彼女になりたい/大黒


想像(いや、妄想というのかもしれない)することがある。もし、もしも自分が、彼女より後に灰島に入社し、彼女に仕事を教わる立場になっていたら、と。
俺は極力感情を表に出さない様に気を付けながら「先輩、先輩」と彼女の傍へ駆けていく新人を盗み見た。先日は彼女にランチを奢って貰ったそうだ。新人が女性で良かった。男だったらこんなに穏やかではいられない。黒野曰く、今でも充分マズイらしいが、そんなことはない。ちゃんと仕事はこなせているし、なんだかよくわからないが涙が止まらなくなる、ということもない。彼女は先輩として至極当然、いや、大分親切だが、まあ、常識の範囲内の振舞いをしている。
彼女に声をかけるタイミングを悉く奪われていることなど、別に気にしていない。ここ数日、挨拶くらいしかできていないことなど、別に気にしていないのだ。それにしても、後輩というのは気楽なもので、自分が困ったと見るや否や彼女に助けを求めに行く。彼女はそれににこやかに応じて感謝されているわけだが、彼女は新人を大層気に入ったようで、新入社員に向けられる笑顔は大分柔らかい。

「先輩、か」

彼女に大黒先輩、と呼ばれるのもいいな、と思う。彼女が困った時に頼れる人間は俺しかいなくて、彼女はあの新人より申し訳なさそうに俺に声をかけるのだろう。俺はそんな彼女に「気にするな」と爽やかに言い放ち「今日はよくやったな。なにか奢ろう」などと軽く食事に誘ったりするのである。もちろん返事はイエスである。いや、だが、果たして。彼女とデートができるなんて状況になったとして、俺はきちんと人間の形を保つことができるだろうか。どろどろに溶けてなくなってしまわないか? 想像だけでこれだけ体に熱が籠るのだから。万が一実現したとしたら。
駄目だ。動悸がやばい。
彼女で波立った心を彼女で落ち着かせようと、彼女の方を見る。今まさに、新入の頭をさらりと撫でたところだった。

「う、!?」

なん。なんだそれは。そのサービスは一体いくらだ? 彼女の後輩になると漏れなくあんなオプションが付くのか? そんな話は聞いていない。
そっと右ひじをデスクに乗せて、頭を抱えるフリをしながら右手のひらを自分の頭に近付ける。自分の頭にこんなに丁寧に触れたことはない。指先からそっと髪の表面を撫でるようにして、大切に指を通す。駄目だ。どうにかして俺にもやってもらえないだろうか。ここのところ欲が出ていていけない。同じ部署に引き入れられただけで満足だと思っていたのに、もっと近くに、精神的にも近しい存在に、という欲が駄々洩れである。際限がない。

「頭でも痛いんですか」
「うん!?」
「これ、頼まれてた書類ですけど、後にした方がいいですか」
「いや、いい。今貰おう」
「鎮痛剤ならありますけど」
「ハハハ、まるで俺にくれるように聞こえるぞ」
「必要なら差し上げますって話以外どういう意味に聞こえるんですか」
「いつになく優しいな!」
「頭抱えてる人に鎮痛剤いりますかって聞いてるだけですってば」

頭が痛いわけではない。が、彼女の気使わしげな視線がくせになりそうで、指でこめかみを揉んだ。

「いや、頭が、そうだな、少し、痛む」
「仕事しすぎなんじゃないですか。それか誰かに恨まれてるとか」
「理由が極端すぎる」

なまえはスーツのポケットから錠剤を取り出してぱきりと折って分離させる。「まあ、じゃあこれよかったら」使っても使わなくてもいい、そんなニュアンスで言ったが、俺はそれどころではない。君、今これをどこから出した? 彼女の匂いがうつっているのでは、と確認したくなる気持ちをぐっと押さえて、いつもの笑顔で言う。

「最近、君から貰ってばかりだな」
「なんていうか、ティッシュ一枚とかメモ帳一枚とか、そういうのを差し上げたことをわざわざ鼻にかけるとしたらそういう表現もできなくないですけど」
「貰ってばかりついでに、一ついいか」
「水でも買ってきますか」

そうではない。ついでに。ついでにだ。さっき君が新人にしていたように触ってくれないか。ああされると俺の頭痛はきっとたちまちよくなると思うんだが。三秒、いや、一秒に満たなくてもいい。さらりと、やってみてくれないか。もっと、もっともらしい理由をつけてもいい。ばくばくと鳴り出した心臓を無視して口を開く。

「……」
「……」

口を開く。

「…………」
「…………? 今、なにか言いました?」

何も言えていない。断られたら、というか、今日まで作り上げて来た、なまえ第一主義の大黒部長が彼女の中から消えてしまうのではと思うと言えそうになかった。そう。欲張るのはよくない。彼女は同じ部署内にいて、一緒に仕事をして、ほとんど毎日会話もできる。新人を相手によく笑う顔も見られる。これ以上は欲張らない。

「いや、なんでもない」

なまえは「お大事に」と言ってから自分のデスクに戻った。
彼女がここから見えなくなると、すぐに錠剤のパッケージに書かれた商品名を確認した。なるほど。彼女はこれを愛飲しているのか。常備しているということは、月のものが重たいタイプなのかもしれない。俺も同じものを常備しておけば、いつか役に立つかもしれない。今回飲んだこの薬がとてもよく効いた、とでも言えば、なんの不自然もない。


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202210619
このシリーズの続きです。

 

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