気になるの理由/大黒


「ああ、あの、かわいい顔の男の子か」と、なまえが言った。最近、清掃員として灰島本社をうろうろしている男についてのコメントである。なまえは更に「計算なのか天然なのかわからないけど、まあ、かわいいから好きだよ」とも。俺は反射的に壁に張り付いて身を隠してしまったが、ただの世話話だ。なまえの他に三人ほど集まった女性社員はなまえの言葉にうんうんと頷いて「今度飴でもあげてみようかしら」と盛り上がっている。彼女達は顔の良い男が現れればああして同じように盛り上がっているので、ただの日常の出来事である。ただ、なまえが人の顔のことに言及するのは珍しい。ましてや、「顔が好き」などはじめて聞いた。「そうだね」なまえが更に積極的に会話に混ざる。「飴、あげてみようか」犬猫じゃないんだから餌付けしようとするんじゃない。そもそも飴なんて貰っても嬉しくない。いや、なまえからのプレゼントなら飴だろうがチョコだろうが俺は嬉しいが。そのプレゼントは心の底から喜んでくれる人間のところに行く方が幸せではないのか。例え腐るギリギリまでデスクに保管されるとしても。



別の日に「飴、あげてみたら爆笑された」となまえが話しているのを聞いてしまった。面子は変わらない。なまえと親しい女性社員が三人。「ええ」とか「へえ」とか「本当にやったんですかあ」とか、単純な驚きや呆れ、興味関心を声にしてからわいわいと盛り上がりはじめる。なまえは。なまえは俺というものがありながら清掃員の男にちょっかいを出すとは何事か。男はなまえより一回りは年下で、まだ未成年なのではないかと思う。要はアルバイトである。清掃のアルバイトで、きっと学生だ。そんなものに優しくしたら自分に都合の良い勘違いをするに決まっている。俺はいつだかと同じように壁に張り付いて隠れて頭を抱えた。「俺がいくつに見えてるんですかって」「そりゃそうだ」「怒ってませんでした?」「笑ってたよ」なまえは飼っている猫の話でもするように報告し、ほくほくと笑う。彼女の言葉はこう続く。「いつもの、なんていうか、作ってる笑顔じゃなくてよかったよ。いつもああやって笑ってたら、きっともっとモテる」言い切るなまえは自信満々に何度も頷き得意気である。「見たかったなあ」と他三人が羨ましがっているが、その三人の羨望を合わせても俺のこの醜い嫉妬心には敵わないだろう。



更に別の日に「お返しを貰ってしまった」となまえは楽し気にチョコレートを全員に配った。どうやらその後その清掃員に飴を渡すのがブームとなったらしく、ブームの火付け役となったなまえに清掃員が「お返しに」とチョコレートを渡したらしい。「よければ皆さんに」とも言ったそうだ。料理が得意なのか、必死のアピールなのか、はたまた節約の為に仕方なくか。手製の生チョコを覗き込んで、彼女達はここ一番の盛り上がりを見せた。それぞれが待ちきれない様子で一欠けらずつ口に入れる。口々に「美味しい」と褒めちぎった後、背の高い女が言う。「それにしても、なまえ。大黒部長怒らない?」よくぞ聞いてくれた。なまえと俺とは会社、いや、世界公認の恋人だというのにひどい話である。大っぴらに他の男をべた褒めするなまえに悪気はないのかもしれないが、このあたりで周囲からきつく言われてしまえばいい。その清掃員を褒めるのならば、大黒部長を五倍は褒めるべきである、というようなことを言われてしかるべきである。「なんで?」「そんなに他の男の子褒めて」「えっ、褒めた?」俺は周囲の三人と一緒になって頷いた。無論、今日も今日とて壁に張り付いて盗み聞きをしている身分である。「無自覚っていうのが余計怒られそうですけど」一番年下らしい女の言うことは正しい。そう、無自覚に好きな男を増やすのをやめて欲しい。何故ならば、俺が気が気ではないからだ。「顔がかわいいなんて言うのそもそも珍しいから」「そうだっけ」そうだ。俺はなまえに「かわいい」なんて言われたことがない。



「そういえば、大黒くん」久しぶりにゆっくり昼の休憩が取れそうだったのでなまえを誘って食べに行った。その帰りだ。彼女は満足そうに身体を伸ばし、ふう、と息を吐いた後、突然切り出した。「最近、清掃員として灰島に出入りしてる男の子が」か、まで聞こえたところで俺は感情のまま叫んでいた。

「顔の話はするんじゃない!」
「顔……? まあ、顔はかわいいんだけど」
「するなと言っているだろう!?」

その話は恋人の前でする話か? 自棄を起こして公園の鳩の群れに突っ込んで行ったら彼女はちゃんと止めてくれるだろうか。泣きそうになりながら悪びれずに笑う彼女の顔を見る。午後の青空よりもずっと晴れやかである。そんなに楽しそうな笑顔でなにを言うつもりなのか。耳を塞ぎたいがじっと耐えて彼女の言葉を聞く。

「雰囲気が大黒くんに似てるよ。もしかしたら彼は大物になるかもしれないね」

「……それは」俺は彼女の最近の動向を振り返る。清掃員の男を「かわいい」と言った。彼女にしては珍しい興味の持ち方だった。それはその男が「かわいい顔」である為だと思っていたが、その話を聞くと少し違った見方もできるようになる。すなわち――彼女は、その男が俺に似ていると思ったから普段とは違う反応をしていた。のではないか。という。ような。「うん?」なまえは黙り込んでしまった俺を覗き込むように首を傾げた。「いや」俺は顔をあげて、にこりと笑って見せる。

「そんなに似てるか?」
「うん。まあ、顔はね。彼のほうがかわいい感じだけどね」
「俺がかわいくないみたいな言い方だな?」
「いや、大黒くんはかわいくは」
「もしかして俺はなにかしたのか……?」

「いやいや」彼女は大概そうだが、今日はより一層上機嫌だ。数歩先を歩きながらくるりと回転して俺の正面に躍り出た。軽率に青空を背負わないで欲しい。太陽に見えてしまうので。輝く笑顔で彼女は言い放つ。

「大黒くんの顔はほら、見るからに詐欺師って感じだから、全然違う」
「褒めていないな。それは、褒めていない」
「褒めてるよ。私は大黒くんの顔大好きだ」

一瞬、考えていることが全部焼け焦げて、香ばしい匂いさえした気がした。思考は白い灰になり、さらさらと風に乗って飛んで行ってしまう。「だからそんなに拗ねたり怒ったりしなくても」俺は果たして一体なにを不安に思っていたのか、さっぱり忘れてしまった。飛び回りたいような引き続き怒ってみせたいような、彼女を連れて地球の裏側にでも行きたいような。この感情を表現する一番の方法がわからない。もう全く何も気にはならないのだけれど、それを一瞬で認めるのも悔しいものだから、俺はようやく微かに抵抗する。

「……、飴はあるか」

「袋であげるよ」なまえが笑って、鞄から飴の袋を二袋取り出して俺に持たせた。買い足したばかりなのか三袋目も出て来て、手のひらから零れ落ちそうになった。なまえはまったく惜しみなく全ての飴を俺に寄越して午後の業務に戻る為に歩き出す。この道は、日当たりがよくて、あついくらいだ。


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20210220:礼さんのツイートから書かせて頂きました。最近がんばって甘くしようという気概が見られない?

 

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