第七C


 目はやや腫れたが、化粧で隠れてくれるだろう。
 長い髪は朝早くから馴染みの店で切ってもらった。
 失恋したら髪を切るなんて古風かな、と私が笑うとおばさんは「失恋? 新しい恋のはじまりじゃないのかい」と言ってくれた。短いのは久しぶりだけれど、軽くなったしいい感じだ。
 日課の走り込みを終えると、朝食の用意を始めた。
 のろりと紅丸が起きて来て、調理場に顔を出したので「おはよう」と声をかけてみた。いつもならば「ああ」とだけ返事があるのだが、紅丸は私を見て、眩しそうに目を細めた。
「髪、切ったのか」
「うん。……どう?」
「短いのもいいが……、見えてるぞ」
「……なに?」
「首。昨日の」
「!!?!?!!?」
 私は慌てて首をばん、と両手で覆った。大丈夫。トレーニングウェアは首まであるし、着替えてからもまだ誰とも会っていない。理髪店にもトレーニングウェアで行ったから見えていなかった、はず。
 走って部屋に戻り、秒でインナーをハイネックのものに変更し、走って戻って来た。
「紅……」
「動きやすそうでいいな、その髪型」
「紅……!」
「ただ他の奴にも首とか見えんのは微妙か……?」
「もう髪型はいいからちょっと聞い、」
 真剣に私の髪型について感想を言い続ける紅丸についに掴みかかり、肩を揺らした。おとなしく揺らされていると思ったら、いつもの顔のまま。「ああ、そうか、これだな」
「かわいい」
「わえっ!?」
 ……かわいい、かわいい……?
「……」
「……」
 私はすっかり言葉を失って、多分顔を赤くして紅丸を見上げている。かっこいい、はよく言われるけれど、かわいいははじめていわれた。というか。紅丸が、私に、かわいい、なんて。
「それで、なんだ?」
「……ツギカラ、ミエルトコロハヤメテネ……」
 からかわれているのかも、とちらちら紅丸を見るのだけれど、彼は尚もまじまじと私の髪を観察していて、とても冗談だったとは思えない。

 今まで気を使って言わなかったこと、というのは本当にたくさんあるらしく、タガがはずれて、感情をため込んでいたダムは決壊。紅丸はことあるごとに私の行動や作ったものについて感想を述べていく。
 朝食にだし巻き卵を作ってみれば、「美味かった」とは当然のように言われ(今までは普通とか、まあ食えるとか、そんなかわいくないことばかり言っていたのに)。
「それならよかった。ありがとう」
 私が笑うと、紅丸は、じっ、とこちらの目を覗き込んで続ける。
「俺は」
「ん?」
「お前の飯なら一生食えると思ってる。特にだし巻きは世界一美味い」
「……い、いやあ、紅?」
「三年ぐれえ前の冬、お前が監修したすきやきあったろ? あれも最高だった」
「三年……? ああ、あったかも……。よく覚えてるねそんなこと……」
 どこかおかしくなってしまったのでは、と不安になってくるのだが、言っている方があまりに真剣なので茶化すこともできない。
「……」
 無言になるしかなくって黙っていると、紅丸は、ふ、と懐かしそうに笑う。
「と、思ってた。言わなかったけどな」
「あ、ああ、そういう、っていうか、う、ううん……」
 黙っていたこと全部教えてくれる、と言っていたが……。
 私は朝から紅の熱い告白に倒れないようにと気合を入れた。
 入れたのだが……。
 これが、また……。
 開き直った新門紅丸の強さと言ったら……。
 さらりと髪に触れては、
「川みてェだと思ってた。きらきら光ってよ」
「ん、んん、ありがと」
 資材の調達や細々した書類仕事をしていると、
「いつも助かってる。お前の気配りがなきゃ女子供はああも安心して詰所に泊まれてねえ。あいつらに必要なもんなんて俺たちじゃわかりゃしねェしな」
「あ、そ、そんなの。大したことじゃないよ」
 するりと背後に立たれて腰を撫でられ、
「体だとよォ」
「あの、あのちょっと紅? 紅丸?」
「まあ、全体的にバランス良いとは思うんだが。この部分が一番イイ」
 そっと撫でられてぞわりとする。
「ひえ」
 そんなに大切そうに触れないで欲しいのだけれど、紅もすっかり楽しくなってしまっているようで、淡々と教えてくれる。
「顔だと目だな。昔から、大事なものだけは間違えねえって目してやがる。俺はその目にまず惚れた」
 まだまだある。一緒に散歩をすると上機嫌に、
「これからは、堂々とお前を侍らせれる訳だな」
 と、笑っているし、私は一秒も気が抜けない。
 どこからか花の匂いがするなあと、匂いの元を目で探していたら、
「今の表情そそるな」
 と、口説かれた。
 私は流石に腰が抜けそうで、赤い顔をぐっと引き締める。
「……、あの、さ、紅」
「どうした」
「ううん……、楽しそうでなにより」
「俺ァ、お前が隣に居る時はいつでも特別楽しいけどな」
「紅、紅ちょっと、ちょっと待って」
「なんで?」
「許容量が足んない」
「そりゃあ……」
 紅丸は、にやり、と笑って私の顔を覗き込む。
「そこ越えたら、お前さんはどうなっちまうんだろうな」
 始終こんな調子で、私は顔を押さえたり胸を押さえたり胃を押さえたりするのに大変に忙しい。
 三日もすれば飽きるだろうと受け止めていたが、全く止まる気配がない。嬉しいとか楽しいとか、今のは妬いたとか、好きとか大好きとか、そういう感情を大真面目に真っすぐすぎる言葉で伝えられるから、もうそろそろ骨抜きにされそうだ。

