アーセンの憂鬱・前編/大黒


朝起きると、ニュースのついでに星座占いを確認する。
『アンラッキー!本日の最下位は○○座のあなた!けど大丈夫!△△座の人と一緒にいればたちまち大吉に!ラッキーアイテムは朱肉!それでは、今日も良い一日をお過ごしください!』アナウンサーが明るく言い切り、灰島製の掃除機のCMがはじまった。半分ほど見ていたが大黒はリモコンを使って電源を切り、鏡の前で自分の姿を確認した。スーツには皺もホコリもついていないし、なによりさっきの占いだ。色々準備をして今日と決めていたけれど、まさか適当につけたテレビの占いでも後押しされるとは思わなかった。幸先がいい。笑みがこぼれる。

「もはや、俺と彼女を阻むものはなにもないな」

今日までにこつこつと用意した書類をまとめて鞄に入れて、家を出た。



「昼休みが終わったら、第五会議室に来てくれ。用件はその時話す」朝一番に来ていたメールに、なまえは自分の予定を確認した後返事をした。「了解しました」なんでもないように返したけれど、内心、自分は一体なにをやらかしたのだろうかとビクビクしていた。せめて用件だけでも教えてくれたのなら、言い訳だとか、心の準備だとかを用意していけるのに。
しかし、呼び出されてしまったものは仕方がない、良い話であることを信じて、上司の待つ会議室へ向かう。若干憂鬱な昼休みを終えると、指定された第五会議室の前まで来た。灰島重工本社の中でもかなり奥まった場所にあるこの会議室は、あまり使用されることがなく、近くに何もない為人通りまで少ない。
深呼吸をしてからノックをする。「待ってろ、今開ける」わざわざ中から開けて貰って申し訳ないと思い、すぐにロック盤にカードを翳したが、何故かエラー表示が出た。そうこうしている間に大黒が扉を開けて、なまえを迎え入れた。

「すいません、開かなくて」
「ああ。部長以上のIDカードじゃないと開かないからな」
「へえ、そうだったんですね」

使ったことがないから知らなかった。大黒に進められるまま椅子に座る。大きな窓があり、なかなかいい景色の場所だった。今日は天気も良い。ただ、会議室に二人きりなのが少々気になった。やはり自分は何かやってしまったのだろうか。相当言いにくいことを頼まれるのかもしれない。落ち着かずに視線を彷徨わせていると、大黒はなまえの正面に座ってニコリと笑った。

「悪いな。こんな場所で」
「いえ、それで、何の用事ですか?」
「とりあえずだ、これを見てくれ」

これ、と言って差し出されたのは数十枚にも及ぶ書類であった。何のデータだろうか。なまえはまず一行目を見る。タイトルは『なまえみょうじと(黒いシールが貼ってあって読めない)の相性分析について』であった。「あの、これ?」「シールは最後に剥がしてくれ」大黒に言われなまえはなんとか目の前の書類を理解しようと努める。タイトルの裏に何か隠されたメッセージでもありはしないかと疑ったが、どう控えめにみてもタイトル通りの内容だ。自分の生年月日、生まれた時間(どうやって調べたのだろう)、名前、画数、手相(これも一体どうやって)、果ては科学的な性格診断テスト(これは灰島入社時にやらされた覚えがある)を用いて、私と、その対象とが如何に相性が良いかということが記されていた。ネガティブなことも書いてあることはあるが、そのすぐ後に『そういうトラブルが起きた時は以下の解決方法がある』などといくつか対処法が書かれていた。延々と、その内容が数十枚続いており、後半は、なまえと、その相手が結婚した場合の運勢診断などのまとめだった。ここでも相手の苗字は伏せられているのでわからない。ただ、結婚できる、ということは男性なのだろう。
なまえは恐る恐る書類から顔を上げた。

「……私、誰かとお見合いでもさせられるんですか?」
「そんなわけないだろう!? 俺が大事な君をどこかへやるわけがない!」

ああよかった、とはならない。ならば何故こんなものを自分に寄越したのか、大黒はわざわざテーブルを叩いて勢いよく立ち上がってまで否定したが、冗談にしては手が込み過ぎているし、もし、万が一、冗談以外の何かであるとしたのなら。

