道中/大黒、52


氷像のような微笑に見蕩れること早数百回。今日もまともにできたコミュニケーションと言えば挨拶をするくらいであった。何もこれは大黒に限ったことではなく、社内のだれもがなまえみょうじとはこの程度の交流しかできていなかった。彼女が意図的に避けているのもあるし、彼女自身、他者との必要以上の交流が得意ではない、と明言している。
ので、この発言はほとんど奇跡のようだと大黒は思った。

「うん。大丈夫。そっちも無理しないようにね」

偶然(本当に偶然)、電話をしている彼女を見つけて、会話の内容を聞いていた。あからさまにならないように絶妙に距離を取って気配を殺していると、彼女は確かにそう言った。驚き過ぎて顔を出してしまうと、これはおそらく電話の相手に向けられたものであろう柔らかい、あたたかい笑顔を浮かべていた。そんな顔も見たことがない。人を遠ざけるような綺麗な笑顔ではなくて、全てを受け入れるような、力の抜けた笑顔であった。
なまえが電話を切ってこちらへ歩いてくる間に、胸を押さえて呼吸を整える。あれは一体。相手はどこのどいつだ。なまえにあんな風に心配されて、あんな笑顔を日常的に見られる羨ましすぎる奴は。

「やあ、なまえ」

角を曲がって来たなまえに手を挙げて挨拶をすると、彼女は「どうも」とだけ言って浅く頭を下げた。そのまま通り過ぎようとうするでの「調子はどうだ」とさらに声をかける。なまえは返事をするためだけに三秒ほど停止した。「いつもどおりだよ」「そういえば」再び歩き出そうとしたなまえをもっと引き留めておくために会話を続ける。

「昨日の会議では助かった」
「え?」

一瞬、何の話をしているのかわからなかった様子だが、すぐに「ああ」と大黒の言っていることに見当を付けて「なにもしてないよ」と歩き去ろうとした。何故そんなにさっさと行こうとするのか全くわからない。「なまえ」ついに名前を呼んで引き留めてしまう。彼女はやはり意図的に雑談や世話話を避けている。実際今も、露骨に面倒そう、という程ではないが、引き留めなければ止まってくれなかっただろう。彼女から仕事以外の話を振ることも滅多にない。

「さっきの、電話の相手だが」
「さっき?」
「ついさっきだ。電話していただろう」
「ああ」

なまえは答えない。なんなら話の途中だと言うのに今にもここから去って行きそうである。明確な言葉にしなければ止まって貰うこともできないのが現状だと言うのに、電話の相手は、明らかに彼女と親しそうで舌打ちしそうになる。なんとか耐えて、にこりと笑った。

「誰だ?」

彼女の反応は早かった。動揺するでもなく、鬱陶しがるでもなく、すぱりと言う。

「弟みたいなもの」
「みたなものとは?」
「本人は恋人だって言い張ってるけど」
「恋人」

胃が痛む。「言い張っているけど」の続きはなんだろうか。どうにも満更でもなさそうな響きに聞こえて耳を塞ぎたくなった。聞かなければよかったかもしれない。余計なことは聞かずに、言いたいことだけ言えばよかった。なまえはそれ以上のことを教えてくれるつもりはないようで、目で「もう行ってもいいか」と訴えていた。まだ本題が残っているから駄目だ。

「俺にも言ってくれないか」

誰も出歩いていない廊下に声が抜けていく。なまえにだけ届けば良いと願った言葉は確かに聞こえた様ではあったが彼女は「何を?」と首を傾げている。

「君が電話の相手に言っていた、最後の言葉だ」
「ああ」

何を言っているのかわかってくれたらしく手を打つような反応があった。が、なまえの思考時間は短かった。

「嫌だ」
「い、嫌か」

あまりにもはっきり言うので「それは悪かった」と謝ってしまった。ちょっと心配されてみたかっただけなのだが。ただ、これはこれで、と思う。今日はいつもより長く喋っていたな、と最終的に喜びの方が勝った。仕方がないので先ほどの彼女の言葉を頭の中で繰り返す。「無理しない様にね」だ。もし言われたらどうしようか。「君の為ならどんな無理もしてみせるさ」であるとか、そんなことを答えてみたい。そうしたら彼女は、さっき電話の相手にしていたように笑うのだろうか。それとも、いつもの突き放すような冷たい笑顔を作るのだろうか。



家に帰ると、犬か猫のようになまえの体に顔を寄せて、鼻を鳴らして顔をしかめていた。片目だけの彼の瞳がぎゅっと細くなる。「そんなにしてるとあとになるよ」折角綺麗な顔なのに。と皺を伸ばすと、52は素直に皺を伸ばされながら言った。

「変なにおいがする」
「そう?」

まだコートも脱がない内からぎゅうぎゅう抱きしめて来て、身動きが取れなくなる。なまえもまたされるがままになりながら、しかし、早く着替えてしまいたい気持ちもあり、腕を彼の背に回してぽんぽんと叩く。

「なにしてるの」
「……」

52はゆっくりとなまえを離してごつりと額同士をぶつける。若干痛むが、宥めるように彼の頭を撫でる。色々と余計な心配事があるようだ。けれど、徐々に52の体から力が抜けていくのを感じる。

「それ、俺にだけだよな」
「他に誰にするの」
「前話してくれた、優秀で天才な生徒とか」
「ああ」

誰のことを言っているのかはわかる。もしかしたら将来、52と仲良くなれるかもしれないと話した男の子のことを言っているのだろう。どうだったか。彼は熱心だったので、頭を撫でるくらのことはしていそうだが、よく覚えていない。けれど、ここでそんな風に曖昧なことを言うとまた彼が拗ねるので、なまえはゆるく首を振った。

「まあ、ないよ。まだ」
「まだは余計だ」

それは、可能性がある時に付ける言葉だ。52はそう言ってなまえを責めるので、なまえは52の頭をもう一度撫でて誤魔化した。52はちゃんと誤魔化されてくれたが「今にみてろよ」と不穏な言葉を吐き捨てた。いつだって見ているとも。


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20210317:Twitterリクエストのやーつ

 

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