鋼の覚悟でお友達/紅丸


「えっと、これは、どういうこと? 紅」

「紅?」俺を呼ぶ声が震えていた。
恋仲の男女が二人きりで、布団の上でするような事は一つしかない。俺は仕方なく数秒止まってなまえを見下ろす。少々乱暴に押し倒したので髪が乱れてしまっている。なまえの腕を掴んでいる手をなまえの腕ごと頭に寄せて、やわらかくて細い毛の束を指に絡ませた。「紅」なまえがまた俺の名前を呼ぶ。

「なまえ」

怯えるように俺を見上げるなまえが、どうやったら安心するか、ずっと考えている。基本的にはへらへらしているばかりのこいつだが、怪談話にはめっぽう弱く、うっかり耳にしてしまうと一週間は調子が悪そうにしている。そういう、なまえの恐怖が高まりに高まった時、何をしたら安心していたか考えながら、親指の腹で拘束するなまえの手首をすり、と擦った。つるつるとした感触が心地よい。そして、いつも以上に近い距離に、まだまだ熱が上がっていく。

「俺達は、そろそろ次に進んでもいいんじゃねェか」

「えっ」なまえの困惑する声は聞こえている。「まって」か細い願いも届いていたが、もう充分に俺は待った。もう一秒だって待ちたくは。

「紅、紅、本当に、待って」
「待たねェ」

必死に抵抗(しようと)するなまえを押さえ付けて唇を合わせる。柔らかくて、これは彼女が付けている口紅の香りだろうか。柑橘系の香りがふわりと広がり、離れるフリをしてもう一度、今度はなまえの下唇を自分の唇で挟んだ。暇さえあればなまえは俺の名前を呼んで、それから「待って」とそればかり言う。

「大丈夫だ。痛くは、」

自信があるわけではないが、痛いことはしたくない。だから大丈夫。怖いことなどなにもないと、自信満々に見えるように言った。もう逃げないだろうと思って手の拘束を解くと、なまえはその両手で顔を隠して、俺から顔を逸らした。「いやだ」「だめ」聞こえてくるのは否定的な言葉ばかりだ。

「……なまえ」

なまえ、なまえ、と名前を呼んで、俺となまえの間に割り込んで来た彼女の腕に唇を寄せる。気が紛れるかと甘く歯をたてたり舐めたりしていると「ひっ」としゃくりあげるような音が、なまえの方から聞こえた。まさか、と硬直している間に鼻をすする音までして、俺はなまえが隠した顔を無理やり暴いた。腕を掴み、もう一度ベッドに縫い付ける。「いたっ」

「う、うっ、いやだって、言ったのに」

これは。違う。俺が思っていたどの反応とも違う。照れているとか、困っている、なんてものではなくて。

「ファーストキス、だったのに……」

ぼろぼろとなまえの両目から涙があふれている。俺はうっかり「ごくり」と喉を鳴らした。いや、果たして興奮している場合なのだろうか。なまえは、涙を流し続けているし、なまえの言葉が正しければ涙の理由はファーストキスが俺とだったからだ。怖いとか心の準備がとか、そんなことではなく。はじめての相手が俺だったから。
つまり、どういうことなのか。はじめての相手が俺では、いけなかったのか。いや、そんなこと、あるはずが。

「ぐす……、紅のばか……」

何故、こんなにも泣かれなければならないのだろう、とは思いながらも、俺はなまえの顔から目が逸らせずにいた。もっとよく見ようと一度体を起こすとその隙にぱっと逃げられた。「紅のばかー!」「あっ、おい」そんな顔のまま外に出たら。
案の定、次の日の浅草は、新門紅丸とみょうじなまえが盛大に喧嘩をしたらしい、と言う噂で持ち切りだった。
俺となまえは、一度も、喧嘩をしたことがなかったから、余計にだ。



「気持ちを伝えたことはねェのか」

浅草の連中からさんざんからかわれながら、奴らも俺と同じ勘違いをしていることに気付いた。すなわち、俺となまえとは付き合っている、という勘違いだ。
俺の勘違いだってそう的外れなものではなかったはずで、実際俺となまえとは仲が良い幼馴染同士のはずだった。今となってはどこからどこまでがなまえと同じ気持ちなのか、俺にはまったくわからない。