「テープを剥がしてくれ」
「……え?」

正直嫌だ。だが、大黒はわざわざ「剥がしてくれ」と繰り返す。なまえは既に泣きそうになりながら爪の先で黒いテープを剥がす。伏せられている、ということはつまり、知っている人間だということだ。この書類の内容を用意したのが大黒だとすると、これは彼にとって都合の良いデータのみを列挙したものである可能性が高い。こんなに人気のない会議室に呼ばれたのは。二人きりなのは。駄目だ処理すべき情報が多すぎる。
テープの下には、大黒の名前が書かれていた。

「……」
「君は結婚には興味がないようだからな、ひとまず同棲くらいからはじめてみないか」
「は?」
「驚き方になんだか棘がないか?」

何故。なまえの脳内がその二文字に占拠される。何故。なまえはわずかに残った理性で握っていた書類をそっとテーブルに置き遠ざける。大黒はいつの間にかテーブルを回ってこちらに来ようとしていたので、本能のまま立ち上がり、テーブルを挟んで反対側に逃げた。何故。大黒の口から結婚だとか、同棲だとか、そんな、恋人のような言葉が出て来るのか?

「な、なに……? なんですか、なんの冗談で……?」
「冗談? 冗談でこんなことを言う訳がないだろう」
「え、冗談じゃなかったら、どうして」
「そろそろいいだろう?」
「な、なにが?」
「しばらく大きなプロジェクトもないしな。忙しいことにはかわりないが、タイミングとしては今しかない」

何故。自分と大黒は付き合っていることになっているのか。なまえは全身に鳥肌が立ち、壁際まで一気に下がった。

「ひッ」
「な、なんだ。そんな風に怖がる必要がどこにある? 俺が君を苦しめたことが一度でもあったか?」

疑問が尽きない。いや一番の疑問は何故付き合っていることになっているのか、だ。しかし、そんなまともな話ができそうな状況ではない。あの書類の圧が全てを物語っていた。それにしてもなんだその心外そうな顔は。なまえは出入口の扉へぶつかるように接近し、カードでロックを外そうとした。「あっ」自分のカードではこの会議室の扉は開かない。

「何故逃げようとするんだ」
「触らないでください……!」

もたもたしていたせいで、大黒に接近を許し、挙句の果てには体の両側に手をつかれ退路を断たれた。なまえは振り返ることができない。そしてそれをいいことに、大黒が耳元に顔を寄せる。

「緊張しているのか? 職場だからか? 気にすることはない。ここには誰も来ないからな!」
「ど、ど、どうしてこんなことするんです? 私なにかミスでもしましたか?」
「まさか。君は優秀だ。さっきだってあの量の書類に一瞬で目を通しただろう? 周りのこともよく見ているし気使いも細やかだ! 優秀で大切な俺の部下で、たった一人の特別な女性だ」

今にして思えば、何かミスをして呼び出されクビだと言われたほうが何倍もマシだった。身体中の毛が逆立つような感覚に、追い打ちをかける大黒の言葉。発狂しそうな恐怖の中で背後の何かが更に言う。「なあ、こっちを向いてくれ。俺のかわいいなまえ――」

「う、うわあああああ!」

張り詰めた空気を張り手の音が切り裂いた。大黒がよろめいたところで、なまえはもう一度距離を取り、息を整える。なんとかこの状況を打開する為、あるいは、現在大黒が立っている、冗談か本気か思い込みかで作り上げられた、『なまえと恋人同士』という立場を崩す為に、何をどう伝えるべきか。なまえは必死に考えはじめた。手の込んだ冗談であることを願いながら、考える。

「殴るのは、酷くないか」
「ひどいのはどっちですか!?」
「どこがひどいんだ。自然な話の流れだ。これ以上ないくらいにな!」
「なにもかもおかしいですよ!」
「おかしくない。俺たちは確かに、二人きりで逢瀬をすることこそ少なかったが、想いは確かに通じていただろう?」

だから何故。なまえは思うが、それは考えてもわからないことだ。残念ながら(不幸中の幸いか?)なまえには心当たりがない。

「何をおっしゃられてるか、全然、わかりません」

捻りのない言葉だが、これ以上に自分の感情を説明するのに適した言葉は思いつかなかった。大黒が何を言っているか、なまえには、全くわからない。付き合いはじめた覚えどころか、告白された記憶もない。そもそも、大黒がなまえに特別な感情を抱いていたなど、気付きもしなかった。

