52学パロサンプル


 新しい家の天井は、まだ見慣れない。起きてすぐは夢の中にいるような気持ちになって毎朝そわそわとした。やや、体が重く感じる。実家でもそうだったのか、ここにきたからそうなったのかはわからない。原因をあげようと思えばいくつもある。
 他人の家に厚意でお世話になっているのだから、と言う負い目かもしれないし。環境が変わってストレスを感じているのかもしれない。挙げはじめればキリがないが、着替えを済ませて身支度をした。少しでも役に立たなければ。
 住宅街にある一軒家で、私の実家からは徒歩十分と離れていない。特に目を引く見た目ではないが、区画の角にあるので他の家よりは見分けがつきやすい。庭に大きな桜の木が植えてあって、今年も綺麗に咲いている。四月ともなると半分は散ってしまっているが、窓から桜が見えるのは素敵だなといつも思っていた。この家は私の幼馴染一家が住んでいて、私は、三日前からここに住まわせてもらっていた。私は一人でも構わないと言ったのだが、両親がそれを許さなかった。「一人にさせるのは心配だ」の一点張りで、この場所に残りたいのなら、この家に世話になるか、兄を呼び寄せるかどちらかにしろと言われた。私はこの家に厄介になることを選んだ。
 高校三年生と言えば、あと一年もしたら大学生だし、二年もしたら成人である。「成人であればともかく」と母が言った。二年でそう変化するとも思えないが、父と母には大切なことらしかった。
 弁当箱を三つ広げてご飯、卵焼き、ウインナーなど定番のメニューを詰めていく。「あんまり色気がなくていいな」と、この家の長男、ジョーカーさんに褒められた、定食屋のメニューをそのまま弁当に詰めたような出来上がりだ。「変な風に凝るよりこういうのの方が助かるぜ」とも言っていた。『変な風に凝ったお弁当』を貰ったことがきっとあるのだと思い、やや胸が痛んだが突っ込んで聞くことは出来なかった。
「うわ」
 箸を取ろうと振り返ると、キッチンの入口に52が立っていて驚いた。いたのなら声をかけてくれればいいのに。彼も私が振り返ったので驚いて「あ、」だか「う、」だか、なにやら居心地が悪そうにした後「おはよう」と言った。
「おはよう。今日は早いね」
「昨日はギリギリで、朝飯食えなかったから」
「いつも食べないってジョーカーさん言ってたけど、本当に作ってよかった? 無理に食べることないと思うけど」
「無理にじゃねェよ」
 全然。無理とかではない。52は深呼吸をしてから私の横に立つと「手伝う」と制服の袖を捲った。
「もう飲み物作るくらいしかやることないけど」
 と、言うより、私がお世話になっている以上は少しでも役に立ちたくてしている事だ。手伝って貰ったら意味が無い気がする。
「そうか……」
 52は露骨に落ち込んで、袖を元に戻していた。
「明日はもっと早く起きる」
 何時に起きているのか聞かれたので五時と答えた。52は仰け反って「五時!?」と驚いていた。五時だ。彼はしばらく黙り込んでいたが、もう一度「明日はもっと早く起きる」と言った。五時に起きる自信はないようだ。春先とは言え、朝夕は冷え込む。
 昨日の彼は家を出なければならない時間の十分前に起きてきて、余裕も何もあったものではなかったらしい。私が学校へ行くために家を出た後、起きた時間が遅すぎたせいで私の作った朝食を食べられなかった。そのせいでこの世の終わりのような顔をしていたのだと、彼の母に聞いた。彼等の両親は忙しくしており、家に帰る時間も出る時間も不規則だ。朝に帰ってきたり、夜中に出て行ったり出勤時間は様々なようだった。故に、あまり気を使わないで欲しい、と二人から頼まれている。だから、朝食も、お弁当も、私と52、それからジョーカーさんの三人分だ。ジョーカーさんは52のお兄さんである。
 彼も大概好き勝手な時間に出ていったり帰ってきたり、以前から生活リズムの分からない人という印象だったが、食事は作っておいて欲しいとのことだったので用意しているし、しっかり食べてくれている。大した料理は作っていないが、毎回感想付きで、大変にモチベーションが上がる。
