもらえるようになって結構時間が経つけれど、笑ってもらえると、苦しいくらいに胸が痛む。

「そうか。相変わらずだな。……あとはどうだ?」
「あと? 報告できることはそのくらいかと……、まあどら焼き争奪戦も報告するようなことじゃありませんが」
「シンラとアーサーのことはいいんだが、お前、第八の中隊長に……」
「火縄さんですか? 何か用事でもありました?」
「……あー、いや、いい」

あ、と気付くと息が止まる。例の不安が滲みだして、私は思わずきゅ、と唇を噛んだ。「そんなことより話がある」がりがりと後頭部を掻いた後の紺炉さんの表情は真剣そのもので、これは、本格的に、別れを告げられるのでは、と私はつい視線を彷徨わせて逃げ場を探した。あーあ、もし本当に私の予想通りの話なら、どうやって駄々をこねたら考え直してもらえるだろうか。私は泣きそうになりながら紺炉さんを見上げる。

「唐突だが、今、決めてくれ」

真横に飛び出せば窓があるから、逃げられなくはないなあ。そうだそもそも聞かなければ、別れる別れないという話にはならない。案外、良い手かもしれない。この作戦の欠点は、普段紺炉さんと話せなくなるという点のみか。あはは。致命的だ。

「俺たちの関係はここまでだ」

……。
嘘だホントに?

「ま、まって下さい紺炉さん、私、なにかまずいことしましたか」
「いいや。お前は何も悪くない。と言うか、お前にまずいところなんか一個もねェよ」

なんだこの人上げて落とす気か? 喜べばいいのか悲しめばいいのか焦ればいいのかわからない。唐突だが、と彼は言ったがとんでもない。今日一日どういう気持ちで過ごせばいいんだ。せめて夜とかに言ってくれたらとりあえず一晩泣き続けて次の日なんとか動けるようになるはずなのに……。

「いえ、あの、紺炉さん」
「最後まで聞け」
「ちょ、ちょっと、ご、いや、三分でいいので待ってもらっても……?」
「……なんだその中途半端な時間」
「ダメですか」

私はどんな顔をしてるんだろう。紺炉さんは「そのくらいならいいけどよ」と、言ってはくれたが、無言で時間が過ぎるのを待っている。三分ってなんだ。そんな時間もらっても心の準備などできるはずがない。三分貰ったってせいぜい泣くことくらいしか……泣く……、あ、泣き落とし、これだ。もう最後の手段のこれを使うほかない。丁度ぱたりと涙が落ちた。「あ……?」

「なまえ? もしかしてどっか痛むのか」

紺炉さんの手が私の肩に触れる。痛いどころの騒ぎではない。「なまえ?」優しい声で心配してくれている。この後どうしたらいいんだろう。ええと、そう、考え直してもらわなきゃいけない。もしくは、ちょっと別日に引き延ばしてもらえるだけでもいい。とすると、なんだろう、捨てないでください、とかか? 捨てられるくらいならアマテラスの炉に身を投げますとか。……いや怒られそうだ。絶対別れないですからね、ならどうだ。で、走って逃げて、全部聞かないことにする……。よし、それだ、それで時間を稼いで後のことは逃げた後に考えよ、う……。

「泣くんじゃねェよ」

貴方が泣かせたんだこの野郎。文句の一つも言いたいのだけれど、作戦通り走って逃げたくもあるのだけれど、ぎゅ、と紺炉さんの腕と体でゆるく抱きしめられているからそれもできない。逃げることはできない、なら、もう、本当の本当に最後の手段。私も腕を伸ばして、紺炉さんより強い力で抱きしめ返す。絶対になにを言われても何をされても離れなければいい。

「……落ち着いたか?」
「いいえ……、全然」
「体の調子が悪いんじゃねえなら、続きを話してもいいかい」

落ち着きはしないし体の調子も悪くなってきたけれど、冷静にはなってきた。紺炉さんは、決めてくれ、と、話のはじめにそういった。もし、これからこの人がする話の決定権が私にもあるとするならば。

「私は何があっても、紺炉さんから離れないほうを選びますよ」
「……は」
「別れ話ですよね」
「……いや、流石と言うかなんと言うか……、事と次第によっては、そうだ」

やっぱりだ。ことと次第によってはなどと言っているが、関係は終わりだとまで言っているんだから、私にとって良い話であるはずがない。「なまえよォ」首を絞める勢いで力を強めたら「痛えよ」と笑われてしまった。どういう笑い顔なのかは、見えないからわからない。

「俺がしようとしてたのは、このまま俺を選んでていいのかって話だ」
「……は?」

驚いて呆然としていると、腕を解かれ、再び向き合う形となった。涙は流れっぱなしだし、情緒が不安定な顔を向けているに違いない。「とは言っても、よ」

「本当はもう、とっくの昔から、離してやれそうにないんだけどな」

若ほどではないが、紺炉さんが心底楽しそうに笑う姿はそれなりに貴重だ。その顔は、私がいつも不安を感じる時の表情に似ているのだけれど、今は不安は湧き上がらない。私の不安は全部が全部見当違いの阿呆な考えだったわけではないのだ。でも、ああ、あの笑顔も、あの笑顔もあの笑顔も全部。それだけ、ではなかった。

「いつも思ってたんだ。どう足掻いても、俺はお前を、他所へはやれねェなァ、ってよ。なら、俺のやるべき事は一つしかねェわけだ」

私の考えは半分は正解で、半分は不正解だった。

「もし、お前が。こんな俺でもいいってんならよ。……俺と、一緒になってくれや」

私の大好きな人は、私が思うよりずっと強かった。私も思いっきり笑顔で頷いて、もっと強くならなきゃいけない。紺炉さんが何も心配しなくて良いくらい。何度も好きになってもらえるくらいに。
……だから、こんなに嬉しい時くらい、飛びついて、バカみたいに泣いてもいいよね。


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20191014:「おい、若。ちょっとなまえに近すぎやしねェか」「……なまえ。過剰すぎてうぜェって言ってやれ」「こ、紺炉さん、若はほら、若だし、大丈夫ですよ」「いや。若だって男だ。大丈夫じゃねェ」「チッ、婚約した途端開き直りやがって……」
ligamentさまからお題お借りしました。お題【嬉し涙】)


 

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