「……何故?」
「わからないものはわからないんです。部長はなんで、そんなに自信満々に同棲をすすめてくるんですか? なんで、私がそれに応じると思ってるんです?」

大黒はじりじりと迫っていた足をぴたりと止めて、「君こそ何を言っているんだ」と笑顔で言い放った。

「恋人同士だからだが」

恋人同士であれば、同棲の話や結婚の話が出るのも理解はできる。それはその通りだとも。しかし、その前提が成り立たっていなければ理解どころか納得もできない。たった一つの前提条件をクリアしていないせいで全てがおかしくなってる。付き合っていたとして恋人との相性を徹底的に調べ上げるのもどうかと思うが、その件については一旦忘れることにした。

「付き合っているだろう」
「つ、付き合ってません」
「付き合っている」
「付き合ってないです」

面と向かって否定する以外にやることがない。なまえが都度きっぱりと否定するので、大黒はやや不安になってきたようで笑顔を曇らせ、悲し気になまえを見つめた。悲しくなられる覚えも例のごとくないが、なまえは首を横に振り続け、否定し続ける。恋人関係ではない。

「何故そんなことを言うんだ」
「付き合ってないからです」
「もう一度言うぞ? 何故、そんなことを言う?」
「付き合ってないからです」
「いいか? 俺は、俺と君の話をしているんだ」
「私と、部長は、付き合ってません」
「……は?」

大黒はようやく、なまえの言葉に顔を青くする。いつになく感情の乗ったリアクションをされて、なまえの中で微かな希望として存在した『手の込んだ嫌がらせ、または冗談』である可能性が急速に薄まっていく。どちらにせよ、今はこの窮地を脱することだけを考えたほうがいいと判断して、あくまで強く否定の言葉だけを口にする。

「付き合ってません」
「だが、君は俺が好きだろう?」
「私は、どちらかと言えば大黒部長は苦手です」
「そういうところも含めて好きだろう!?」
「今どんどん嫌いになっていってます」
「ばかな!」

まさに絶望。そんな風に目を見開いて頭を抱えていた。「何故?」「どこでどう間違った?」「ならば、あれはどう解釈するのが正解だ?」何故こんなことになったのか、その点だけはなまえも気になっていた。発端となった出来事を知っておけば、今後同じことがないように気を付けることができるかもしれない。「あの、大黒部長、」などと、対話をしようとしたのが間違いであったと、数秒後に思い知る。大黒はテーブルに拳を打ちつけて、声を荒げる。

「ふざけるな! 今更そんなことを言われたからといって、軌道修正が効くと思うのか!?」
「いや知りませんが……」
「知らないの一言で済まされてたまるか! クソ……! いや、いいや俺と君は付き合っている! かなり熱々の両想いだ!」
「き、気持ち悪いこと言うの止めて貰っても……!?」
「き……!?」

良い大人が二人で会議室の中を走り回る。大黒はなまえを捕まえる為に、なまえは大黒から逃げる為にだ。だが、この追いかけっこはなまえが圧倒的に不利である。

「い、い、い、言うに事欠いて気持ち悪い!? ふざけるのも大概にしろ!」
「ふ、ふざけてるのはどっちですか……!」

椅子を滑らせたり、テーブルの位置を動かしたりして時間を稼いでいたのだが、なまえはついに大黒に掴まりバランスを崩した。「いっ」テーブルの上に押し倒されて、両腕を押さえられる。

「こうなったら仕方がない」

スカートを捲りあげながら、大黒がなまえの足の間に自分の体を割り込ませる。それでもなんとか逃れようと暴れるが、大黒がなまえを押しつぶす様に体を近付けて来たので、うまく蹴り飛ばすこともできなくなった。

「俺と結婚せざるを得ない体にしてやる……!」

大黒は器用に片手でネクタイを外す。眼は血走っているのに爛々と輝いていて、興奮しているせいか頬も紅潮していた。演技には見えない。なまえはようやく、これが『冗談、悪ふざけ』である可能性をゼロとした。厄日だ。朝の占いが最下位の日は気を付けようと固く誓った。


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20200104:後編(すけべ)につづくゾ…

 

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