 彼の家とは、一家ぐるみで保育園時代から付き合いがあるので、ジョーカーさんも私のことを妹のように可愛がってくれている。
 そして私は当然のようにジョーカーさんに憧れている。
 よく遊んでくれてよく面倒を見てくれたジョーカーさんは、私にとっては憧れの男の人である。ジョーカーさんはどう思っているのかわからないが、仲はいい。そう断言出来るのは幸せな事だ。
 がたん、と電車が揺れて、バランスが崩れる。目の前にいる52に頭が当たってしまって「ごめん」と言いながら顔を上げた。
「大丈夫か?」
「大丈夫。ありがとう」
「いいんだ、なんならほら、掴まっててくれても」
 もう一度揺れたが、今度は耐えた。
 52は大抵ギリギリの電車なので、以前から一人で通学することが多かった。が、今日は52が隣に立っている。学校の最寄り駅まで、二十分くらい電車に揺られるのだけれど、52は隣で何をするでもなく、読書をする私を見ていた。電車はそれなりに混んでいるので、私を壁側に押しやって、人の圧から守ってくれている。
 十分ほど経過したところで、52が言った。
「その本、面白いのか」
「面白いよ。読み終わったら貸そうか」
「貸してくれ」
 彼は頷いて、紫色の目を細めた。ジョーカーさんと同じ目の色をしているし、顔も似ているが、当然、52の方が幼く見える。そして、ジョーカーさんは鍛えているのかどこもかしこも筋肉がついていて、存在感がある。52は年相応の男子高校生という風体である。背は高いが、ジョーカーさんと比べてしまうと細い。
 52は私の視線が擽ったくなったのか、思い切り横を向いて顔を逸らしていた。さっきまで穴があきそうなくらい私を見ていた人間が何を今更。
「ど、どうかしたか?」
「いや、なんでもないよ」
「そうか。それならいいんだ」
 それならいい。無言の間を埋めるように繰り返す。
「なあ、今日は、学校が終わったらなにかあるのか」
「今日は部活があるね。そんなに真面目に活動してるってわけでもないけど」
「それ、待ってていいか」
「終わるまで? いや、その後友達と帰るし、遅くなっちゃうから先帰っててよ」
「……そうか。なら、先に帰ってる」
 見るからに残念そうだ。ついうっかり「待ってていいよ」と言いそうになるがぐっと耐えた。52はちょっと、いや、大分か。私の事が好きすぎる。もうちょっと隠した方がいいと思うのだが、本人はこれで隠しているつもりだし、私には気付かれていないつもりなのだろう。

 そして、私に気付かれているということは、周囲から見ればもっとわかりやすいということだ。例えば、私の友人などは、私への第一声が「52くんと付き合ってるの?」だった。付き合ってはいない。向こうはそれを望んでいるのかもしれないが。
 体育館の隅で、中央のコートで行われるバレーボールの試合をぼんやり見ていると、その友人が私の隣に座った。
「同棲生活はどう?」
「いや、あのさあ」
「間違ってないでしょ?」
 間違ってはいない。一緒に住んでいることには違いない。クラスの全員に知られている訳ではないが、私や、あるいは52に親しい生徒は知っているだろう。隣に座った友人はにやにやしながら肘でつついてくる。絶好のネタであることは否定できない。私がもし逆の立場だった場合でも、同じことをするだろう。
「今日も仲良く一緒に登校してたじゃない」
「家も一緒なら学校も一緒だし」
「やらしいねえ」
「やらしくはない」
「いやいや、あんたはそうでも向こうはほら、絶対ラッキースケベとか狙ってるって。彼、絶対むっつりスケベだもん」
 不名誉なことを言われている。庇っておくべきか迷うが、ふと視線を感じてコートの方を見ると52と目が合った。今、サーブをするところらしい。こういう時、どうしたらいいかいつも迷う。52はあからさまに挙動不審になり、彼は彼でどうするか迷っている。
「絶対、シャワーの音とか聞いて悶々としてるって」
 友人も52の視線に気付いて「あら」と手で口元を隠した。私は結局なにもせずに視線を逸らす。
「手くらい振ってあげたらいいのに」
「一回やったら恒例になるから」
「恒例になったらまずいわけ?」
 膝を抱えるようにして視線をつま先に落とすと、友人はわざと私の顔を覗き込んで「ねえ?」と聞いてくる。恒例になったらまずいのか。困るとは思っている。この質問に素直に答えたら、どうして困ると思うのか、更に理由を聞かれるだろう。
「まずいっていうか」
「まあ、他に好きな人がいればまずいかもだけど」
「えっ」
「あれ? 他に好きな人がいるんだ? あんたは素直だねえ」
 よしよし、と頭を撫でられた。私が素直というよりは、彼女が巧みだ。理由を話しても話さなくても一緒だった。彼女にとって、私が52とくっつこうがそうでなかろうがどちらでも良いのだろう。今度は「誰? 学校のひと?」と聞いてくる。
「好きっていうか。昔から気になってるだけ」
「おお。昔ってどのくらい前?」
「……物心ついたころから?」
「うーん? 52くんじゃないとすると……あ、52くんて確かお兄さんがいたっけ?」
「いやエスパーか」
「そんなツッコミするからバレるってわかってる?」
 私は頭を抱えて完全に膝の中に顔をうずめた。違う。違わないかもしれないが、好きかと言われるとなんともわからない。憧れている。格好いいとは思う。当たり前だがとても大人だ。
「その人は落とせそうなの?」
「言い方」
「いや、もしかしてもう落としてるとか」
「そんな馬鹿な」
「でもチャンスは無限にあるんでしょ。一緒に住んでるんだから。っていうか、兄弟で取り合われる展開になったら面白いから、そうなったら絶対に教えてよ?」
「面白いって言っちゃってるけど……」
「いや絶対面白いから」
 当事者は絶対に面白くない。顔をあげるとまた52と目があった。今度は軽く手を振られるので、返さないのも後で面倒だろうなと手を振り返す。ああ、ほら、そんな風に笑ったらまた気付かれるから。と言うか、彼は、誰にも「バレてるぞ」と言われないのだろうか。
「そりゃそうでしょ、言わないほうが面白そうだし」
 ろくなクラスメイトはいない。
 試合終了の笛が鳴ると、友人は私を引き摺るようにしてコートに向かい、試合が始まると壁側から熱い視線が刺さっていた。然程話したことがない男子生徒からも「愛されてるねえ」と言われた。

 休み時間中に「何の話をしてたんだ」と聞くことも忘れず、本当に徹底しているなと思う。調理部の課題は『桜餅』だった。季節の和菓子だ。そこかしこに咲いている桜はもうそろそろ散ってしまうだろが、桜餅はもうしばらく楽しめるだろう。
 家で作ったら喜ばれるだろうか、と無意識に考えていた。
 電車を降りて、待合所を抜けると、何台か迎えの車が停まっていた。その内一台に見覚えがある気がして見ていると、運転席から人が降りて来た。縛った長い髪と左目の眼帯が特徴的だ。「よう」ジョーカーさんだった。
「どうしたんですか。待ち合わせ?」
「違えよ。待ってたのはお前だ」
「私を」
「おう。一緒に帰ろうぜ」
「車だと、十分もかからないけど」
「短すぎるか? しょうがねえ。そんなに俺と一緒にいたいなら遠回りしてやるよ。ドライブだ」
「さあどうぞ。お姫様?」助手席のドアを恭しく開けられて顔が熱くなる。こういう言葉一つ一つに一喜一憂してしまう。「それはやっぱり恋なんじゃ」楽しそうに言う友人の顔が浮かんだ。
 言われるままに助手席に乗ったが、先に帰ってもらった52のことが気になった。ジョーカーさんはニッと笑って私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。友人が私にしたのと完全に同じである。
「52の事なら気にすんな。あいつだってガキじゃねえんだ。飯でも風呂でも勝手にやってるだろうぜ」
「それなら、ええと、ありがとうございます。お願いします」
「どっか行きたいとこは? 一時間以内で着くなら走ってやる」
「そんなに遠くは……遅くなると52が心配すると思うので……」
「保護者か?」
 できるだけ長い方がいい、と思っていたはずだが、助手席に乗った瞬間にそんな気は失せてしまった。これはジョーカーさんにとって大したことではなく、ただの気まぐれなのだと思い知ったからだ。期待みたいなものは、できるだけするべきではない。期待をしない為には、さっさと切り上げて貰うほうがいい。
 助手席からは、微かに甘い、香水のにおいがした。
 今日学校であった取り留めのないことを話しながら「女の人にフラれでもしたんですか。だから私なんですか」という言葉を必死に飲み込んでいた。失礼すぎる。女の人を助手席に座らせるのは、必ずしも『そういう意味』ではないはずだ。
 結局、ジョーカーさんは三十分ほど車を走らせて、海までやってきた。対岸に民家の明かりが見える。長く突き出しているのは煙突だろうか。赤い光がゆっくりと点滅するのを見ながら、車を停めて少し外を歩いた。
 やはり夜は冷えるが、ジョーカーさんが風上に居る。煙草のにおいがして、助手席にこびりついていた甘いにおいは消えていく。少しだけ安心して隣を歩く。ジョーカーさんは私より随分高い位置で煙草をふかしている。
「寒くねえか」
「少し寒いですね」
「そりゃ大変だ」
 ジョーカーさんが私の手を掴む。驚いて顔をあげた。
「あの」
「ん?」
「女子高生には刺激が強すぎるんですが」
「そりゃ悪かった。今晩寝れなくなっちまうな?」
「明日、起きれなかったらジョーカーさんのせいですよ」
「お前は本当に、かわいいやつだよ」
 手を離してくれる様子はない。愉快そうに笑って「昔から」と言葉を付け足した。昔から可愛がってもらっている。「でも」小さかった頃は手を繋いだこともあったかもしれないが、年齢が二桁になったあたりからは覚えがない。
 必死にこの行動の意味を考えないようにする。暖を取っているだけ。それが一番ありそうな線だ。それか、やはり女の人にフラれて、それが相当にショックだったのかもしれない。だから、ジョーカーさんはこんなことを。
「なあ」
 様々な理由を頭の中で列挙して落ち着こうとしたが、ジョーカーさんはそこから私を引き上げるように名前を呼んで、顔をあげた私にキスをした。自分の唇にジョーカーさんの唇が触れる。
 声は飲み込まれていて、身体の熱ばかりが上昇していく。顔どろこじゃなく全身熱い。これは一体どうしたらいいのだろう。私が目を白黒させていると、ジョーカーさんは街灯をバックにニヤリと笑った。明暗が彼の輪郭を怪しく縁取り、夢でも見ているようだ。眼球が細かく揺れている気がして、目が回る。
「そろそろ帰るか」
 再び手を引かれて、何事もなかったようにされて余計に混乱した。今のはなんだったのか。同じような理由をもう一度拾い集めるが、納得することはできなかった。
「え、あの、でも」
「なんだよ。足りなかったか?」
 自分は納得したいと思っているのだろうか。さっぱりわからないが、口から出ていたのは質問だった。「なんで」
「なんで? どうしてキス、したんですか?」
「そりゃあお前が好きだからだ」
 あまりにもさらりと答えられて目を丸くするしかない。「好きだから」ジョーカーさんは煙草の煙を吐き出しながら、やっぱり笑っている。楽しんでいるようにしか見えないが、一瞬、52と同じ紫色の瞳が寂しそうに陰ったように見えた。
「それ以外にねェよ」
 キスをした理由はそれ以外にない。それ以外にない?「本当ですか」「本当だよ」本当に、キスをした理由はそれ以外にない。こんな風に私で遊ぶ理由はない。仮にも同居人なのだ。卒業するまでの一年程度とは言え、関係が悪くなるようなことをするとは思えなかった。そこまで暇な人ではないはずで。
「俺と付き合おうぜ」
「えっ」
 私は思わずぎょっとしてしまった。「おいおい」私の反応が心外だったのだろう。ジョーカーは肩をすくめて笑う。
「なにかおかしかったか? 俺はお前が好きだし、告白するのは自然なことだろ」
「いや、でも」
「お前は。俺が嫌いか?」
「嫌いでは、ないけど」
「なら、好きか」
「……その聞き方は、ずるいですよ」
「そりゃあお前より大人だからな。ずるいこともする。けどよ。逆に考えてくれよ。ずるいことをしてでも、お前と付き合いたいんだよ」
 そんな素振りを見せたことが今まであっただろうか。私はどうにも彼の本心が読めなくて迷ってしまう。付き合いたい。付き合ってどうするのか。今日みたいなことをするのだろうか。
「お前はどうだ」
 ジョーカーさんはいつの間にか笑っていない。じっと真剣な表情をで私を見つめて、私が答えるのを待っている。彼の言葉を信じていないわけではない。ただ、この状況を飲み込むことができない。
 ジョーカーさんには憧れていた。が、憧れている、で感情を留めていたことには理由がある。ジョーカーさんが好きだ、と軽率に言えない理由が。
「私は」
 それはさっき助手席で嗅いだにおいだったり、町で見かけた時に女の人を連れていた姿だったり、電話で親し気に連絡し合う相手が何人かいることだったりする。良い人だと思う。格好いいと思う。憧れている。が、私のこれは、ジョーカーさんの近くに居る女の人と同じものなのか、と言われると、わからない。多くの内の一人になってもいい女の子なんてきっといない。
 そういう感情をどう言葉にするべきか迷っていると、ジョーカーさんがもう一度私の顎に手を添えて顔を近付けて来た。無理矢理すぎる。大人というのは本当に身勝手でずるい。動けないでいると、ジョーカーさんが作った空気を切り裂くようにスマートフォンが鳴った。着信だ。
 私は縋る思いで電話に出た。画面には『52』と出ている。電話に出ると、彼は慌てた様子で言った。
『もしもし? 今、どこにいるんだ?』
「52……?」
『帰って来るのが遅いから心配で。今から迎えに行く。どこにいるか教えてくれ』
 52に遅くなることを言っておくべきだった。電話の向こうで家から出ようとしているらしい彼に、心配ないことを伝えなければ。
「ああ、いや、今、ジョーカーさんが」
『えっ? あいつと一緒なのか?』
「迎えに来てくれて、だから大丈夫」
 すぐに帰るよ、と言うと、52は「それならいいんだ」と言いながらも、落ち着かない様子だった。
 ジョーカーさんはそれ以上キスのことも告白の事も言わずに車に戻った。帰りの車の中でも、特に何もない。私だけがどきどきしていて、やはり、からかわれただけのような気がしてきた。
 車庫に入り、車から出ると、52が外に出て来ていた。私の名前を呼んで駆け寄ってくる。本当に心配だったのだろう。上から下まで私を見て、それからジョーカーさんを睨んだ。
「ごめん。連絡したら良かったね」
「いや、いいんだ。何もなくてよかった」
 あれを、なにもなかった、と言えるのかどうかはわからない。普通にファーストキスだし、手をつなぐのだって普通にあることではない。が、52に言う気にはならない。きっと彼は落ち込むに違いないのだ。
 52が先に家の中に入ると、ジョーカーさんはこっそりと私に耳打ちした。
「さっきの件、ちゃんと考えておけよ」
 昼間、体育の時間に友人が言った通りになった、と、これはそういうことなのだろうか。私は逃げるように家に入り「着替えるから」と自分の部屋に行った。電気もつけずに、その場に座り込む。
 自分の中に気持ちを押し込んでおくことができなくて、友人にメールをした。『大変なことになった』たったそれだけの文面だったが、彼女はすぐに返事をくれた。なんだかんだで良い友人には違いない。


-----
20210514:タイトル未定。五月二九日ユメミにて頒布予定。

 

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -