罪状:抱えきれない程の優しさ15-1


最近は、目を覚ますとまず、ここはどちらか、ということを考える。
床が異常に冷たければ地下だし、あたたかければなまえの家だ。
最初にこちらに戻って来た時は、こんな別れ方になってしまうのか、と沈みに沈んでいた。そのせいで、訓練にも身が入っていなかった。一日目は見逃されたが、二日目はそうはいかなかった。全身に痣を作って三日目を過ごして、次の日の朝、俺はなまえの家に戻って来ていた。なまえは、泣きそうな顔で俺を見て「ごめんね」と何度も謝った後に、丁寧に怪我の手当をしてくれた。
俺達に、喧嘩をしている余裕はなくなってしまった。
いつかは来るだろうと思われていた別れ。二人の距離が世界という単位で離れる瞬間が、数日のうちに何度も起こる。原理はよくわからないが、俺がいない時間というのは、向こうでは俺が見ている夢のようになっているようで、目を覚ますと、現実が続いていく。俺の元居た世界の方が悪夢のようではあるのだが、なまえのいる世界では俺がいない時間は三日だとか、四日だとか、一週間だとか経過していて、だんだん、長くなっている。やはり、こちらが夢なのだ、と俺は思う。
話し合って、バイトはやめた。いつ起こるかわからないこの現象のせいで店に迷惑はかけられない。あの高校生にも一度だけ連絡をとって、気持ちには応えられないことを告げた。友達にもならないほうがいい、と。それきり、連絡先の紙は燃やしてしまった。本当は少し恋について話をしてみたかったが、必要最低限の会話しかしなかった。

「……」

今日は、なまえの家だ。それに気付くと、いつも泣きそうになる。そして考える。これが、今度こそこれが最後かもしれない。だとするなら、俺はどうするべきなのだろう。なまえは何故か、俺がこの部屋に現れたことがわかるようで、すぐに飛んできて、体に怪我がないかを確認する。
怪我がないことは、ほとんどない。

「大丈夫?」
「大丈夫だ。こんなの、いつものことだ」

いつものことだ。毎回聞いてくれなくても。戻れば気にかけてくれる人間はいないし、それでも生きている。だから。大丈夫。けれど、触れて来る指先があたたかくて、ゆっくり体を預けてしまう。なまえも俺の怪我に注意しながら抱きしめてくれて、俺達は二人で、しばらくそうしている。

「なまえ」
「うん?」

さよなら。と、口にしてしまうと、本当にこれが最後になりそうで、一度も言えていない。
好きだ。と、こぼしてしまったら最後、身体が崩れて、元に戻らなくなりそうで口を閉じる。
なまえの肩で、一滴、流れる涙を隠して「なんでもない」と抱きしめる力を強くする。
離れないで欲しい。一秒だって、離れないで欲しい。「そっか」なまえは俺の気持ちがわかるのか、なまえも同じ気持ちでいてくれているのか、俺がいる時は仕事を休むようになった。「まあ、大丈夫でしょう」とのことらしい。行った方が良いには決まっているのだろうが、今の俺には「駄目だ、行かないと」と背中を押してやることはできない。なまえの気持ちに甘えて、許されるだけ傍にいた。
そして、二日後には元の世界に戻り、また、二つの世界での温度差に心が凍り付いていく。



十一月の半ば頃、俺はなまえが仕事に行っている時間にこちらに戻って来た。
遂に夜でなくても起こるようになったのか、と思いながら、俺は今日しかないなと支度をして外に出た。アルバイトで貯めた金を全部引き出して、世話になったところに贈り物を買った。店と、ヨシダと、猫を貰ってくれた男のところ、それから、なまえ。
十二月にはクリスマスがあるな、と思って、色々考えていたので丁度いい。
最後だし、やりたいようにしよう。予算のある限りなまえへの贈り物にしてしまおうと町を歩く。途中で戻ったら大変な騒ぎになるだろうから、できるだけ急がなければいけない。つい前回から、ここに留まれる時間は二十四時間を切っていた。
俺が店に出て来られなくなったのは、ちょっと体調を崩しているからだと説明してある、と言っていた。なまえの説明におかしなところはなかったのか、考えない様にしてくれているのか、店長もヨシダも俺の心配をするばかりで、贈り物を喜んでくれた風ではなかった。
何を聞かれても「大丈夫だ。今日は調子がいいんだ」としか言えないことが申し訳なかったけれど、挨拶はできた。

