脆弱な強者/黒野


新しい被験者のプロフィールを渡された。
黒野はまず年齢を見る。十歳。子供だ。それから性別。女。身長体重。痩せていてしかも小さい。こんなにあからさまに弱そうなのは久しぶりだった。俺に回ってくるのはそれなりに成績の良い子供ばかりだからだ。いや。彼女も能力測定では好成績を収めたようだ。器用なのだろう。「頼むよ。黒野くんにしかあれの相手は務まりそうにないんだ」言われなくても、こういう弱そうな奴をいじめるのは自分の仕事だ。黒野は研究者の言葉を手で払って実験室へ入る。
実験室の中央に、灰島に支給された服を着た少女が立っていた。所在なさげに視線を彷徨わせて、よく見れば手足は細かく震えている。

「やあ」

声をかけると更に大きく体を震わせて黒野と目を合わせた。呼吸は短くて浅い。緊張して怖がっているのは誰が見ても明らかで、瞳からは今にも涙が零れそうだ。潤んで揺れて、少しでも揺さぶったら一目散に逃げ出してしまいそうだった。

「話は聞いているよね? じゃあ、はじめようか」

少女から向かってくることはなさそうだ。黒野はそう判断して一歩踏み出す。対して少女は一歩下がる。少女が稼ごうとした距離を黒野は次の一歩でぐっと詰めて、右手を振り上げる。頭を押さえて地面にぶつけて、「いいからこい」とそう言ってやる。
つもりだった。

「……!?」

結論から言えば黒野の攻撃は少女にかすりもしなかった。まるでスイッチが切り替わったように彼女は機敏に足をさばき、身体を捻り、黒野の前から姿を消した。黒煙を周囲にばらまけば、すぐに現在位置がわかる。しっかり背後を取られていて愕然とする。
少女が能力で移動したのは明らかだが、もう炎を仕舞っている。何が起きたのか。少女は閉じていた小さな小さな口を開き、震える声で言った。

「どうしても、やらなきゃいけないんですか」
「そうだよ。君はこの死神のおじさんと戦わなきゃいけない」

少女はもう何も言わなかった。相変わらず恐怖に震え泣きそうな佇まいのくせに、黒野から目を逸らさない。黒野は黒煙を纏い突進する。少女の動きは、今度こそ全てわかるはずだ。
黒野が右手を少女の方へ伸ばすと、少女は発火能力を使い推進力として黒野の足元へ滑り込んだ。右手の延長線上にいれば黒煙が少女を捉えたのだが、足元ではそうもいかない。分析しながら、蹴り飛ばしてやろうと今度は足を前に出す。これも、少女を捉えることはできずに空を切る。
モニタールームでは何やら盛り上がっているようだが、黒野は既に面倒で堪らない気持ちになっていた。なんだこいつは。強いじゃないか。こんなやつを俺にぶつけるなんて、一体何を考えている。
今更になり研究員の「頼むよ」に隠された意味を理解してげんなりとした。
これはなかなかの長期戦になりそうだった。攻撃を全て避けられて、少女は大きく黒野から距離を取る。実験室の壁の方まで下がって、意識して深く、長く、息をした。
来る。

「ぐっ……!?」

なんてことない、それは突進だったのだが、発火能力を駆使して彼女のスピードは三度変化した。加速、加速、そして、停止だ。普通の人間ならば反動ですぐには動けないはずなのに、少女の体は普通ではないらしい。そう言えば、能力値のいくつかは測定不能とあったことを思い出す。未熟であるせいで計器を使うこともできなかったのだろうと判断したが、これはそうではない。
計器ごときでは、計ることができなかった。故に、測定不能だ。
体の頑丈さ。測定不能。そして、少女の筋力。渡された書類にはこの欄も。

「か、は」

測定不能。そう記入されていた。
拳は、的確に心臓の上を叩いた。あまりの衝撃に身体が吹き飛び、心臓が数秒の間ストップした。とんでもない検体を引き入れたものだと絶望する。あれの相手を毎日させられるのかと思うと今すぐ転職したくなった。俺の仕事ではない。彼女の筋力、体の頑丈さを見越した機械でも作って相手をさせておいてくれ。そう強く思いながら、少女の姿を確認する。
あんなに弱そうだと思ったのに。こんなの詐欺だろう。呼吸を整えるのに必死で声が出ないので心の中で悪態をつく。こんな実験はすぐにやめだ。どうにも余力を残しているように見えるし、出力はまだまだ上がありそうで、となると俺だとしても不足である。
文句を言ってやる為に呼吸を整えていると、少女はこちらに走ってきた。まさか追い打ちをかけて来るつもりじゃないだろうなとひやりとする。そういうのは俺の仕事であって、あんな子供がすることでは――。

「し、死神のおじさん……っ!」

少女は真っ青な顔をして、黒野の顔の横に膝をついた。体は相変わらずに震えていて、ついに目からは涙が零れ落ちた。「ごめんなさい」「わたし、」「ごめんなさい」何度も何度も謝って、涙を拭って声をあげて泣いている。眉は苦し気に顰められて、目は恐怖で潤んで、涙は悲し気に流れ続けている。苦しくて苦しくて堪らないという顔で、少女は、黒野を見下ろして。

「黒野くん、大丈夫か!?」

遂に研究員まで駆け寄ってきた。
黒野はゆっくり立ち上がり、シャツについた埃を払う。そして、黒煙をけしかけて研究員を部屋の外へと押し出した。

「邪魔だ」

邪魔だ。
黒野はきゅうと目を細めて少女を見る。

「死神のおじさん……怪我を……」
「このくらいの怪我で仕事を休んだら。おじさん怒られちゃうよ」
「でも……」
「さあ。続きをしよう」

「だけど」「わたしは」少女は渋っている。立っているのも辛そうに、実験室の出入り口を気にしている。だが、もう誰も部屋に入っては来ない。黒煙が外へ出ない様に扉は固く閉ざされている。少女に逃げ場はない。

「まだまだ俺は動けるぞ」

少女の瞳が大きく揺れる。
本当に俺が動けなくなったら、彼女はもっと苦しそうにするだろうか。辛そうに泣くだろうか。悲しいと叫ぶだろうか。どれもこれも見たくなって、そして見られるのは今だけだと、彼女の評価を改めた。彼女が強いことに慣れてしまう前に俺の前に現れてくれたこと、本当に嬉しく思う。戦って戦い続けて、傷つけることに慣れる前に出会えて、本当に良かった。この弱さは尊いものだ。大切に守ってやらなければ、すぐに失われてしまう弱さだ。すばらしい。これだからこの仕事はやめられない。

「くれぐれも、本気を出さなきゃいけないよ」

本気、という言葉を聞いて彼女の体が強張った。

「じゃないと家に帰れないからね」

家、という言葉を聞いて彼女の両目が淡く光った。

「続行だ」

君の弱さを、もっと、もっと見せてくれ。


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20210103:
黒野が思う程彼女はきっと弱くないので、その弱さを一生抱えて生きていける。けれどそうすると黒野は一生その弱味につけこんで彼女をいじめることができてしまうなあ……。

 

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