 紺炉さんは、私と紅丸に気を使って、あまり私と接触しないようにしてくれているようだった。避けられている、という程でもなく、必要な会話や挨拶はちゃんとしている。
 ただ、擦れ違った時、ほとんど癖のようになってしまっている、名残惜しくて背中を見詰めそうになるのをぐっと堪えて、前で待っていてくれる紅のところへ向かう。じゃれるように私が頬に手を伸ばすと、幼稚なスキンシップに応えて私の手に擦り寄った。
 復興作業で、ふと視線を感じて振り返ると紅丸と目が合う。
 以前までならへら、と笑っておしまいだったが、私は大きく手を振って「べに」と口元だけで彼を呼ぶ。紅丸は用事もないのに近くに来て、ぐ、と私の頭を押さえたり、首に冷たい飲み物を当てたりしてから去って行く。
 紅丸が、おそらく私関連のことで肘でつつかれている姿を見かけることも多くなった。
 そうでなくても、町の人は紅丸が大好きでよく構っているのだけれど。
 「紅、」「紅丸」「紅丸ちゃん」「大隊長」「べにき」「若」と、いろんな人が彼に声をかけていく。紅丸のそんな姿も、仕事ぶりも、戦う姿も、普段ののそりとした動作も全て知っていたはずなのに、最近全部が新しい。
 はじめて知ったことみたいに、新鮮な発見になった。
 さら、と浅草の風に押されて紅丸の隣に躍り出た。
「紅、」
 呼ぶと、紅丸はじっと私の方を見て、
「お前は声もうるさくなくていいよな」
 と、思いついたのか思い出したのか、私を口説くのに余念がない。
 まだ一週間程度しか経っていないのに貰った「好きだ」の数は数えきれないし、彼が好きになった私の話を聞いていたら、私も私を大好きになりそうだった。
「褒められてないところ探す方が難しくなってきたよ」
「いい加減わかれ。ベタ惚れなんだよ」
 指の先を自分の頬に付けると、やや熱い。褒め殺しには慣れて来たけれど、好きだと言ってもらえるのも、大切で大事でしかたがないのだとわからせてもらえるのも幸せだ。
 町の人と何やら真剣に話をする紺炉さんがちらりと見えたが、すぐに隣の男を見上げて聞いてみる。
「紅さ、」
 すい、と髪をすくって耳に掛ける。
「私でいいの」
 決して、彼の気持ちを疑っている訳ではない。これは不安だとか不満だとか、そんな話ではない。
 ここから先は、私の覚悟の話だ。
「私、紅みたいに、何年も前から好きだったところとか、言ってあげられないのに」
「そりゃあそうだろ。お前は紺炉が好きだったんだから」
「うん。でも、だよ、紅」
 四六時中、暇さえあれば見ていた背中を思い出す。
 今だって鮮明に思い出せるけれど。「紅が」そう、紅丸が。
「ヒナタとヒカゲの髪梳いてあげてる時とか、」
「浅草の皆に遊ばれてる時とか、」
「復興作業してる時、とか」
「散歩に出てく後ろ姿とか」
 朝起きた時どんな顔してるとか、私にどうやって笑ってくれているかとか、町の皆とのなんでもないような世間話をしてる時とか、ご飯は何から食べるのかとか、鍛錬の様子だとか、夜、私を丸ごと受け止めてくれている時とか。涙をすくってくれる指、とか。
「最近、よく見てるよ」
 紺炉さんのことを無意識に目で追うこともまだある。紅丸はそれを責めるでなく茶化すでもなく、「大丈夫か」と私をそっと引き戻してくれる。
 しばらくは紺炉の替わりでも構わねェよ、と彼は言った。
 紅丸は、かわいい弟分だと思っていたのに。
 ここ最近で随分、彼も男なのだと知った。
「かっこよくなったね。流石は、第七の大将だ」
「……」
 少し間があったのは照れたからだろうか、歩いている内に、周囲に人の気配はなくなった。賑やかな音が遠くなるけれど、私達は間違いなくその一部だ。
「お前は、その第七の大将が見染めた女だぞ」
「そうだね。どうしようね」
 紅丸は私の唇に自分の唇を押し当てて、至近距離で言う。
「新門紅丸が惚れてんのは、お前だ」
 他の誰でもないのだと、ほぼ毎晩そう言われて、そして私はほぼ毎晩泣いている。
 そっと、私から紅丸に触れる。
「……紅?」
 私の雰囲気が普段と違うことに気が付いているのだろう、紅丸は緊張した様子で「なんだ、文句なら、」受け付けねえぞ、と言われる前に、私が言う。文句じゃない。これは決意だ。
 あの日失恋のショックで流されて、今でも変わらずそんな気持ちで隣にいるわけじゃないと伝わればいい。私も本気で、紅丸に向き合いたいと思っていると伝わればいい。まだ拭いきれないものもあるけど、今が幸せだと伝わればいい。
 紅丸に、好きになって貰えてよかった。

「私も、好きだよ」


 

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