二か月目


本当に収入が倍になっていてその日の内に色々買い物をした。
大黒部長のことだから、お金を受け取らせてからいろいろ要求してくるつもりだろう。なにもなければ冗談だったのだと思うだけだが、部長は案の定咳ばらいをしながら近寄ってきて「今日の定時後だが」と切り出した。

「いいですよ」
「食事でもどうだ」

「ん?」部長は首を傾げている。「今、順番がおかしくなかったか」おかしくはない。部長がそう言うだろうと思ったので、先んじて返事をしただけだ。

「おかしくないですよ」
「そうか。おかしくないのならいいんだが」

「そうか」「そうか?」部長は落ち着かない様子で何度も「そうか」と繰り返して、その内もう一度咳払いをした。

「で、食事でもどうだ」
「だからいいですよって言ってるじゃないですか」
「……いいのか?」
「えっ、断ったほうがいいならそうしますけど」
「いや。わかった。よし。楽しみにしておいてくれ」
「はい。楽しみです」

部長はやはり落ち着かない様子だ。目が合わないし「こんなに簡単でいいのか」「なにか裏があるのでは」などと一人で喋っている。変な人だなと見上げていると、ぱちりと目が合った。今日は何か美味しいものが、無料で食べられるに違いない。私はにこりと笑っておいた。聞いたこともないような美味しいお酒もあるだろうか。楽しみだ。



六月の定時後はまだ明るい。明るい時間に帰れるというのは気分がいい。私が体を伸ばしていると、部長は時間を確認しながら隣に立った。私を飲みに誘った時、挙動不審だったので少し心配していたが、いつも通りの部長に戻っている。
「よし、行くか」そのまま歩き出そうとする。それならそれでいいのだが、給料分は働かなければならないような気持ちになっている私は、部長のスーツの袖を軽く引いた。

「はい。手とか繋ぎますか?」
「手……?」
「あ、腕を組むほうが部長っぽいですか」
「腕を……?」

部長はぎょっと体を仰け反らせた。おかしなことを言っただろうか。恋人と言えばまず手を繋ぐくらいのことはしそうだが。もしかしたら部長は、そういう人間同士のふれあいが好きではないかもしれない。私はあまり部長のことを良く知らないので、駄目なことがあるなら言っておいてくれると助かるのだが。

「き、君は、どっちが好きだ」

部長は、手を差し出そうとした後に、私が腕を絡めやすいように自分の腕を動かしていた。おかしな動きだった。手を繋ぐことと腕を組むことは一緒にはできないと気付いたのか、行き場のなくなった手を空中で止めて肩をすくめるようなポーズをしていた。
触れることは嫌がられてはいないっぽいので、試しに軽く手を取ってみる。

「私は手を繋ぐほうがかわいくて好きです。こんな感じで」

ぎゅっと、大黒部長の内側に入り込むように手を絡めて、ぎゅっと握る。

「ほら、どこからどうみても恋人ですよ」
「……」

部長は私から思い切り目を逸らして空いている手で頭を押さえていた。深く息を吸い込み、そして吐き出す音がする。

「どうして黙るんですか」
「今、話しかけないでくれ、崩れる」
「崩れる?」

なにが? どうやって? 全くわからないので「どうして」と聞くが「いいから、少し待ってくれ」「頼む」と、部長は自分の顔を隠すことに必死で私の質問には答えてくれなかった。何か知らないが大変なことが起きているらしい。大変だなあと私は少し大きめに部長と繋がっている手を振った。



店につくと、個室の席に通された。部長は「好きなものを頼んでいい」と言ったきり何も話さなくなってしまったので、あれこれ頼んで満足した私は部長の隣に移動して部長にもたれかかってみた。部長はそろそろ怒るんじゃないか。そんなことを考えながら部長の様子を伺う。が、怒っている様子はなく、ひたすらに酒をあおっていた。

「サービスしすぎじゃないのか」
「サービス?」

サービス残業とかのサービスだろうか。なら、私がこういうことをすることに、料金は発生していない、ことになるのだろうか。部長の考えていることはよくわからないが、ならばその内ボーナスが出るかもしれないと部長の言う『サービス』を引き続き実行していくことにする。
空になったグラスに酒を注ぐ。
部長はすぐにそれに口をつけ、一気に飲み干す。うーん?

「部長ペースが早くないですか」
「俺はいつもこんなもんだ」
「そうでしたか? あ、甘いもの頼んでいいですか」
「もちろんだ。好きに過ごすといい」
「やった」

甘いものを見つけてしまったせいで、一時的に部長そっちのけで食べていた。気づくと、部長はテーブルに突っ伏して動かなくなっている。

「部長、部長? 大丈夫ですか?」

寝ている。起きる気配がない。「大丈夫じゃないなこれは……」ぱちぱちと頬を叩いてみても無反応だ。「うーん」ここに放置しておく訳にはいかない。かと言って部長の家を知らないから、家まで送ることも出来ない。

「まあ、私の家でいいか」

恋人だし。特に問題は無いだろう。


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20210605:月一更新にしたい。何か月続くかは不明。

 

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