毎日を楽しくする工夫/黒野


定時のチャイムが鳴った。
ぐっと伸びをしながら、あと一時間くらい残って、残りの仕事もやってしまおうかと書類を睨み付ける。そんな私だったが、ごつ、とやや強めに肘を打って来る同期の言葉で答えは決まる。

「なまえ、あんたの旦那来てるよ」
「え、ああ、ほんとだ」

本当に仲がいいわね、とにやにやと笑われた。来るって連絡あっただろうかとメールを確認するけれど、特になにもない。近くを通りかかったとか、そんな理由なのだろう。
窓から二人で見ていると、会社の外で何をするでもなく立っている優一郎黒野は私に気付いて小さく手を上げた。私も手を振り返す。残業はなしだ。
急いで優一郎くんのところまで駆けて行って声をかける。

「優一郎くん」
「なまえ。今日は早かったな」
「待ってるならその辺のお店とか入ってればいいのに」
「外で待っていた方がお前は気を使うだろう。俺は使える気はすべて使ってもらいたいだけだ。存分に俺のことだけ考えてくれ」
「……まあ、いいんだけど、今日なにか食べたいものある?」

なんだか上機嫌だな、と私は少しだけ笑うと、優一郎くんは私の手を掴んで歩き出した。くるりと腕を絡めた恋人繋ぎ。なんでも、手も腕も柔らかいから触れているのが好きなんだそうだ。

「昨日作ったカレーがまだ残っているだろう」
「ああ、そうだった。それでいい?」
「あと酒もある」
「お酒? 今日飲む? なにか肴になるようなものあったかな……。あ、キャベツあるかも。ごま油と塩で和えたやつでいい?」
「肴は別にいい。お前、今日が何の日か知らないのか?」

ここでようやく、彼には彼なりの理由があって迎えに来たのだと気付く。十一月二十二日。いろいろあるのだろうけれど、彼が興味を惹かれそうで私達に関係がありそうなものと言えば。

「ん? 良い夫婦の日?」
「そうだ。俺は帰ったらそのいい夫婦の日にかこつけて、スパイスを足したカレーを食わせた後お前をべろべろに酔わせて何もわからなくなったところで抱きつぶす計画があるからな。お前の好きな、お前だけ酒が進むような肴を用意したらいい」
「……まあ聞かなかったことにするんだけど」

……本当に、やけに上機嫌だ。休みが被ったのは久しぶりだから、かもしれない。いや、そうでなくとも、彼はとんでもなく楽しそうにいつも私を抱いている、か。いい夫婦の日はあまり関係ないような……。

「なまえ」
「ん?」
「それで、お前からはなにかないのか」
「……エッ!?」
「いい夫婦の日だぞ」
「ええ〜……ノーマークだったなあ……」

そういうことか! 残念ながら今日は貰ったのど飴くらいしか持っていない。手持ちで優一郎くんが喜びそうなものはない……。何か期待していたんだとしたら申し訳ない。今からでも何か……いや、あれ……? でも、別に優一郎くんも私を好き勝手すると宣言しているだけで何か特別なものをくれたというわけではない……。そう重く考える必要はないのかも。

「優一郎くんも何かくれるわけじゃないよね」
「ん? なんだ。何か欲しいものがあるのか? ……俺か?」
「貴方はもう私のじゃないの」
「……」

ぎち、と握る手に力が入った。
痛い。普通に痛い。

「優一郎くん?」
「早く帰るぞ」
「ああ、カレー食べてお酒飲むんだっけ」

痛いな、と思っているとひょいと体を抱き上げられて、歩く速度が五倍くらいになった。
優一郎くんの顔が近くなって、地面は随分遠くなる。周囲の目さえなければ早く帰れて良いのだけれど、これたぶんまた近所の小学生に『妖怪人攫い競歩』が出たとか言われるんじゃなかろうか。

「そんなものは全部後回しだ。あと今日は俺のことはダーリンと呼ぶように。いい夫婦の日だからな」
「え、じゃあ、ダーリンは私をハニーって呼ぶの?」
「呼ばれるのはともかく、俺は普通に名前で呼ぶ方が好きだ」
「あ、そうなの……」

宣言通り、家に着くなり、玄関で唇に噛みつかれて、気が付いたら次の日の昼になっていた。


--------------------
20191122:いいふうふのひくろのっさん。

 

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -