理想を与えないでください/黒野(vs火縄)


「身体中が痛い」

文句を言う彼女の体を筋肉や骨に沿って撫でる。「擽ったい」文句ばかり言うので噛み付くと観念したように静かになった。「こっちを」不貞腐れたように横を見ているので顔を近付け、額をゴリゴリと押し付ける。なまえの皮膚はすぐに赤くなる。

「こっちを見ろ」

俺の言うことが聞き入れられることはほとんどない。きっと聞いていないのだろう。顎を掴んで無理矢理こちらを向かせると、何もかもを放棄して目を閉じる。瞼に噛み付いて、力なくベッドに沈む彼女の背に手を入れた。

「まだするの」
「する」
「どうしても?」
「どうしてもだ」

はじめこそ、抵抗したり、俺に好き勝手されないように工夫したりしていたが、最近はすっかり俺の好き勝手にされている。これで満足のはずなのだが、何度しても、なにをしても満たされない。それどころか余計に、理想のものからは遠のいていく感覚がある。渇望。そう、近付こうと思えば思うほど、無理やり体を重ねれば重ねるほどに強く思う。

「足らないんだ。全然、足らない」

目を合わせたままキスをする。目は合っている。だが、なまえは俺を見ていない。俺の事には興味もなければ関心もない。俺の好きな物も趣味の話も、何度しても覚えない。もしこのキスの相手があいつなら、もっと違う顔をするのだろうか。

「終わったら何か作れ」
「動けないし、絶対嫌」

彼女の手首から血が出るまで噛み付いた。血の味がする。細かい感情は昂る激情が押し流した。獣のように息を荒くして覆いかぶさり、揺さぶった。細く切ない嬌声にさらに煽られ、どうにかなりそうだった。苦しげに顔を逸らすなまえを押さえつける。

「俺はこっちだ」

はやく。血液が沸騰する。更に焦がれてピタリと体をくっつける。そんな顔をするくらいなら、もっとちゃんと抵抗してくれ。



優一郎黒野の頭がおかしいことは周知の事実である。私もそう認識していたが、すぐに認識が甘かったことに気付いた。異常者だ。会社の中であれ外であれ視線を感じるし、とにかく常識が通用しない。いや、常識が全くない訳では無いのだろうが、私に対して常識を適用する必要が無いと考えているらしかった。
はじめは軽く小突かれる程度だった。それがいつの間にか腕を捕まれ離して貰えなくなり、滅多に使われない倉庫に押し込まれた時には手遅れだった。

「お前は俺が嫌いじゃないだろう」

嫌いではなかった。おかしいものは、自分に危害が及ばなければ面白いこともある。私は面白がっていたのだ。だから、嫌いじゃなかった。が、今この瞬間に嫌いになった。そう言い放つと、黒野は「手遅れだな」と、私の体に腕をまわし、締め上げるように抱きしめた。体が軋む音を聞いて、これはやばい事になったと思った。
優一郎黒野はなんと私に好意を持っているらしい。好きだと言われたことは無いが、視線が熱くて焼かれそうだ。そのうちうっかり灰にされる可能性もある。
それならそれ相応のやり方がありそうなものだが、あの化け物はわからないのかわざとなのか私を無理やり押さえつけるという方法で言うことを聞かせている。誰だって痛いのは嫌だ。
やつの襲来は一切予測できず安全な場所がどこにもない。土曜日曜も家まで押しかけてくる始末である。しかたがないので休日は、朝早くから外に出て、ぼんやりとしている。

「また新しい傷を作ったのか」

ぼんやりしていると、たまに、いいや、私が頑張っているからに違いない。いい事が起こったりする。オレンジ色のツナギ姿で、おかしなキャップを被った、同年代くらいの男の人だ。メガネの奥の瞳は必要以上に圧を放ってくる。

「実験がなかなか過酷で」
「いつか取り返しのつかない怪我をするんじゃないか」
「んん、そういうこともあるかも」

彼は第八特殊消防隊で働いているらしい。名前は武久火縄。彼がいるから私はまだ人間の形を保っていられる、と言うか、黒野の暴虐に対して、人間らしい感覚を失わないでいられるのだと思う。嫌なことを嫌だなあと思えるのは彼のおかげで、まだ余裕があるからだ。
私の言葉に眉間に皺を寄せて、心配してくれている。

「そんな顔しなくても大丈夫。私は結構丈夫だから」

まだ、火縄さんの表情は暗いままだ。本当に大丈夫なんだけれど、彼の視線は腕に巻かれた包帯だとか、頬に無理やり張りつけたガーゼなんかを見ていた。とてもじゃないがかわいくはないだろう。まずい。そう考えるとこんな体で隣にいるのが恥ずかしくなってきた。

「なまえ」
「うん?」

顔に熱が集まるのがわかる。そんなに真剣に見つめられると見られたくないものまで見られてしまいそうだ。「お前がもし辛いなら」私は勢いよく立ち上がった。駄目だ。せめてもうちょっとかわいい服を着ていたらよかったのに。途端に顔が見れなくなって、逃げ出したくなってきた。

「本当に大丈夫! 心配してくれてありがとう」

何か話の途中だったかもしれない。ああ、話を聞かない女の子だと思われたくないなあ。私は思ったが、火縄さんは気にしていないようで、眼鏡を押し上げて「それならいいが」と言った。本当に優しい。彼ももう行くのだろう。立ち上がると、私に何かを差し出した。メモ用紙だった。番号が書いてある。

「なにかあれば、連絡して欲しい」
「えっ」

「迷惑だったか」私はブンブンと首を振って込み上げる感情のままにっこりと笑った。貰ったメモ用紙は抱きしめる。

「あ、ありがとう。すごく嬉しい」

優一郎黒野は狂人だが、火縄さんと出会わせてくれたことに関しては感謝している。
私は歩いていく火縄さんを、見えなくなるまで見送っていた。彼は、三度振り返ってくれた。


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20210509:本にしたい気持ちもある…

 

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