夕日がきれいな日の話/大黒


下らない会議が終わると、すぐにその場所へ向かった。
外がいつもより赤い。夕日など珍しくもなんともないが、彼女は、こういう日は決まって夕日を眺めるのだ。社内で一番夕日がよく見える場所に行っている。彼女が行くのなら俺も行く。
廊下の角を曲がる前に息を整えて、おかしなところがないか簡単にチェックする。たまたま通りかかった、という風に見せかけるのは大切なことだ。彼女は例え俺が好きでやっていることでも重圧に感じるようだから。
深呼吸して角を曲がると、案の定彼女は大きな窓に手をついて夕日を見ていた。東京皇国が、植えられている街路樹が、道行く自動車が、すぐそこの壁が等しく真っ赤に染まっている。彼女もまた、同じように赤い。彼女は確実にこの世界に存在しているのだと、当然のことを確信した。同じ世界で、同じ会社で働いている。彼女は夕日を見つめながら、たった一人で何か言った。動いた唇を読むに「きれい」だろうか。
声をかけるのも忘れてじっとしていたせいで、彼女に気付かれた。振り返る。

「うわっ、え? ぶ、部長、どうしたんですか」
「どうもしないが」
「いや、どうもしない人は廊下に突っ立って泣いたりしないんですよ」
「泣く?」

泣く。そんなことより彼女が珍しい顔をしているのが気になる。心配してくれているのだろうか。俺を?手を持ち上げて自分の頬に触れると、指に涙が伝って、手の甲あたりまで落ちてきた。おお。

「確かに、泣いているな」

まあ、それも仕方がない。そんな風に笑ったからだろう。彼女はまた俺のいつもの病気が始まったと心得て、ポケットからティッシュを取り出し俺に渡した。

「一応聞くんですけど、救急車とか呼んだ方がいいわけじゃないですよね?」
「もちろん、大丈夫だ」
「大丈夫なら泣き止みましょう私が泣かしてるみたいなんで」
「実際、俺は君に泣かされている」
「ただ立ってただけですよ」
「俺は、君がそこに存在してくれるだけで嬉しい」
「ええ……?」

彼女はいつも通りに大変微妙な困った顔をしている。「いや、それは」視線を彷徨わせて俺にかける言葉を探している。良い言葉が見つかったのか、彼女が遠慮がちに俺と目を合わせた。

「その告白、重すぎるんですが」
「ん?」
「え?」

告白。誰が。誰に。俺が、彼女に?

「あ、ああ、そうか。そうだな。いてくれるだけで嬉しい、は告白か? つまり、君は俺の言葉をどう解釈してくれたんだ……?」

「……」やってしまった。という顔で黙り込む彼女が口を開いた瞬間、言い知れぬ恐怖が俺を襲い、慌てて彼女の声を遮った。

「いや、いいんだ。そうすると、返事は……?」
「返事?」
「ああ違う。駄目だ。待ってくれ。返事はいい。返事はしないでくれ。違う。俺のこれは、そういうのじゃあない。だから、これからも普段通りで頼む」

俺は、彼女を見ていられるだけで概ね良い。彼女が幸せならそれでいい。何の問題もなく仕事をして生活していてくれさえしたら良い。これは本当の気持ちだ。これを伝えるのは難しい。というか、俺はこれを『本当の気持ち』としながら、彼女が俺を望んでくれたなら、などと考えているからこんな態度になってしまう。だから彼女は困って、首を傾げて。

「普段通りでいいんですか」
「いや……、いいか、と言われると断言はできないんだが」
「私はなにかリアクションした方がいいんですか」
「いや……」
「しなくてもいい?」
「いや、それも、いいかと聞かれると困る」

普段通りで充分に嬉しい。が、何かあれはそれはそれで嬉しい。反応など求めてはいない。が。なまえはやはり困っている。どうしたらいいのかわからないのは俺だけではないらしい。なまえもまた、俺をどう扱うべきかわからないようだ。俺など単純なのだから、適当にしておけばいいものを。

「今日は、随分、俺のことを聞いてくれるんだな」
「誰だって、いきなり目の前で泣かれたらこういう反応になりますよ」
「ハッハッハ! たまには泣いてみるもんだな!」
「泣かないで下さい」
「迷惑か?」
「普通に心配なので」
「そうか。心配してくれるわけか!」

大丈夫だ。なんの心配もいらない。俺はなまえに害をなすつもりはない。なまえのなにかになりたいなんて大それたことは望んでいない。なまえは、この男をいいように利用してやる、くらいに思っていればいい。ああだというのに、なまえは俺を本気で心配していて、俺のことで困ってくれている。それは。それはなんて。

「幸せなことだな」

彼女はやはり、どうしたらいいかわからない、という顔をしている。いつもならば盛大に溜息を吐いてやっていられない、とばかりに俺の前から立ち去っていくところだが、俺がみっともなく泣いているからだろう。俺の様子をじっと窺っている。本当に、たまにはこうして泣いてみるのもいいかもしれない。構われなくていいと思いながら、構われる方法を探している。なんとも滑稽な。

「帰れます?」
「体に異常はないからな」
「車、でしたっけ? 運転できますか」
「まだ仕事もある。その内には止まるだろう」
「私は帰りますけど、大丈夫ですか。誰か呼んだり、送っていったりしなくていいですか」
「車で二人きりになったら俺は心停止する。それならそれで覚悟を決める時間が一週間くらいは欲しい」
「……そうですか。じゃあ、帰りますね?」
「ああ。そうしてくれ。もうとっくに俺のキャパシティを越えている。今日は摂取しすぎだ」

彼女はそれでも、後ろ髪を引かれる様子だった。俺がにこりと笑って(涙は出ているが)手を振ると、ようやく「お疲れさまでした」と頭を下げて立ち去った。

「ああ。また明日」

彼女が立っていた場所に立って、彼女がしていたように夕日を眺めていると涙は次第に乾いていった。


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20210805
楽しいすぎる。

 

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