「オイ、聞いてんのか。紅」
「……」
「紅?」

なまえは、浅草にある小さな芝居小屋、そこの座長の一人娘だ。大体の芸は仕込まれていて、人当りも良く常ににこにこと笑っている。サービス精神、というのだろうか、人からの期待希望には大抵応えて、涼しい顔をしている。ただ、ここは俺となまえとの付き合いだから、なまえが苦労していることも知っていた。時間さえあれば芸を磨く為に訓練しているし、何か新しいことに挑戦できないかと考え込んでいる。そういう時の集中した顔に惹かれて俺も暇さえあればなまえに会いに行っていたわけだ。
なまえから会いに来ることもあった。「気分転換」だとか「お客さんに配るお菓子の毒味」だとか言いながら、浅草火消しの詰所に来ては俺と話をして帰って行く。ガキの頃から今でもずっとだ。
紺炉が言うように「気持ちを伝えた」ことはない。好きだとか、愛しているだとか、そういうことは言っていない。けれど、酔った拍子に「お前はずっと俺の近くにいるんだろ」と言ったことはある。質問でもなければ、告白でもなかったが、似たようなもののはずだ。しまった、と思ったが、なまえはその言葉を聞くとにこりと笑って。「そうだね」と。

「そうだね。紅の近くにいるだろうね」

と。確かにそう言った。これは俺達なりの「告白」ではなかったのか。この日から俺はなまえと恋人同士であるつもりで居たのだが、俺達は手を握り合ったこともないし、抱きしめることもなかったし、唇を合わせたこともない。俺はいつでもしたかったが、なまえは、そういう雰囲気になりかけるとひらりとどこかへ行ってしまっていた。恥ずかしがっているだけだ、と思っていた。思っていたが。

「わからねェ」

「全然、わからねェ」仕方がないので紺炉に全て説明すると「襲うのは飛ばし過ぎだったんじゃねェか」と頭を抱えていた。うるせェ。そんなもん、ガキじゃあるまいし、全部一気に済ませたって構わねェだろうが。



「私は、恋人になった覚えはありません」

解決するには、結局話し合いしかないと、俺は紅となまえとを同じ部屋に放り込んだのだが、何故かその話し合いに同席することになってしまった。と言うのもなまえに服の裾を掴まれて「行かないでください」と懇願されたからだ。紅の視線が刺さったが、紅一人だけだと心配ではあったので、俺も座布団の上に座った。
座ったのは良いけれど、待てど暮らせど二人は何も話しはじめない。紅は何かを聞こうとするが言葉にはできないようで、なまえはそもそも話をする気がないように見えた。俺は仕方なく「お前らは恋人同士じゃねェんだな?」と聞いた。それに対して、なまえはきっぱり否定して、それきり何を聞いても口を開かなくなってしまった。
「これっぽっちも好意はねェのか」「紅の気持ちには気付いていたか」「ただの幼馴染だと思ってたのか」「紅の気持ちに応える気はねェのか」等々、今回の問題ができることなら根本から解決されることを願ってそう問うのだが、なまえは何も言わない。
紅丸は苛々しはじめていたが、なまえは意図的に口を閉ざしている、というより、どう答えるべきか悩んでいる、という風だった。彼女の中でも複雑な問題だったのかもしれない。俺がここにいることにより答え辛くなっているのでは、とも思うが、苛ついている紅と二人にするのも心配だ。
紅は自分のしたことは棚に上げて「だんまりじゃ何もわからねェだろうが」と言った後、舌打ちまでしていた。
それに、なまえはぴくりと反応する。追いつめて怖がらせても仕方がない。しかし、紅はどうしてもなまえから真意を聞きだしたい様子で、なまえをじっと睨みつけている。

「紅とは恋人にはなれない。ごめん。もう、用事がなければ紅には会いに来ない」
「は? 来るななんて言ってねェだろ」
「でも私には、紅の気持ちををどうしようもないから」
「別に、付き合えねェなら絶交しろなんて言ってねェ」

なまえは無言で首を横に振った。紅は、なまえに会う前までは「惚れさせりゃいいんだろ」と頼もしいことを言っていたのに、なまえの取りつく島のない返事を聞いて、すっかりしおれてしまっている。

「今まで通りで、別に、いいだろうが」
「……」

なまえはきゅっと唇を引き結んで、助けを求めるように俺を一瞥した。助けてやりたい気持ちはあるが、紅のことを応援してやりたい気持ちもある。どうするのが一番良いことなのか、いや、どうするのが良いもなにも、色恋沙汰に他人が介入するなんて野暮以外の何ものでもない。俺は、出来る限り黙っているのがいいのかもしれないと、断腸の思いでなまえから視線を逸らした。
すると、彼女はすっと立ち上がり、俺の正面に座った。「なまえ?」愛嬌のある目に涙を溜めて、なまえは俺に言った。

「紺炉さんが好きなんです」

「は?」と誰よりも速く反応したのは紅丸で、俺はただぽかんと口を開けて真っすぐこちらを見上げて来るなまえを見つめていた。「紺炉さんが、好き」言葉を区切って、誰にも間違わせないように、きっぱりと言い切った。
困惑すると同時に、なまえの煮え切らない態度にも合点がいってしまう。言葉を色々探さなきゃならないわけだ。
紅は「ちょっと待て」となまえの腕を掴む。

