その勝負に勝ち目はないA/大黒


「わかったわかった」と面倒くさそうになまえは言い、しかし全く言うことを聞いてくれないので、昨夜、ちょっと意地悪をした。
いや、なんてことはない、愛のある意地悪だ。夜の営みの時に焦らしに焦らした挙句、休憩なしで激しめに責めた。いつもより長く拘束して最終的に「もうむり」と息も絶え絶えに言う彼女に「例の服の件、本当に考えてくれるな?」「わかった、もう着ないから」と約束させた。
これで暫くは安心だ、と俺は穏やかに眠った訳だが、穏やかでいられたのはその夜だけだった。



「……」

朝食が用意されていた。
いや、毎日用意はされている。ただ、いつもならば、起きて来ると彼女の姿があって「おはよう」なんて声をかけてくれる。今日は何故かそうではなく、用意されている朝食も一人分だ。食器が洗って乾されているから彼女はもう食べ終えて片付けて出かけたのだろう。それならそれで書置きの一つもあってよさそうなものだが、急いでいて忘れたのかもしれない。

「いただきます」

彼女の姿がなくても丁寧に手を合わせる俺は誠実そのものだ。その誠実な男を置いて、彼女は一体どこへ行ったのだろうか。俺は背筋を伝う汗だとか、嫌な予感だとかには気付かなかったことにして、いつも通りに米粒一つすら残さず平らげた。美味かった。料理の味だけがいつも通りだった。



「……」

一人で職場まで行き、帰ってくると夕飯が用意されていた。
いや、これも毎日用意はされている。いつもならば、その辺に彼女の姿があって「おかえり」だとか「お疲れ様」だとか声をかけてくれるのだが、今日は自分の部屋に籠って出てこない。声をかけても返事がないので寝ているのかもしれない。開けようとしたが鍵をかけられており、これはやはり。

「いや、疲れているだけかもしれない」

多分そういうわけではない。と、すかさず俺の冷静な部分がツッコミを入れてきた。現実を見ないようにしている俺だって本当はわかっている。明日も同じことが続いたらなんとかしよう。目の前の問題をいつ解決するか決めて、今日の所は一人で眠った。寝室のベッドは一人で眠るには大きすぎるので、早速挫けそうだった。



結論から言うと同じ日々が三日続いた。
三日で食い止められたのは、俺が普段より大分早く帰宅し、彼女が部屋に籠る前に捕まえたからだ。夕飯を作っている途中の彼女に声をかける。彼女は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにそのまま夕飯づくりを再開する。避けられた挙句無視されている。これはかなり怒っているなとテーブルの上に彼女の好きなケーキ屋のケーキを乗せた。仲直りと言えばこれと相場が決まっている。なまえはあまりこういうもので誤魔化されてくれないが、何もないよりは誠意が伝わるはずである。

「俺が悪かったからもう許してくれ」

あの夜は確かに少しいじめすぎた。焦らしに焦らされとろとろになったなまえは大変にかわいらしかったが、今後はやりすぎないように気を付けよう。仲直りだ。とケーキの箱を空けて中身を見せるのだが、彼女は無表情で箱の中身を確認した後、レシピ本に挟まっていた一枚の紙を俺に差し出した。

「ん? なんだこれは。誓約書?」

彼女の手作りらしい誓約書に、たった一行、彼女が俺に望むことが書かれていた。

『今後一切なまえみょうじの服装に口出ししない』

折角なのだからもっと欲張っていろいろ書いてくれたなら、交渉のしようもあったのだが、流石はなまえだ。徹底している。俺はそれでも、どうにかしてこの規定を緩めて貰おうと考えていた。俺がなまえの服装に口出しできなくなる。それも一切の口出しを禁じられる。そんなことになったらなまえは露出の多い服も際どい水着も選び放題というわけだ。ハハハ。

「無理だ!」

なまえは「はあ」と大きく溜息を吐いて、コンロの火を消し、部屋の端に置いてあったボストンバッグを持ち上げた。彼女が昔から使っている、お気に入りのバッグだ。俺が贈った方はたまにしか使って貰えない。それはいいが。

「なんだその荷物は? 待て、一体どこへ? わかった。わかったからちょっと止まってくれ。わかった。冷静になろう。お互いにな。だから家を出て行こうとするんじゃない。しかし君、一切口出ししないのは本当に無、あーわかった、書けばいいんだろう書けば! ……なあ、ところで誓約書は交わさないまでもあの夜君は約束したよな? 一度約束したことを数時間で反故にするのは、うあああやめろ指輪をはずそうとするのは!それは冗談じゃ済まされな、わかった、君が怒ってるのはよくわかったから。わかった。本当に。よく……ああ、約束しよう……、今後一切、君の服装に口出しは……なあ、この文言の『一切』の部分なんだが……だからやめてくれ指輪を取ろうとするんじゃない! 今後一切君の服装に口出しはしない! ほら署名も捺印もした! これでいいんだろう!? これで仲直りだよな!? 君のかわいい声を聞かせてくれ。その鉄の無表情も普通に怖いから笑ってくれ? な?」

なまえはじっと誓約書を見つめた後、ゆっくり俺に近づいてくるので、俺はすかさず、逃げられないようにぎゅっと抱きしめた。小さく、彼女が笑う音がした。

「思ったよりも早かったね」
「俺の耐久を試して遊ばないでくれ。ところで今夜いいか?」
「嫌だよ」
「君は……俺のことが実はあんまり好きじゃないんじゃないか……」
「あはは」
「笑うところじゃないが!?」

なまえはひとまずは俺の腕の中で大人しく誓約書を眺めている。
まったく。怒らせるとこういう強行策に出て来るので、実際卑怯だ。俺の意地悪などかわいいものだと思う。少しくらい俺の言う事も聞いてくれてもいいと思うのだが……。まあしかたがないか。これこそが、惚れた弱味というやつだ。


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20201219

 

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