「元気で」

と、俺が言うと、二人とも何かを飲み込むようにぐっと喉に力を入れた後、何も聞かずに「お前も」と言った。なまえは本当に、良いところを紹介してくれた。二人は最後までいい奴らで、これからもいい奴であれるようにと、祈った。祈りなんて、形だけでしかしたことがなかったけれど、なまえの世界にはやけにたくさん神様がいるようだし、一人くらいは、俺の話を聞いてくれる神様だっているはずだ。
挨拶を終えたら、もう家に帰ろう。中途半端に残っているお金はケーキにでもしてしまおうか。店で適当なものを詰めて貰えば良かったな、と後悔していると、正面の角から、なまえが飛び出して来た。

「なまえ?」
「52! やっぱりいた!」

街中だというのになまえは俺をぎゅっと抱きしめて、安堵した笑顔で俺を見ていた。



52がこの世界に来ると、炎のような、灰のような、なにかが焦げるような匂いが、唐突にする。いなくなるとぴたりと何処からも香らなくなるその匂いが、仕事中に現れ、かなり元気に早退してきた。上司に「ここ最近、一体どうしたんだ」と言われてはいるが、事情は話せない。ただ「すいません」と頭を下げる。やれるときに何時間でも残業をしてやっているから、どうにか許されていた。
とは言え、万が一クビになったとしても、すぐに野垂れ時ぬことはないので、会社に関して言えば半ば開き直っている。
私が走ってやってきたので、52は驚いて、肩で息をする私を心配そうに見た。彼は買い物をしていたらしく、紙袋を大量に持っている。

「仕事はどうしたんだ?」
「早退してきた。52がいる気がして」
「……」

52は何も言わない。以前までの彼ならば「そんなことしなくていい」と言っていただろうが、今は、私の行動にどう言葉を返せばいいかわからない様子だった。「帰ろう」と私が言うと、彼も並んで歩き出す。
私は彼の体を気にしながら適当な話をする。彼からの返事はほとんどないから、私が他愛のないことを喋っている。ここだけ切り取ったら、私はとてもおしゃべりな女に見えるだろう。私はこんな風にも喋れたのだな、と一人で思う。
家に帰ってくるなり、52は買って来た紙袋をテーブルの上に並べて私に言った。

「なあ、これ、貰ってくれ」
「……これって、これ、全部?」
「来月はクリスマスだろ。俺は多分、その日までここにいられない」
「そんな……」

そんなことはない。とは、言えない。わからない。そうかもしれない。52がここに居られる時間はどんどん短くなっている。次か、その次か、二度と会えなくなる日はそう遠くないだろう。励ましの言葉は出て来なくて、やはり私に喋りの才能はないのだと思う。「ありがとう」ならば私も、せめて、なにか52が喜ぶようなものを。

「52は欲しいものある?」
「俺は貰ってもしょうがないだろ。あっちには何も持って行けないんだ」
「食べたいものとか、やりたいこととか」
「やりたいこと」

52はあまり眠れていないのかもしれない。眼の下に隈が出来ていて、全体に、疲れたような暗い影を落としている。それでも、彼の瞳の紫は、私と目を合わせていると、あたたかく火が灯るのだ。
私の服の袖をくい、と掴んで、ソファに座らせると、52は言った。「なら」

「目を、閉じてくれ」

彼の手が私の頬を撫でる。「駄目か?」と視線が聞いている。私は彼の手に自分の手を重ねて、自分からも擦り寄っていった。

「いいよ」

「いいよ」二度言ってから目を閉じる。頬の反対側も52の指先が触れて、輪郭を確かめるように少し動く。力を加えられるままに角度をつけた。息がかかるくらい近くなって、彼よりずっと大人のくせに身構えてしまった。――丁度そのタイミングだ。
頬をつつんでいた手のひらがふっと消えた。
残っているのは、彼が買って来た大量のクリスマスプレゼントだけ。
それらはカラフルにテーブルの上を賑やかしているのに、見れば見る程、寂しくなって。

「……52」

彼がここに帰って来る時、いつも氷のように体が冷えている。その皮膚の冷たさを思い出し、私は私の体を抱きしめた。

「52」

力なく名前を呼ぶ以外に、できることは、なにもなかった。


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20210101
15-1、十一月編

 

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