「それはつまり、俺は体よく利用されてたってわけか? いつからだ?」
「……」
「いつからだ!?」

なまえは目を閉じて大きく息を吸い込んだ。何か難易度の高い芸をする前、何かの役になりきる前、なまえが集中する時によくやる動作だった。俗世との一切の繋がりをそのひと呼吸で断ち切って、背筋を伸ばして紅と向かい合う。

「そんなの、出会った時からに決まってる。だって、紺炉さんは、紅と一緒にいれば笑ってくれるし、たくさん喋ってくれるんだもん」

思い返せば覚えはある。懐かれているだけだと思っていたが、俺が淹れてやった茶は一滴すら惜しむように飲み切って必ず「紺炉さんの淹れてくれるお茶、大好きです」と一言残し、遊びに来ても紅がいないと俺に声をかけて帰って行った。「挨拶だけでも」律儀な子供だと思ったが、そうではなかった。紅に内緒で甘味を食いに行ったこともあれば、蕎麦を食わせてやったこともある。そういう時、彼女は本当に幸せそうに笑っていた。紅といる時には見せない笑顔だったのかもしれない。「紺炉さん」そう言ってとことことこちらに寄ってくるなまえをかわいらしいと思ったことがないわけでは。いいや、それは、子供をかわいらしいと思う感情であって。そんな色っぽいものでは。
目の前でしゃんと、今までのことにけじめを付けようとする彼女から目を逸らせない。

「これからはちゃんと、紺炉さんに、会いに来る。利用したことは、本当にごめん」
「ふざけんな。開き直りやがって」

紅が深深と頭を下げるなまえを掴み、無理矢理自分の方を向かせるが、なまえはもう隠しておかないことに決めたようだ。

「そっちこそふざけんな。女の子を合意なく抱こうとして泣かせたくせに、ごめんの一言もないような男を、私が、好きになるわけないでしょう。君はいつもそうだけど、もうちょっといろいとちゃんとできないの」
「ああ!? 全部お前が元凶だろうが!」
「元凶だろうがなんだろうが、嫌がる女の子を無理やり抱こうとしたことに変わりないでしょう」
「この……ッ」
「なに?」

紅が一歩踏み込み切れないのは、なまえが、なまえであるからに他ならない。つい先日まで両想いだと信じて疑っていなかった相手に対して、全ての想いを捨てられるはずもない。元々情には厚いのだ。騙されていた、利用されていた、それでもなまえを憎み切れないでいるのだろう。今はそうすることしかできない。声を荒げて俺に言った。

「紺炉! こんな性悪さっさと振っちまえ。付き合ってもろくなことにならねェよ」

なまえがじっと俺の方を見つめてくる。
なまえのことは俺もよく知っている。行動と本心が結びついていたどうかは今回のことでわからなくなったが、なまえの行動というものは極めて善良で美しかった。素直で素朴で、人を喜ばせることが好きな純粋な女。
この場を丸く収める為に、俺はどうするべきなのか。さっきから考えているが、良い案が一つも見つからない。いいや、丸く収める為には断るべきなのだ。だが、彼女は今までの一切を明かしてぶつかってきている。それに対して、収める為にという理由のみで相対するのは卑怯であるような気がしてならない。
なまえの本音に対するなら、俺も本当のことを言うべきなのだ。しかし、本当のことと言っても、俺は今まで、なまえは紅と付き合っているものとばかり思っていた。なまえは紅のもので、紅はなまえしか見えていない。そう、思っていた。
こんな日が来るなど、夢にも思っていない。

「……」

今まで、紅に向いていたと思っていた感情は、全て、俺へのものだった。それを知って俺はどう思ったか。「か、」

「考えさせてくれ……」

「よかった。これからもがんばります」となまえは笑った。俺と紅は、文句を言うのも忘れてその表情に見入っていた。芝居の中でも見たことのない、愛情深い女の笑顔。
紅はハッと我に返ってなまえに噛みつく。そのやりとりはそれはそれで誤解を招きかねないものだったが、幸いここには俺と紅、なまえの三人しかいない。

「ふざけんな紺炉! オイなまえ! お前みたいな女に紺炉は渡さねェからな!」
「紺炉さんは紅のじゃないし、人の恋路に口出ししてくるなんて野暮がすぎない? それでも浅草男なの?」
「ぶっ壊してやる」
「やれるものならやってみればいいじゃない。好きな女の子に好きも言えないような新門紅丸くんにできるなら」

彼女はずっと、紅のものなんかではなかった。
それを知って。俺は。


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20201219
この後芝居をする必要がなくなった夢主と自分の知ってる夢主とのギャップに絶句する新門がきっといるぞ!

 

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